大判例

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東京地方裁判所 昭和51年(ワ)11574号 判決 1985年3月27日

原告

秋山剛

外二二四名

右原告ら訴訟代理人

内田剛弘

森谷和馬

小池貞夫

大内猛彦

本田俊雄

宇都宮晴子

中村清

戸谷豊

荻原富保

中村れい子

藤森勝年

西尾孝幸

植村泰男

被告

第一製薬株式会社

右代表者

宮武一夫

右訴訟代理人

清瀬三郎

小川信雄

落合勲

大房孝次

高氏佶

中吉章一郎

小川信明

友野喜一

被告

武田薬品工業株式会社

右代表者

倉林育四郎

右訴訟代理人

色川幸太郎

横山茂晴

中島和雄

被告

興和株式会社

右代表者

三輪隆康

右訴訟代理人

阿部昭吾

伊藤和子

渡邊顕

井窪保彦

被告

エーザイ株式会社

右代表者

内藤祐次

右訴訟代理人

鴨田倭信

宮本康昭

被告

塩野義製薬株式会社

右代表者

塩野孝太郎

右訴訟代理人

藤井栄二

渡邊俶治

被告

吉豊製薬株式会社

右代表者

中富義夫

右訴訟代理人

石井通洋

川合孝郎

被告

東洋醸造株式会社

右代表者

小川三男

右訴訟代理人

古山宏

花岡巌

齋藤和雄

被告

右代表者法務大臣

嶋崎均

右指定代理人

富田善範

外一五名

主文

一  別紙認容金額一覧表・原告欄記載の各原告に対し、当該原告に対応する同表・被告欄記載の被告らは、各自、当該原告に対応する同表・認容額欄記載の金員およびこれに対する当該原告・被告に対応する同表・遅延損害金起算日記載の日から各支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  別紙認容金額一覧表・原告欄記載の各原告のその余の請求および右各原告を除く原告らの請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用中、別紙認容金額一覧表・原告欄記載の各原告と、当該原告に対応する同表・被告欄記載の被告らとの間に生じた分は、これを三分し、その一を当該被告らの負担、その余を当該原告らの負担とし、別紙認容金額一覧表・原告欄記載の各原告を除く原告らと、当該原告に対応する別紙請求金額一覧表・被告欄記載の各被告との間に生じた分は当該原告らの負担とする。

四  この判決は、第一項に限り仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  別紙請求金額一覧表・被告欄記載の被告らは、各自、同表・対応原告欄記載の原告らに対し、同表・対応請求金額欄記載の金員およびこれに対する同表・原告番号一Aないし二六A、同二八Aないし五四A、同五六Aないし九四A、同九六Aないし一二五A、同一二七Aないし一三〇A、同一三二A、同一三四Aないし一四八A、同一五〇Aないし一七六Aに対応する各原告につき、各被告らに関して、昭和五二年三月一五日から、同表・原告番号一七七Aないし一九九Aおよび同二〇一Aないし二二五Aに対応する各原告につき、被告第一製薬株式会社、被告エーザイ株式会社および被告国に関しては昭和五二年七月二九日から、被告興和株式会社および被告東洋醸造株式会社に関しては昭和五二年七月三〇日から、被告武田薬品工業株式会社および被告塩野義製薬株式会社に関しては昭和五二年七月三一日から、被告吉富製薬株式会社に関しては昭和五二年八月二日から各支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの連帯負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  (被告ら全員)

(一) 原告らの請求を棄却する。

(二) 訴訟費用は原告らの負担(被告第一製薬株式会社のみ連帯負担。)とする。

2(被告国)

担保を条件とする仮執行免脱宣言。

第二当事者の主張

一請求原因

1  当事者等

(一) 原告ら

別紙原告目録記載の原告らのうち、同目録・原告番号欄中にAの符号を付してある者は、弁論分離前の被告安井清医師(以下「安井医師」という。)の診療を受けた際、同医師により、各々大腿四頭筋、三角筋または臀筋に筋肉注射を受け、そのため各筋拘縮症に罹患した患児(以下「原告患児」という。)であり、同目録記載の原告らのうち、同目録・原告番号欄中にBの符号を付してある者は右患児らの父、同目録・原告番号欄中にCの符号を付してある者は右患児らの母である。

(二) 安井医師

安井医師は山梨県南巨摩郡鰍沢町二五四三番地において医院(以下「安井医院」という。)を開業している者であるが、原告患児らが安井医師の診療を受けた際、原告患児らに対し、その大腿四頭筋、三角筋または臀筋に筋肉注射を行ない、原告患児らをして各筋拘縮症に罹患せしめたものである。

(三) 被告第一製薬株式会社、同武田薬品工業株式会社、同東洋醸造株式会社、同塩野義製薬株式会社、同吉富製薬株式会社、同エーザイ株式会社および同興和株式会社(以下各被告会社を総称して「被告製薬会社ら」といい、個別的にはそれぞれ「被告第一」、「被告武田」、「被告東洋」、「被告塩野義」、「被告吉富」、「被告エーザイ」および「被告興和」という。)

被告製薬会社らは、医薬品の製造・販売を業とするものであり、別紙薬品目録記載の各薬品を現に製造販売し、またはかつて製造販売したものである。

(四) 被告国

被告国は、公共の福祉を増進することを目的として、公衆衛生の向上および増進と国民の健康な生活の確保のため、厚生大臣をして医事および薬事に関する行政を担当させているものであり、厚生大臣は、別紙薬品目録・製造承認(許可)年月日欄記載の日時に、各薬品につき、製造承認(許可)をなした。

2  筋拘縮症の意義

(一) 筋拘縮症は、大腿四頭筋拘縮症、三角筋拘縮症および臀筋拘縮症の三種に代表され筋肉障害疾患の総称である。

(二) 大腿四頭筋拘縮症は、大腿部の四つの筋肉(大腿直筋、内側広筋、外側広筋、中間広筋)の全部または一部に部分的に変性を生じ、それらが線維化、瘢痕化することによつて筋の伸張性、弾力性を減じ、他方骨の成長に従つて大腿四頭筋が相対的に短縮または拘縮した状態となり、股関節、膝関節の運動に障害を来たす疾患である。具体的には、出っ尻、跛行、転倒し易い、正坐不能、階段昇降困難、足が疲れ易い、歩行や走行に際し足を外に振り出す等の様々な機能障害が現われ、重症なものでは歩行すら困難となる。

(三) 三角筋拘縮症

三角筋拘縮症は、肩関節を保持する筋肉の一つである三角筋(前部、中央部、後部の三つの筋束から成り、鎖骨および肩甲骨より起こり、上腕骨の中央外側面に付着する。)が線維化するために肩関節の内転および屈曲制限が起こり、翼状肩甲や上腕が体につかなくなる等の障害を惹起する疾患である。具体的には、「肩下り」を生じて姿勢が悪くなることに始まり、腕が疲れ易い、重い物が持てない、スカートの肩ひもが外れる、衣服の着脱が困難となるなどの機能障害が現われるものである。

(四) 臀筋拘縮症

臀筋拘縮症は、臀筋の短縮または拘縮により、臀部の萎縮・陥凹を始めとして、股関節の屈曲、内転障害をもたらし、具体的には歩行異常、坐位蹲居困難もしくは不能などの股関節の機能障害を惹起する疾患である。

3  筋肉注射と筋拘縮症との間の一般的因果関係

筋肉注射と筋拘縮症との間に一般的因果関係の存することは、以下の各事実から明らかである。

(一) 症例報告等における原因についての記載

筋肉注射が本症の原因であることは、昭和二二年の伊藤四郎の報告以降多数の症例報告等によつて確認され、定説となつている。

(二) 筋拘縮症の実態調査の結果

筋拘縮症の各実態調査の結果次の事実が判明している。

(1) 筋拘縮症の患児の殆んどに明確な注射歴のあることが確認され、特にカルテ調査では本症患児のすべてに注射歴が証明されていること。

(2) 注射は本症発生以前に行われたものであること。

(3) 医療機関における注射部位の好みによつて、集団発生した筋拘縮症の種類に地域的な著しい差異があること。

(4) どの実態調査でも患者数に年次推移が認められること。

(5) 注射回数の増加と発症(患者)との間に相関関係が認められること。

(三) 動物実験について

動物実験の結果次の事実が認められている。

(1) 人体標本でみる筋拘縮症の病理組織所見と動物実験におけるそれとは全く同一であること。

(2) 反覆注射時の組織変化では、炎症細胞の浸潤、筋の伸縮を阻害する膠原線維よりなる瘢痕組織が認められること。

(3) 注射本数の増加は、各筋群における障害断面積の占める割合を増し、同時に障害部位の長径も増す傾向があり、このことは注射本数の増加は各筋群の機能障害の程度を増加させ、瘢痕の距離も増し、物理的にも筋の再生修復が不能となることを示していること。

(四) 筋拘縮症の発症機序について

(1) 筋拘縮症の発症機序は、一般的には次のように考えられている。

(ア) 筋肉に注入された液が筋組織を壊死におとしいれる。

(イ) 右壊死物質を取り除くために炎症反応が引き起こされ、炎症の程度が強いときには、無菌性化膿にいたる場合がある。

(ウ) その後に、線維芽細胞が増殖して遂には線維性瘢痕組織が形成される。

(エ) 右瘢痕組織は、筋線維のもつような伸縮性を有しないので本症が発現することになる。

(2) 本症は一本の注射でも発症しうる。即ち、薬液の組織障害性が強い注射液(例えば、吸収の悪い解熱剤や、局所に対する炎症反応の強い抗生物質等)では、たとえ一本の注射でも筋細胞の壊死に始まる右(1)項記載の反応が起こる可能性がある。加えて、大腿直筋、三角筋等矢羽状構造となつている筋組織の一部に壊死、瘢痕化を生じれば、腱様組織と癒合し、一塊となつて線維性の索状物を形成し易い。特に乳児の大腿直筋の矢羽部分の筋肉の大きさは二センチメートル位であり、筋膜間の距離は狭いところで五ミリメートルであるから、このような部位への注射であれば、たとえ一本であつても本症を発現させることは十分に考えられる。

4  原告患児らの筋肉注射による筋拘縮症罹患

(一) 原告患児らは、別紙原告患児別診療行為一覧表・受診年月日欄記載の日時に、安井医院において、安井医師の診断にもとづいて、被告製薬会社らの製造・販売する同表・注射液名欄記載の各注射液の筋肉注射を受けた。

(二) 原告患児らは、右各筋肉注射を受けた結果、いずれも右筋肉注射を受けた最終日ころ、別紙原告主張筋拘縮症罹患態様一覧表記載のとおりの各筋拘縮症に罹患した。

5  安井医師の行為

安井医師は、各原告患児に対して、別紙原告患児別診療行為一覧表・受診年月日欄記載の日時に、同表診断病名欄記載の疾患について診療した際、同表・注射液名欄記載の注射液の筋肉注射をなした。

安井医師は、遅くとも、原告患児らに筋肉注射をする時までには、筋肉注射による筋肉の組織障害およびこれを原因とする機能障害である筋拘縮症の発生を認識し得る可能性があり、かつそれを認識すべきであつたにも拘らずこれを怠つた。

原告患児らの罹患した疾患は、別紙原告患児別一覧表・診断病名欄記載のとおりであり、これらは「感冒」、「急性咽頭炎」、「急性気管支炎」等の広義における「かぜ症候群」の範囲内に含まれる各疾患および「急性胃大腸炎」、「消化不良症」等に代表される比較的軽微な消化器系疾患であつた。これらは、本来的には、安静と保温、食餌療法等により経時的に完全に治癒するものであるが、仮に化学療法が必要とされる場合でも、薬剤の種類の選択、投与時期、投与量等は、必要最小限のものにとどまるように症状の経過をみて慎重に決すべく、安井医師は、筋肉注射を避けるべき義務があつたにも拘らず、これを怠り、薬剤の選択およびその投与方法について充分な吟味を経ないまま、薬剤を無限定に選択し、これを筋肉注射するという不必要な方法で投与し、原告患児らを各筋拘縮症に罹患せしめたものである。

6  被告製薬会社らの責任

(一) 予見ないし予見可能性

被告製薬会社らは、遅くとも別紙薬品目録記載の各注射液(以下「本件各注射液」ともいう。)の製造、販売をする時までには、筋肉注射による筋肉の組織障害およびこれを原因とする機能障害である筋拘縮症の発生は知つていたか、または容易に予見しうべきものであつた。

(二) 注意義務違反

被告製薬会社らは、本件各注射液の製造販売に当つては、その筋肉障害性とその結果発生する筋拘縮症について、これを知り、または容易に予見しえたものであるから、その製造販売を開始せず、または個々の医師が現実に認識しうる方法で、その適応症を厳格に制限することはもとより、筋肉障害および筋拘縮症について動物実験のデータ等を示して具体的に警告し、かつ投与方法、投与量、投与期間、連続投与の可否等その使用方法について厳格な指示をなす等万全の措置をとることにより筋拘縮症の発生を未然に防止すべき義務があるにもかかわらず、右有害作用について何らの警告もなさず、また適応症についても慢然とこれを拡大し、かつ使用方法について適切な指示をなすこともないまま製造販売を開始した。

被告製薬会社らは、右各注射液の製造販売後、筋拘縮症についての認識を益々深めていつたにもかかわらず、右各注射液の製造中止、回収または個々の医師に対する有害作用の警告および使用方法の厳格な指示をなさないまま漫然と販売を続けた。

7  「共同」不法行為(民法七一九条一項前段)

(一) 被告製薬会社らの本件各注射剤の製造販売行為には次のような客観的関連共同性があり、また、被告製薬会社ら間には本件各注射剤の製造販売につき主観的関連共同性も認められるから、被告製薬会社らは、いずれにしても民法七一九条一項前段の規定により原告患児の被つた損害を賠償すべき義務がある。

(1) 客観的関連共同性

被告製薬会社らは、それぞれ別紙薬品目録記載の筋肉注射液を製造・販売したものであるが、その際、各注射液の筋組織障害性を知悉し、あるいは過失によつてこれを認識しなかつた。そして各注射液の適応を拡大し、投与の対象者や投与の方法について限定を加えないまま、大量に売に捌き、安井医師をして原告患児らに筋肉注射をさせるに至つたものである。被告製薬会社らの製造販売した薬品は、いずれも筋肉注射のための薬液であり、また少なくとも原告患児からみれば、その体内に注入された各注射液の製造販売の時期は互いに近接していることが明らかである。このような危険な薬液を近接した時期に製造し、かつ、警告を全く欠いたまま競つて大量に販売し消費させた製薬会社らの行為は、それが故意による場合はもとより、たとえ過失による場合であつても、同種、同質の一体性のある違法行為といわなければならない。そして、これらの注射液は、いずれも安井医師に販売され、同医師によつて、原告患児らに投与され、別紙原告主張筋拘縮症罹患態様一覧表記載のとおりの筋拘縮症を惹起するに至つた。このように被告製薬会社らの製造販売した注射液は、安井医師のもとに集中し、同医師の注射行為によつて、原告患児らの体内に同時もしくは順次に投与されたものであるから、被害発生の過程においても本件各筋肉注射液の果たした役割は、相互に強い類似性、同質性を有し、全体として一体性を有するから、本件各筋肉注射液の製造販売から投与に至る過程をみれば、被告製薬会社らは、一体として原告患児らに侵害を加えたもの、即ち関連共同性を有するものというべきである。

(2) 主観的関連共同性

被告製薬会社らは、その関与する次の各事項の処理にあたつて、筋肉注射による筋組織障害性について研究をなし、さらに筋拘縮症を惹起することを知悉しながら、相互にその情報を交換し、意思を通じて右事実を秘匿し続けた。

(ア) 日本製薬団体連合会医薬品安全性委員会が昭和四〇年五月に発表した「新医薬品の有効性ならびに安全性に関する薬理学的検討」と題する綱領の作成に関して

(イ) 日本製薬工業協会安全性委員会専門部会が昭和四五年三月に発表した「医薬品の安全性に関する前臨床実験の検討」と題する綱領の作成に関して

(ウ) 昭和四〇年に発生した、添加剤としてポリビニールピロリドン(PVP)を有する静注用輸液製剤(代用血漿剤)の毒性問題

(エ) 昭和四七年におけるスルピリン再評価問題

(二) 被告武田および被告吉富について

被告武田は、被告吉富が被告国から別紙薬品目録記載の「コントミン注」の製造承認を得たころ、同注射液の発売元となり、これを独占的に供給してきた。

8  「共同行為」者(民法七一九条一項後段)

(一) 被告製薬会社らの製造・販売にかかる別紙薬品目録記載の各注射液は、いずれも筋組織障害性が強く、場合によつては一本の投与によつても筋拘縮症を発生せしめるほど強い有害作用を有している。

(二) 被告製薬会社ら

被告製薬会社らは、それぞれ右(一)項記載の筋組織障害性の強い注射液を製造し、右障害性について何らの警告をしないでこれを販売して、安井医師をして原告患児らの身体に投与せしめ、筋拘縮症を発生させた。

(三) 被告武田および同東洋について

別紙原告患児別一覧表・注射液名欄中「クロマイゾル」と記載されている注射液は、その時期によつては、被告武田の製造、販売にかかる別紙薬品目録記載のマイクロシンゾルであるか、または被告東洋の製造、販売にかかる同目録記載のクロラムフェニコールゾル・東洋のいずれかを意味するものであるところ、右被告両社の製造、販売にかかる右各注射液は、右(一)項記載のとおり強い筋組織障害性を有しているにもかかわらず、右被告両社は、右障害性について何らの警告をしないで、これを販売して、安井医師をして原告患児らの身体に投与せしめ、筋拘縮症を発生させた。

(四) 従つて、被告製薬会社らはいずれも民法七一九条一項後段にいう共同行為者に該当し、原告患児らの被つた損害を賠償すべき義務がある。

9  被告国の責任

(一) 薬事法上の医薬品安全確認義務違反

(1) 予見ないし予見可能性

被告国の公務員たる厚生大臣は、遅くとも別紙薬品目録記載の各注射液の製造承認(許可)時までには、筋肉注射による筋肉の組織障害およびこれを原因とする機能障害である筋拘縮症の発生は知っていたか、または容易に予見しうべきものであつた。

(2) 被告国(厚生大臣)は、本件各注射液の製造承認(許可)申請の審査に当つては、その筋肉障害性とその結果発生する筋拘縮症について、これを知り、または容易に予見しえたのであるから、右製造承認(許可)申請を却下し、または申請者である被告製薬会社らに対し、医薬品の添付文書等に、適応症の範囲を限定記載させ、動物実験をした場合の筋組織障害性、運動機能障害を具体的に記載させ、かつ有害作用を最小限度にとどめる具体的措置を記載させることを条件に承認するべきであるにもかかわらず、右各製造承認(許可)申請に対し、漫然と製造承認(許可)を与えた。

また、被告国(厚生大臣)は、製造承認(許可)後、筋拘縮症についての認識を益々深めていつたにもかかわらず、製薬会社らの製造・販売するにまかせ、被告製薬会社らをして、医師に対する警告をなさしめる等被害を最小限度にとどめるための何らの適切な措置もなさなかつた。

(二) 医師法上の医療に関する指示義務違反

被告国の公務員である厚生大臣は、医師法二四条の二の規定に基づき、医療技術の有害作用による医原病等を防止するのはもとより、必要な諸情報を常に収集して医療技術の科学的点検を行い、公衆衛生上重大な危害が生ずる虞があると認めるときは、その原因の究明、対策等を調査・研究し、医師に対して、その危害を防止するため、必要な指示を行い、国民の生命、健康に対する危害の発生を未然に防止する義務を負つていたところ、昭和二一年に一例、昭和二二年に二例、昭和二七年に九例の筋拘縮症の症例報告がなされ、殊に昭和二二年以降の報告には注射が原因であると警告されているのであり、かつ具体的に発表された症例報告が既に一一例に達しているのであるから、社会通念上本症の潜在的患者数は相当数に上ることは当然予見しえた筈であり、昭和二七年には「公衆衛生上重大な危害を生ずる虞」があり、かつ昭和三〇年代に至つては既に「公衆衛生上重大な危害」が発生したのであるから、被告国(厚生大臣)は、医師に対して、筋肉注射を濫用しないよう指示し、必要やむをえざる場合のみに筋肉注射を限定するよう指示すべきであつたにもかかわらず、全くそのような指示をせず、医師が濫用するがままに放置していた。

(三) 右薬事法上の安全確認義務違反および医師法上の指示義務違反は、いずれも被告国の公務員たる厚生大臣がその公権力の行使に当つてなした過失による違法行為というべきである。

10  損害

(一) 被害の実態

(1) 各筋拘縮症による具体的な機能障害は、前記のとおりである。

(2) 原告患児らは、日常その不自由な肢体を嘲笑され、不自由な動作を模倣されるなど、重大な侮辱を受けている。これは、原告患児らの人格形成に多大な悪影響を及ぼすものである。

(3) 原告患児らの父母は、健全な成長を祈念していた吾子が、筋拘縮症に罹患したため、その治療や看護に奔走した。また、筋拘縮症の原因が不明であつた時期、奇病あるいは遺伝といわれ、多大な侮辱を受けた。

(二) 被告らの背信性

安井医師は、原告患児らに対して、全く不必要な筋肉注射をしており、これが健康保険の点数稼ぎの濫注射であることは明らかである。

被告製薬会社らは、筋肉注射液の有害性を認識しながらこれを大量に生産し、販売して巨額の利益をあげてきた。

被告国(厚生大臣)は、有害な薬品の製造・販売を放置し、危険な筋肉注射を容認し、安井医師や被告製薬会社らの営利主義的態度を背後から支持してきた。

(三) 治療方法の未確立

今日まで様々な手術がなされてきたが、現在のところ有効な確立された手術方法はない。また、手術をすることにより、大腿部等を切開され、大きなケロイドを残すという被害を被ることになる。

(四) 一律請求額と弁護士費用

(1) 原告患児らは、別紙原告主張筋拘縮症罹患態様一覧表記載のとおりの各筋拘縮症に罹患している。障害の内容や程度には差があるが、症状は可変的であり、一様に日常の挙措動作に不自由している。また原告患児らの父母も吾子の筋拘縮症によつて一様に物心両面にわたつて被害を受けている。

右のように、原告らは、被告らの不法行為もしくは違法行為によつて共通の被害を被つており、その損害の内容、程度は差異をつけがたいものであり、かつ原告らの損害は金銭に評価しがたいものであるが、とりあえず原告患児各自につき各金三〇〇〇万円、原告患児の父母それぞれにつき各金一五〇万円を下ることはないので、これを本訴において請求する。

(2) 原告らは、被告らの不法行為もしくは違法行為により被つた損害の賠償を請求するため、本訴提起を余儀なくされ、原告ら訴訟代理人弁護士らにその訴訟追行を依頼せざるをえなかつた。右弁護士らとの間で、それぞれ右損害額の一五パーセントに相当する金額を費用として支払う旨を約したが、右費用も右不法行為もしくは違法行為と相当因果関係にある損害であり、被告らにおいて賠償する責任がある。

11  結び

よつて、原告らは、被告製薬会社らに対しては、民法七〇九条、七一九条にもとづき、被告国に対しては、国家賠償法一条一項にもとづき、請求の趣旨記載の金員を連帯して支払うよう求める。

二請求原因に対する認否

(被告製薬会社ら)

1 請求原因1、(一)の事実は不知、同(三)、(四)の事実は認める。

2 同2、(一)ないし(四)の事実は認める。

3 同3、(一)ないし(四)の事実および主張は、否認ないし争う。

4 同4、(一)、(二)の事実は不知。

5 同6、(一)、(二)の事実および主張は、否認ないし争う。

6 同7、(一)の事実(但し、各薬品が筋肉注射用のものであることは認める。)および主張は否認ないし争う。

(被告武田)

同7、(二)の事実は認める。

7 同8、(一)、(二)の事実は否認する。

(被告武田および同東洋)

同8、(三)の事実は否認する。

8 同10、(一)、(1)の事実は認め、同(一)、(2)、(3)、同(二)ないし(四)の事実および主張は、不知ないし争う。

(被告国)

1 請求原因1、(一)の事実は不知。

2 同1、(二)のうち、安井医師が、肩書地において安井医院を開業している者であることは認めるが、その余の事実は不知。

3 同1、(三)の事実(但し、発売年月日については不知。)は認める。

4 同1、(四)の事実は認める。

5 同2、(一)ないし(四)の事実は認める。

6 同3、(一)ないし(四)の事実および主張は否認ないし争う。

7 同4、(一)、(二)の事実は不知。

8 同9、(一)ないし(三)の事実および主張は、否認ないし争う。

9 同10、(一)、(2)、(3)の事実は不知、同(二)のうち、被告国に関する部分は否認する。

10 同10、(三)のうち前段の事実は否認、後段の事実は不知。

11 同10、(四)、(1)、(2)の事実および主張は、不知ないし争う。

三被告エーザイの異議

1  原告ら患児の筋拘縮症罹患部位は訴状に明記されていたところであり、さらに原告らは被告エーザイの求釈明に対してネオフィリンM注の注射部位は罹患部位であるというのであるから、原告らの昭和五九年九月一七日付第三五回準備書面による原告ら患児の一部に関する罹患部位の変更の申出は、打撃の個所および被害発生の個所を変更するもので不法行為訴訟の要件事実そのものにかかり、単純な事実上の主張の訂正、補充にとどまるものではなく、請求原因の変更に当る。

そして、打撃および被害発生の個所を異にする不法行為訴訟は既判力の抵触なしに別訴あるいは再訴として訴提起できる道理であるから、右訴変更は請求の基礎を変更するものであつて許されないものといわなければならない。

2  また、本件は提起後八年を経過し、やがて終結に至ろうとしている。訴訟の最終段階に至つてこのような重要な主張の変更がなされた場合、被告側としてもこれに対する主張、立証を再検討せざるを得ず著しく訴訟を遅滞させることとなるので、このような変更は許されないものといわなければならない。

なお、攻撃防禦方法としても時期に遅れていることが明らかであるから、却下されるべきである。

第三証拠《省略》

理由

第一  書証の成立

理由中において認定に供した書証のうち、本件記録中の書証目録・認否欄に「認」と記載のあるものについては、成立(写については原本の存在および成立、また写真については被写体、撮影者等に関する主張事実)について当該当事者間に争いがなく、その余のものはいずれも弁論の全趣旨により真正に成立したものであること(写については原本の存在およびこれが真正に成立したものであること、また写真については被写体、撮影者等に関する主張事実)を認めることができる。

以下において、書証の引用は、その符号および番号のみをもつて表示する。

なお、書証中、当該書証摘示に際して文献番号を付してあるものは、文献番号によつても引用するものとする。

第二  当事者等

一原告ら

弁論の全趣旨によれば、別紙原告目録記載の原告らのうち、同目録・原告番号欄中にAの符号を付してある者が安井医師の診療を受けた患児であること、同目録・原告番号欄中にBの符号を付してある者が原告患児らの父、同目録・原告番号欄中にCの符号を付してある者が原告患児らの母であることを認めることができる。

二安井医師

原告らと被告国との間においては、安井医師が原告ら主張の場所において医院を開業している医師であることは争いがなく、弁論分離前の被告安井清本人尋問の結果(以下「被告安井本人尋問の結果」という。)によると、原告らと被告製薬会社らとの間において右事実を認めることができる。

三被告製薬会社ら

被告製薬会社らが、いずれも医薬品の製造販売を業とするものであり、別紙薬品目録記載の各薬品を現に製造販売し、またはかつて製造販売したものであることは当事者間に争いがない。

四被告国

被告国が、厚生大臣をして医事および薬事に関する行政を担当させていること、厚生大臣が別紙薬品目録記載の各薬品につき同目録・製造承認(許可)年月日欄記載の日時に製造承認(許可)をなしたことはいずれも当事者間に争いがない。

第三  筋拘縮症の病態、診断および治療

一筋拘縮症

請求原因2の(一)ないし(四)記載の事実(筋拘縮症の意義)は当事者間に争いがなく、右事実に<証拠>を総合すると、次の事実を認めることができる。

筋拘縮症(以下「本症」ともいう。)は、大腿四頭筋拘縮症、三角筋拘縮症および殿筋拘縮症の三種に代表される筋肉障害疾患の総称である。

その本態については、各拘縮部位の筋肉の瘢痕化(線維化)にともなう瘢痕性拘縮が各該当部位の関節等の運動機能障害を惹起するものであることが解明されている。

なお、本判決では「筋拘縮症」の用語を使用するが、文献等において「筋短縮症」の用語を使用しているものは、その用語のまま引用する。

二大腿四頭筋拘縮症

1大腿四頭筋の構造

大腿四頭筋は、「大腿の筋」のうち、前面にある前大腿筋(伸筋)の大部分を占める第二層に属する四頭からなる筋の総称である。四頭の筋の共同の腱は膝蓋骨を種子骨として包み、さらに下方に進んで膝蓋靱帯となって脛骨粗面に付着する。四頭の筋の内訳は、三個の単関節性広筋と一個の二関節性直筋であり、全体として下腿を伸ばし、大腿直筋のみは大腿を上方に挙げる働きがある。

(一) 大腿直筋

起始部は二腱に分かれ、太い円柱形の一腱は腸骨前下棘から始まり、他の扁平な腱は寛骨臼の上縁から始まる。筋腹部は紡錘形となり、末梢部は膝蓋骨の上方で扁平腱となつて他の三腱と合している。

(二) 外側広筋

起始部は大転子の基底、大腿骨粗線の外側唇および外側筋間中隔から始まり、下内側方に向かい末梢部は他の三腱と合している。

(三) 内側広筋

起始部は転子間線と大腿骨粗線の内側唇から始まり、斜めに下外側方に向かい末梢部は他の三腱と合する。

(四) 中間広筋

起始部は、大腱直筋に被われて大腿骨幹部の前面から始まり、下方に走つて末梢部は他の三腱と合している。

従つて、大腿直筋は、股関節および膝関節に跨がる二関節性筋であり、膝関節を伸展する作用と同時に股関節をも屈曲する関連作用があり、一方各広筋は膝関節のみを跨ぐ一関節性筋であり、膝関節のみの機能に関与する。

2病態

大腿直筋が障害を受けて拘縮を起こすと、起立および正坐時などに腰椎前彎を呈する。股関節を伸展位として筋を緊張させた状況では、膝の屈曲制限を生ずることになり、他方広筋群の方に障害があると、股関節を屈曲した状態でも膝の屈曲制限を生ずることになる。

大腿直筋は筋の作用としては、股関節の屈曲と膝関節を伸展させる作用をあわせもっているが、その構造が矢羽状を呈することから、筋の部分的変性が容易に線維化した索状物を形成しやすいことになる。

3診断

(一) 膝の屈曲障害

(1) 直筋型

股関節伸展位においてのみ膝の屈曲が障害され、反対に股関節屈曲位においては膝の運動は正常である。これは主として大腿直筋が障害されているもので、腹臥位において膝を曲げた場合には、股関筋が屈曲位をとり尻上がり現象が陽性となる。大腿四頭筋拘縮症の約八〇%はこの直筋型を示す。

(2) 広筋型

股関節の肢位に関係なく、常に膝の屈曲が一定の角度に障害されているもので、主として中間あるいは外側広筋が障害されている。尻上がり現象は陰性である。

(3) 混合型

この類型に該当する場合、直筋型と広筋型の症状が混在することになり、膝の屈曲は常に障害されているが、その角度は股関節の肢位によつて変化する。尻上がり現象は陽性である。

(二) 正坐障害

直筋型の場合は、正坐不能とまではならないまでも、左右の膝頭が揃わないとか腰椎前彎の増強などが認められ、さらに大腿前面もしくは外側に縦走する線維化した索状物をみることがある。混合型、広筋型では、正坐不能の場合が多い。

(三) 歩行、走行の異常

遊脚時に膝の屈曲が十分にできないことから、代償性に股関筋を屈曲、外転、外旋位に振り出して歩くことが多い。このほか、跛行、尻ふり、出つ尻歩行もみられるが、ことに走行時に顕著になることが多い、さらに転びやすい、疲れやすいなどの症状がみられ、年長児では痛みを訴えることがある。

(四) その他

注射部位と思われるところに一致し、皮膚瘢痕、陥凹、皮下組織との癒着などのほか、大腿部の筋萎縮がみられることがある。さらに拘縮の程度が強まると、腱側に比べ膝蓋骨が高位を呈するようになつたり、またまれには外側広筋などの拘縮がより高度となれば、膝蓋骨が外側に亜脱臼を呈してくることもあり、膝の外反を発生することすらある。

4治療

(一) 保存的治療

発症間もない例軽症例および乳幼児例などについては自然に症状の緩解が期待しうる。従つて保存的に経過を観察する必要がある。この保存的療法としては、マッサージ、徒手矯正、器械矯正、機能訓練、各種理学療法および装具療法などが行われるが、日常の活発な運動や遊びの奨励などにより、関節の運動範囲を増加させ、同時に筋力の増強を図る必要があるとされている。

(二) 手術的治療

日常生活の不自由が大きな高度拘縮例は手術適応になるが、手術法については、これを大別すると、次の四つに分けられる。

① 大腿直筋起始部切離

② 大腿直筋中央部の瘢痕切離、切除

③ 中間広筋切離、切除

④ 大腿四頭筋総腱部での部分切離、延長

このうち、①は直筋型に、②は直筋型と混合型に用いられる手術方法であるが、①は経年的に術前の状態に戻る傾向をもつ欠点がある。③、④は広筋型に対して用いられる方法であつて、④に属する形成術には種々な方法がある。

三三角筋拘縮症

1三角筋の構造

三角筋は、「上肢の筋」のうち、外上肢帯筋に該当する筋であり、鎖骨外側三分の一、肩峰および肩甲棘などから起こり、肩関節を包み、上腕骨の三角筋粗面に付着する一関節性筋である。この起始部の関係から、鎖骨部、肩峰部および肩甲棘部に分けられる。この筋の機能としては、肩関節の挙上運動を司るが、屈曲(前方挙上)は鎖骨部、外転(側方挙上)は肩峰部、伸展(後方挙上)は肩甲棘部が主な役割を演じている。肩峰部は、他の二部と異なって、筋線維の走行と平行に走る腱様組織があり、この腱から筋線維が羽毛のように起こつて多矢羽状を呈するという特殊構造をもつている。

2病態

三角筋は、右のような特殊構造をなした肩部の丸味を作つているものであるが、機能面では、上肢の外転運動は肩甲骨と上腕骨頭間で行われているだけでなく、これに肩甲骨の回旋運動が加わっているので、かような特殊構造と機能の特異性から、三角筋部に変性、さらに線維化が起これば拘縮症へと発展することになる。なお、肩峰部は、右多矢羽状構造を呈するという特殊構造をもつているため、この筋線維に変性が生じると、容易に腱様組織と合して線維性索状物を作ることになる。

3診断

(一) 肩の外転位拘縮

起立位で、上肢を自然下垂した場合に、腕が体壁につかず、体軸に対し外転位をとる。なお、肩甲骨固定時には、この外転位角度は一〇ないし一五度前後増強する。

(二) 肩の伸展位拘縮

起立位で上肢を自然下垂した場合、外転位拘縮と同時に上肢が後方に引かれた状態を示す。この伸展位拘縮は、肩甲棘部の拘縮が強いほど顕著にみられる。これに伴って、上腕骨骨頭の前方突出、さらに肩甲上腕関節脱臼などの二次的変化が生ずることがある。

(三) 翼状肩甲骨

起立位での上肢自然下垂位を背面からみると、翼状肩甲骨を呈する。これは三角筋拘縮による肩の内転制限に対し、肩甲骨が代償性に過剰運動を示すことに由来する。

(四) 反対肩掴みテスト

肘を体壁につけたままの手で、反対側の肩がつかめるか否かを検索するものである。正常の場合は、肘を体壁につけたまま反対側の肩を手でつかむことができるが、拘縮のある場合にはできにくくなる。ごく軽症の場合に、肘を体壁につけ肩を手でつかめたとしても、翼状肩甲骨を認めることができる。なお拘縮の程度によつて肩峰から指尖間距離差が顕著になる。

(五) 姿勢の異常

片側性の場合、患側の肩が下がり脊柱側彎を認めることが多く、両側性の場合には肩幅が狭く、なで肩となり、円背を呈することが多い。

(六) その他

注射部位と思われるところに一致し、皮膚瘢痕、陥凹、皮下組織の癒着などのほか、三角筋部に萎縮をみたり、肩峰部に相当するところに線維性索状物を触れることが多い。

4治療

(一) 保存的治療

新鮮例、軽症例あるいは年少例については、保存的に経過を観察する。マッサージ、徒手矯正、器械矯正あるいは系統だつた機能訓練などはとくに必要ないが、日常生活の中で活発な運動を行わせ、筋力の低下を予防するなどが重要であるとされている。

(二) 手術的治療

手術法はこれを大別すると次のように分けられる。

① 線維性索状物の切離、切除

② 線維性索状物の切離、切除と三角筋肩峰部切離

③ 線維性索状物の切離、切除と三角筋肩峰部切離および肩甲棘部部分切離

④ 線維性索状物の切離、切除と三角筋肩峰部切離および肩甲棘部前進術

①、②の手術法は、一般に再発の度合が高い。とくに①のみでは再癒合をきたすおそれが強い。③は、①、②に比べ、切除範囲は大きく、死腔を残し、肩の丸味を消失させるなどの欠点を有している。④の方法はもつとも合理的なものといえるが、年少例には避け、むしろ年長例に適用されるべきものであるとされる。③、④の場合には、健常と思われる肩甲棘部を解離する度合は、術中の肩内転制限および伸展位拘縮の消失をもつて指標とするものとされている。

四殿筋拘縮症

1殿筋の構造

殿筋拘縮症として関与する殿筋群は、大殿筋が主であり、これに中殿筋および小殿筋が加わつたり、さらに大腿筋膜張筋や腸脛靱帯が関与することがある。

大殿筋は、方形を呈し、粗大な筋束が集まつてできたもので、腸骨翼の外面で、後殿筋線の後方・仙骨および尾骨の外側縁・胸腰筋膜・仙結節靱帯から起こり、下外側方に走り、大転子を越え、浅層は大腿筋膜の外側部で腸脛靱帯にうつり、深層は大腿骨の殿筋粗面に停止する。大殿筋の作用は、下肢を後方に挙げ外旋し内転する。また、その上部の筋はとくに大腿広筋膜を緊張させる。

中殿筋は、三角形を呈し、下方の大部分は大殿筋に被われており、腸骨翼の外面で前および後殿筋線の間、腸骨稜の外唇および殿筋膜から起こり、前部は後下方、中部は下方、後部は前下方に向かい、広い終腱となつて大転子尖端の外側面に停止する。中殿筋の作用は、大腿を外転、外旋し、後方に挙げる。

小殿筋は、大、中殿筋に被われる扁平三角形の筋であり、腸骨翼の外面で前殿筋線と下殿筋線との間、または下殿筋線の下方から起こり、筋束は集まつて下外側方に向かい、大転子の内側面に停止する。小殿筋の作用は、中殿筋と同様のものである。

2病態

大殿筋に拘縮が生じれば、立位で股伸展位に、坐位では股外転位の変形を起こす。中殿筋および小殿筋に拘縮が生じれば、立位で股外転位を示すものの、坐位および蹲居位では変形がみられない。

3診断

(一) 歩行、走行の異常

歩容は歩幅が小さく、下肢を外転、外旋して歩く、階段を昇ることが困難になり、走らせるとこれらの変化は一層顕著になり、かつ転倒しやすい。重症例では尻ふり歩行も目立つてくる。

(二) 坐位障害

正坐は不能である。あぐらとか坐位をとらせると、腰部後彎を示し後方に倒れやすい。椅子に深く坐れず、坐つても股が開き、股内転ができにくくなる。膝を揃えてしやがめないなどの障害を示す。

(三) 弾発股

仰臥位もしくは側臥位で股を屈伸させると、大転子部で雑音がしたり、抵抗感があつたりする。これらは腸脛靱帯が異常に肥厚したりして、大転子部を通過する際に発するものである。

(四) その他

注射部位に一致して、皮膚の瘢痕、陥凹、皮下組織との癒着および筋の上方部に、縦走する線維性索状物を触れることが多い。このほか殿筋の萎縮が、とくに殿部外側部にみられる。

4  治療

(一) 保存的治療

新鮮例、軽症例あるいは年少例については、保存的に経過を観察する。また、三角筋拘縮症の場合と同様に、日常生活のなかで活発な運動を行わせ、筋力の低下を予防することが重要であるとされている。

(二) 手術的治療

陳旧例となり日常生活動作上支障のあるような場合に行われるべき手術法については、これを大別すると次のように分けられる。

① 線維性索状物の切離、切除

② 線維性索状物の切離、切除と周囲瘢痕部(とくに中殿筋)剥離

③ 大殿筋付着部腱延長

④ 大殿筋付着部腱および腸脛靱帯切離

このうち、①、②は一般的に再発の度合が高いといわれている。③については加令とともに、再発するおそれがあると考えられている。④の方法は、大殿筋拘縮症のみの場合には最適とされている。

第四  筋肉注射に起因する筋拘縮症の発症

一筋拘縮症の実態

<証拠>によれば、筋拘縮症発症の実態および本症についてなされた検診結果報告として以下の事実を認めることができる。

なお、集団検診等に関する報告文献の内容については、当該文献番号に対応する別紙集団検診等報告一覧表記載の書証によりこれを認めることができる。

1  発端

(一) 昭和四八年九月ころ、山梨県南巨摩郡鰍沢町の保健婦らによる発見が契機となつて、同県における筋拘縮症の集団発生の事実が明らかとなつた。同年一〇月には新聞報道等にも取り上げられ、同県の公的機関として、「山梨県大腿四頭筋短縮症委員会」が設置された。

(二) 山梨県における筋拘縮症患児の親が中心となり、「子供を守る親の会」等の名称の下に各団体を組織した。一方、全国各地の整形外科医、小児科医らのうちの有志が自主的に参加する形式の検診会が、同年一二月、同県において、右「親の会」等主催の下に開かれた。その後、右有志の医師らは、「注射による筋短縮症自主検診団(以下「自主検診団」という。)と称し、全国各地における検診会を行い、筋拘縮症患児の発見、救済等の活動を推進し、これを受けて、全国各地においても、筋拘縮症患児をもつ親の会が組織されていき、これらは昭和四九年五月二六日、「大腿四頭筋短縮症の子供を守る全国連絡協議会」の結成に際し、これに統合されるに至つた。

(三) 厚生省は、山梨県における集団発生の報告を受けた時点から、省内の連絡会議をもつとともに、昭和四九年二月、日本大学医学部整形外科佐藤孝三教授に対して、筋拘縮症の調査研究を依頼した。その後、同省の公的機関として、右佐藤教授を中心として「大腿四頭筋拘縮症に関する研究」班が、同年五月二二日に発足し、同班では、①医療機関に対するアンケート調査による患者の実態調査、②診療基準の設定、③治療基準の設定、④動物実験による発生機序に関する研究を行つた。右研究班のほかに発生予防に関するグループとして国立小児病院小児科堀誠医長を班長とする研究グループが発足した。昭和五〇年五月、右両班が統合されて「筋拘縮症研究班」となり、同年六月右各研究班の陣容を強化し、さらにリハビリテイションの研究グループを設立し、それぞれ診断治療部会、発生予防部会、リハビリ部会と改称した。

また、厚生省は、患者の発見の目的で、都道府県に対して、次のことを指示した。

(1) 保健所における乳幼児健康診査および三歳児一般健康診査で下肢の異常の発見に努め、その結果、下肢に障害があると考えられる者については、療育の指導等による健診または三歳児精密健診を行い、本症診断の確立に努める。

(2) 前記の一般健診を受診しないもので下肢に障害があると思われる児童については、広報活動等を通じて早急に療育の指導等による診査をうけるよう指導する。

(3) 本症と診断されたものについては、名簿等を作成し、常にその把握に努め、また必要な療育についての相談、指導等を行う。

(4) 健康診査の実施にあたつては、保健所等関係機関および市町村との連絡協調を密にし、管下の市町村住民に対しても周知徹底を図る。

なお、そのほかの健診の方法として、本症に対する特別集団健診があり、これは整形外科医などの専門医を中心としたティームが日時を決めて本症のみを巡回しながら健診していくものである。

2筋拘縮症発生の規模

(一) 全国的分布状況と患児総数

昭和四八年、山梨県で本件原告患児らを含む筋拘縮症の集団発生が発見されて以来、自主検診団による調査、厚生省集計によつて全国における本症の分布の事実が確認された。

自主検診団による調査の結果確認された本症の患児数は、大腿四頭筋拘縮症二九一一人、三角筋拘縮症一三六人、殿筋拘縮症一〇六人、その他の筋拘縮症(縫工筋、上腕三頭筋、上腕二頭筋、大円筋等)が一三人の合計三一六六人であり、その詳細は別表A―1のとおりである。

厚生省による調査の結果、昭和五二年一一月末の集計では、大腿四頭筋拘縮症四一一九人、三角筋拘縮症四七八人、殿筋拘縮症三四人であり、その詳細は別表A―2、3のとおりである。

(二) 年令分布

自主検診団による調査の結果によれば、各筋拘縮症患者年令分布は、別表A―4ないし6のとおりである。

厚生省による調査の結果によれば、各筋拘縮症患者年令分布は、別表A―7のとおりである。

(三) 年次別患者数

昭和四九年、厚生省大腿四頭筋拘縮症研究班は、一〇三七医療機関に調査を依頼し、全国主要病院整形外科受診患者を対象としたアンケート調査結果を行なつたところ、回答を得た二五五医療機関からの報告二四〇四例の一覧表は、別表A―8のとおりである。

(四) 注射回数と有症者

自主検診団による全国調査の結果によれば、注射歴のある受診者を注射回数別に分けて、拘縮症が発症した割合を調べたところ、注射回数の増加とともに、有症者率が著明に増加することが明らかにされた。

右の大腿部への注射本数と大腿四頭筋拘縮症の発症状況に関するグラフは、別表A―9のとおりである。

3集団発生

(一) 山梨県における筋拘縮症の集団発生が発見される以前においても、昭和三八年静岡県伊東市宇佐見の四〇例、昭和四〇年福井県今立町の五二例、昭和四五年名古屋市の一一例等いずれも相当規模の集団発生があり、当該地域において問題とされた。

(二) 自主検診団による調査結果によれば、二人以上の患児の発生をみている医療機関は、大腿四頭筋拘縮症が一〇〇施設、三角筋拘縮症が五施設、殿筋拘縮症一施設であり、一一人以上の患児が確認された施設は、大腿四頭節拘縮症一五施設、三角筋拘縮症四施設、殿筋拘縮症一施設であり、その詳細は別表A―10のとおりである。

(三) 右の各多発施設にとくに筋肉注射を必要とする症例が集中した形跡は認められない。そして、右の静岡県伊東市および福井県今立町における集団発生ならびに大阪府岸和田市、山梨県鰍沢町、京都府網野町等における集団発生は、いずれも当該地域において社会問題化して、当該多発施設での注射が激減するにともない解消した。

4集団検診結果等の詳細

(一) 自主検診団による調査結果等

(1) 一都二府二〇県における集団検診結果(文献一―一)

昭和四八年末、山梨県における本件原告患児を含む大腿四頭筋拘縮症患者の大量発生が報ぜられて以来、全国各地で行つてきた検診結果の第四八回日本整形外科学術集会(昭和五〇年四月九日)における報告。その報告内容は次のとおりである。

受診者は一都二府二〇県、八五〇六名で、うち大腿四頭筋拘縮症患者は一四九三名である。性比は約六対四で男が多く、年令分布は八か月から一九歳までで三歳が最も多い。罹患肢は二四二五肢で、左右差はないが両側例は六割に認められた。病型は大腿直筋型が七八%と最も多く、中間広筋型は三%、それらの混合型は一九%、その他が若干例あつた。ADL(正坐および歩容)と膝の屈曲角度を考慮して定めた症度別は、重症二〇%、中症二五%、軽症五五%であつた。発症年令は一歳から二歳にかけての歩行開始時期に多く、非手術例五二四例についてみると、尻上がり角度、症度の分布は、加令、発症後経過年数とともに悪化する。

大多数の患者が一歳までに大腿部注射をうけており、その主な原因疾患は風邪(四五%)、胃腸障害(一〇%)、肺炎(七%)、発熱(七%)であつた。薬剤としては抗生物質、解熱剤が多く、受診者の注射回数と発症頻度をみると、明らかに正の相関が認められた。

なお、検診においては、大腿四頭筋拘縮症以外に、殿筋拘縮症一五例、三角筋拘縮症七例、上腕三頭筋拘縮症六例が発見された。

(2) 全国三九都市における集団検診結果(文献一―二)

自主検診団が過去一年四か月間に全国三九都市で行つた検診結果の第四八回整形外科学会総会における報告。その報告内容は、次のとおりである。

受診者総数は一万一〇五九名で、大腿四頭筋拘縮症と診断したものは二二五九名、拘縮症の症状はないが、大腿部に皮膚硬結、陥凹、皮下索状物を認めるものを含めると四九四一名に大腿部注射による障害を認めた。大腿四頭筋拘縮症のほかに、三角筋(四七各)、殿筋(二六名)、上腕三頭筋(一二名)の各拘縮症が発見された。

大腿部注射を受けた回数が多ければ、大腿四頭筋拘縮症の発症率も高くなるという正の相関があり、筋注は部位を問わず厳密な適応のもとに行うべきである。病型は、直筋型(七九%)、広筋型(四%)および混合型(一七%)に大別した。大腿部注射を受けた際の原疾患は、風邪六八%を筆頭に、胃腸障害、扁桃炎、発熱など必ずしも注射による治療を必要としないものが多い。注射を受けた年令は一歳未満が七〇%を占め、発症は一、二歳の歩行開始時期に気付く場合が多い。

保坂武雄は、右報告後の討論において、大腿直筋につき、その起始腱および附着腱は大腿部の中央から下三分の一の部分で特に接近し、起始腱はこの部分で筋肉内に入りこんでいるため、筋肉に障害を与え、筋肉を瘢痕化させる薬剤が注入されれば容易に腱と腱とは結ばれて拘縮の原因となり、一回の注射でもその可能性はあり、回数が増せばその危険性が増すのは当然であると発言する。

(3) 京都地区における検診結果

(あ) 第一次調査報告(文献一―三)

昭和四九年八月三、四日の両日、京都地区第一次検診を行つた結果の第二九三回日本小児科学会京都地方学術集会(昭和四九年一一月一七日)における報告。その報告内容は次のとおりである。

受診者総数は二八六名、大腿四頭筋拘縮症と診断されたものは七九名で、要観察者(尻上り現象などで疑陽性であるか、大腿部に硬結、索状硬化などを有する者)九五名を加えると六〇%に達した。右拘縮症患者は、全員に大腿部の注射の既往歴があり、患者の内重症者(尻上り角度が三〇度以内)は一六%にのぼつた。拘縮症は、昭和二一年森崎が初めて報告し、昭和三五年以後の報告で、注射が原因であることは、ほぼ定説になつている。

(い) 第二次調査報告(文献一―四)

前回の京都地区第一次自主検診報告に続き、舞鶴地区自主検診、小学校・幼稚園の集団検診結果を第二九四回日本小児科学会京都地方会(昭和五〇年二月二三日)において報告したもの。

受診者数四九二名、拘縮症患者三二名(6.5%、三角筋障害四名、手術例一名を含む。)、要観察者八三名(16.9%)であつた。発生率は注射本数が多くなる程高くなつており、一歳以下ないし長期の注射歴のある者に発生数が多いという傾向がみられた。注射時の病名はかぜ、自家中毒、下痢が半数を占めた。

(う) その後の報告(文献一―五)

昭和四九年一二月および昭和五〇年三月の二回にわたり、京都府竹野郡網野町において自主検診を行い、三負筋拘縮症の実態調査をなした結果の第七九回日本小児科学会における報告。その報告内容は次のとおりである。

二回の検診における受診者は、生後一〇か月より一二歳までの二三三名で、主訴、発症状況、注射歴などの問診の後、診察を行つた。

(ア) 総数と内訳

受診者二三三名のうち、三角筋拘縮症九二名、同症の要観察一〇名、皮膚障害三三名と、三角筋部の異常を認める者が過半数を占めており、他に、大腿四頭筋拘縮症四名、同症の要観察八名、皮膚障害一二名、殿筋拘縮症三名が発見された。

(イ) 年令別分布

拘縮症患者は、三歳以後一〇歳までみられるが、皮膚障害者は一歳から四歳と、低い年令層に多くみられる。このことは、皮膚障害者の中から今後拘縮症の発症する可能性も考えられることを示している。

(ウ) 左右肢別罹患

三角筋拘縮症患者の左右肢別罹患状況は、左八八肢、右三四肢と左側が右側に比較して圧倒的に多い。これは特定の医院で注射を受けた者が多く、その場合左側のみに注射をうたれた者が多いこと、また両側に注射をうたれた者でも、左側にうたれた本数が多いという問診の結果にも一致する。

(4) 京都、舞鶴、高松および徳島、計四都市における集団検診結果(文献一―六)

全国各地での大腿四頭筋拘縮症の自主検診の中で、京都外三都市、総数一四八六名を対象に注射との関係を考察し、第七八回日本小児科学会(昭和五〇年五月一六ないし一八日)において報告したもの。その報告内容は次のとおりである。

大腿部への注射本数と大腿四頭筋拘縮症の発生頻度との関係をみると、本数が一本から一〇本では右拘縮症は受診者の四%、一一本ないし二〇本では六%、二一本ないし四〇本で八%、四一本ないし八〇本で一五%、八一本ないし二〇〇本で一八%、二〇一本以上では三〇%と頻度が増加し、大腿部への注射本数が多いほど大腿四頭筋拘縮症の発生頻度は高くなることを示している。また、大腿部に注射歴のない者総数四四一名の検診を行う中で大腿四頭筋拘縮症と診断された者は発見されなかつた。これは先天性拘縮症があるとしても極めてまれであり、むしろほとんどないことを示している。

次に、注射開始時期と大腿四頭筋拘縮症および要観察者の発生頻度との関係をみると、初回注射時期が〇ないし一か月では拘縮症一八%、要観察者四九%、一か月ないし六か月では拘縮症八%、要観察者四五%、六か月ないし一二か月では拘縮症一〇%、要観察者三六%、一二か月ないし二四か月では拘縮症八%、要観察者二八%となり、大腿部に注射をうたれ始める時期が早いほど、大腿四頭筋拘縮症、要観察者になる可能性が高いことを示している。

また、初回注射時期での受診時年令別の拘縮症発生頻度をみると、年令が大きい者ほど発生頻度が高く、初めて注射をうたれた時期より経過が長くなるほど成長によつて拘縮が出現する率が高くなることを示している。

最後に、未熟児と成熟児での大腿四頭筋拘縮症の発生頻度を比較すると、未熟児では、二五%、成熟児では九%と明らかに未熟児の拘縮症の発生頻度が高いことを示している。

以上の結果から、大腿四頭筋拘縮症は、ほとんどすべてが大腿部への注射が原因と考えられ、先天性拘縮症はほとんどないといえる。また他の筋肉部位への注射も同部位の拘縮症を発生させることも明らかである。

(5) 大阪地区等における検診結果

(あ) 大阪府下における大腿四頭筋拘縮症の集団検診結果(文献一―七)

第二一回大阪小児科学会(昭和四九年九月八日)における報告。その報告内容は次のとおりである。

自主検診受診者八三九名中、大腿四頭筋拘縮症三一二名、要観察者二〇八名であつた。注射本数の増加とともに発症率が高くなり、その八〇%は風邪、発熱、下痢等の症状における筋注で、重症感染症、手術等での筋注は一〇%にも満たない。

吉田範昭は、討議のまとめとして、注射の回数、程度については不明な点もあり、医療機関の協力が必要であるが、一本の筋注でおこつたという報告もあるとする。

(い) 大阪、兵庫、沖縄の小学校、幼稚園、保育所における大腿四頭筋拘縮症の集団検診結果(文献一―八)

大阪、兵庫、沖縄で、小学校、幼稚園、保育所の健診を行い、各地域の結果を比較したものの、第七八回日本小児科学会総会(昭和五〇年五月一六ないし一八日)における報告。その報告内容は次のとおりである。

(ア) 診断基準

尻上り角で、外角一三〇度以下を患児、〇から三〇度を重症、三一ないし六〇度を中症、六一ないし一三〇度を軽症、一三一度以上で陽性のものを要観察者とする。仰臥位股関節最大屈位の膝関筋屈曲制限があれば、〇ないし一二〇度重症、一二一ないし一四〇度中症、一四一度以上軽症とし、この所見で型分類を行う。大腿部に、筋内索状物、皮下硬結、皮膚陥凹があり、大腿四頭筋拘縮症でない者も要観察者とする。

(イ)結果

受診者は、〇歳から一二歳の二六六六人、有症者二八八名、重症二名、中症四名、軽症二八二名。年令別有症者は、五歳を頂点に山型を示す。年令別有症率は六歳を頂点とし、五歳以前の漸増は骨成長による発症を意味し、一歳から三歳児では三年以内に増加する可能性を示唆する。

施設別では、大阪府下の一校四園三保育所のすべてに患児が発見され、有症率2.7%ないし20.7%である。

兵庫県下三校二園の検診でも、全施設に患児が見出され、有症率1.7%から10.1%、平均6.7%である。

一方、沖縄県での一校一園二保育所検診では、有症率〇から4.6%、平均1.7%と有意に低率である。

右のとおり沖縄での発症率が低率であることより、本土復帰以前の医療制度の相違を思い、制度の持つ重要性が痛感させられる。

(6) 北陸三県における大腿四頭筋拘縮症の集団検診結果(文献一―九)

第五四回北陸整形外科集談会(昭和五〇年三月九日)における報告。その報告内容は次のとおりである。

昭和四九年七月以降、北陸三県で自主検診を実施し、受診総数一三二九人中三六八人の大腿四頭筋拘縮症患者を確認したが、全員に乳幼児期に注射をうけた既往があり、大部分は頻回に注射をうけたものであり、病型では大腿直筋型が八七%と大部分を占め、中間広筋型、混合型に重症者が多かつた。

(7) 東北地方における集団検診の際の殿筋拘縮症の検診結果(文献一―一〇および一一)

殿筋拘縮症について、大腿四頭筋拘縮症の自主検診および福島検診でみられた三一例を分析検討し、検査方法および障害度判定基準を設定して検討し、文献一―一〇については、第四八回日本整形外科学会総会で、文献一―一一については、第七九回日本小児科学会で報告したもの。その報告内容は次のとおりである。

自主検診では、郡山、いわき、青森の一部で計一五名の殿筋拘縮例が確認された。これとは別に福島検診では一六名の同症例が確認された。

臨床像としては、男一四名、女一七名で、患児年令は一歳後半から一五歳までであり、罹患側は、両側二五例で、主訴は歩行異常、転倒しやすいこと、坐位困難、局所の変化の順に多かつた。殿部の所見では、陥凹が一九例にあり、板状の硬結を呈するものもあつた。股関節可動域については、直接検診をした二〇例に、特に股内外旋中間位膝屈曲位での股関節屈曲角および股九〇度屈曲位での股関節内転角を測定したところ、これらは障害度をよく反映していたため、この測定方法をもとに、拘縮の障害度を四段階(要観察群、軽度、中度、重度)に区分した。これによると、軽度四例、中度六例、重度九例であつた。

なお、右症例も含めて、殿筋拘縮症のほとんどは、乳幼児期の殿筋内注射によるものと考えるのが妥当である。

(8) 昭和五一年末までの全国における殿筋拘縮症実態調査(文献一―一二)

殿筋拘縮症の実態調査結果についての報告。その報告内容は次のとおりである。

自主検診団は、昭和五〇年九月殿筋拘縮症の診断基準を作成、昭和五一年末までに一八四名の殿筋拘縮症と要観察者を診断した。患児は、ほぼ全国に分布し、大阪、福島、福岡では二〇名を越している。有症者数では、自主検診団の確認した三角筋拘縮症よりも多い。年令分布から、大腿四頭筋、三角筋等と同様に国民皆保険以降に急増している。注射年令の点で大腿四頭筋よりは発生ピークが年長化している。重症児の日常生活は、強度の坐位困難、歩走行異常、易転倒性、用便位困難等がある。皮膚陥凹による推定注射部位では、上殿半月部が43.5%もあり、中殿筋部ともなれば六六%となる。

(9) 山梨県における集団検診結果(文献一―一三)

山梨県富士川流域における筋拘縮症の集団発生に関して検討したものの、第七九回日本小児科学会における報告。その報告内容は次のとおりである。

検診患者総数は二九〇名。このうち、大腿四頭筋拘縮症患者は二八三名、三角筋拘縮症患者は四一名、殿筋拘縮症患者は七名である。このうち、二七〇名は、特定医療機関の診療を受けていたものである。

患者は、最高一人一九九本から最小三本までの注射の既往歴を有するが、注射本数の多いほど重症例が多い。ただ、注射本数の多い割に、軽症例が存在するものもあるが、これらは、そのほとんどが、三角筋拘縮症を合併した症例か、もしくは、三角筋拘縮単独症例である。注射本数の少ない群に関しては、障度のバラツキの大きい点が目立ち、特に注射本数六〇本未満、尻上り角度六〇度以下で一つのブロックを形成し、重症例の存することを示している。なお、注射本数六〇本未満群を、六〇度以下と六一度以上の二群に分け、これを年令因子六か月未満と、一歳未満とで検討し、累積相対度数分布を求めたところ、どちらも両群はきれいに分離しており、重症例の当該時期の、注射本数の多いことが判明した。また、その平均値の差を、t検定を行つたところ、六か月以下に限定した場合、両群は危険率一%で有意、一歳以下の場合危険率0.1%で有意であつた。即ち、これらは、注射本数が少ない場合でも、若年者に投与すれば重篤な障害を生む危険を示している。

(二) 厚生省による調査結果

厚生省筋拘縮症研究班発生予防部会は、昭和五二年五月、筋拘縮症の実態調査、本症発症予防対策、代替治療剤についての検討の中間報告を行つた。その報告内容の要旨のうち、三角筋拘縮症の疫学調査に関する部分の要旨は乙リ第一四号証によれば次のとおりである。

(1) 調査目的

筋拘縮症の発生要因、予防のための具体的方法を知ることを目的とし、症例が多く発見されている地域を選んで疫学調査を行うこと。

(2) 調査方法

北海道岩見沢市において、三角筋拘縮症が比較的多数発見されているとの情報にもとづき調査を実施した。

方法としては、同市内で小児を診療している五医療機関に依頼し、現在六歳ないし一〇歳の小児であつて、乳児期からの診療録が保存してあるものを選び、診療内容を調査した。

一方、同市医師会が実施した検診結果から患者名および症状の程度を調査し、右診療記録のとれた症例と照合し、分類、集計を行つた。分類は、三角筋については、同市医師会による三角筋拘縮症の分類により、大腿四頭筋拘縮症については、北大―西札幌病院方式により、検診の結果を次のごとく分類した。

Aランク 手術を要する程度の明らかな筋拘縮症例。

Bランク 手術を要するかもしれないが、さらに精密検査を必要とするもの。

Cランク 現状では、筋拘縮症と認められないが、経過によつては症状の発現もあるので、定期的な観察を必要とするもの。

Nランク 全く異常の認められないもの。

注射剤については次のごとく分類した。

スルピリン系薬剤 スルピリンまたはこれを含む感冒剤

CP系薬剤 クロラムフェニコール系薬剤

他の抗生剤 CP系薬剤以外のペニシリン、オキシテトラサイクリン、リンコシン、カネンドマイシンなど

その他の薬剤 右以外の注射剤

(3) 調査結果

(あ) 岩見沢市内の検診対象は、三歳ないし六歳児四五〇〇、学童六一〇〇、中学生三一〇〇、計一万三七〇〇名であり、各学校における一次スクリーニングにおいて全く健康正常と判断されたものを除き、五七七名に三角筋拘縮症の精密検診が実施された。

その結果、Aランク七〇、Bランク二〇、Cランク一〇二であり、Nランク三七〇であつた。なお、同時に大腿四頭筋拘縮症単独例として、Aランク六、Bランク六、Cランク三、計一五名が発見された。筋拘縮症患児は、総計二〇七名であるが、三角筋拘縮症についてみると、三角筋拘縮症単独および三角筋拘縮症に大腿四頭筋拘縮症が合併した例は一九二例である。

(い) これまでに受けた医療と症例との関係

医療既往歴を調査しえた六〇例の内訳は、現地医師会診断基準によるAランク二八、Bランク八、Nランク二四であつた。

対象児が医療を受けた回数は、一年当りの平均回数でみると、Aランク7.2回、Bランク7.3回、Nランク6.5回であつて、三群の間に差はなかつた。

注射の行われた薬剤およびその混注について、組合せ、回数は別表A―11のとおりである。

スルピリン系薬剤(単独、筋注)の注射を受けたことのあるものは、各群とも全員であり、受けた注射本数は一側一年当りでみて、Aランク、Nランクの間において差を認めない。

スルピリン系薬剤とCPゾルとの混注を受けたことのあるものの数は、Aランクでは約六四%、Nランクで約四二%で、Aランクに多い傾向があるが、受けたものについての注射本数に差はない。

スルピリン系薬剤とCP以外の抗生剤との混注を受けたものの数は、Aランク約八二%、Nランク約三八%で、Aランクに多かつた。しかし注射を受けたものについての注射本数には差を認めなかつた。

CP単独の注射(筋注)を受けたものは、Aランク約六一%、Nランク約二一%で、Aランクに高率である。また、CP以外の抗生剤の筋注を受けたものの率もAランク約三九%に対し、Nランク約四%でAランクに高率であつた。この場合も、注射本数については差がなかつた。

その他の薬剤、ワクチンを受けたもの(主に皮下注)は、例数、本数ともに少なかつたが、Aランク、Nランクの間に差を認めていない。

(4) 結論

(あ) 患児群と正常群との間に、受療回数、受療日数の差を認めなかつた。また、両群における注射の本数にも差を認めなかつた。これは、今回の調査では受療機関が多いものが対象となつた傾向があり、三年ないし五年間あるいはそれ以上にわたつて診療録を調査しえた例を抽出したためである。

(い) 注射を受けたものの率を薬剤群別にみると、スルピリン系薬剤単独は各群とも一〇〇%であつたが、スルピリン系薬剤と抗生剤の混注、および抗生剤単独の筋注を受けたものの率は、患者群に有意差をもつて高率であつた。

(う) 今回の調査結果からみても、筋拘縮症が筋肉注射となんらかの関係があるのではないかと考えられた。患児は、六歳ないし一〇歳に多発し、中学生以上はほとんどみられなかつたが、これがある年令層に注射の行われた機会が多かつたのか、一〇歳を越えると代償的に機能が回復する可能性があるのかは、本調査結果からは明らかにされなかつた。

(え) 同程度の注射回数を受けたものの中で、筋拘縮症状の著明なものと、しからざるものと見出されていることは、本症の発生機序に体質的素因の関係する可能性も示唆する。

(三) 富沢貞造らの福井県における調査報告(文献一―一四)

昭和四五年福井県で発見された大腿四頭筋拘縮症四〇例について、医師会研究班の一員として調査した成績および昭和五〇年一〇月同県で施行した一斉調査の一部報告。その報告内容は次のとおりである。

患者は、当初四〇名が発見されたが、その後毎年数名ずつ発見され、昭和五〇年八月までに五八名に達した。これらは、すべて同一地区において、某小児科医の診療を受けたものである。原因については、昭和四〇年当時零歳児であつたものに多発しているので、同年のカルテについて調査した結果、患者は三一名、診療期間は平均一三か月、注射本数は平均三四本で、多いものとしてはイソミックス、マイシリン、ピレチア末があり、大量皮下注射は一名も受けていないが、これらを同年の患者で拘縮症をおこしていないものと比較すると、注射総数は2.6倍に達し、品目別にはピレチア、マイシリン、イソミックス等が三倍ないし6.7倍になつている。昭和五〇年一〇月の一斉検診で他の地区で新たに二三名が発見され、総計八一名になつた。

(四) 若松英吉らの宮城県における調査報告(文献一―一五)

宮城県において行われた集団検診結果の報告。その報告内容は次のとおりである。

宮城県全学童(昭和四九年一二月一日当時在学中の小・中学校生徒二六万三七二九人)を対象に、四肢関節機能障害検診を実施し(検診率九六%)、正坐障害、尻上り現象陽性、跛行のみられる者一〇〇六名を検出した。このうち、九〇二名(九〇%)を直接検診し、二四六名の大腿四頭筋拘縮症を発見した。男女比は2.3対一で、左右差はなく、これを段階に評価すると、特に処置を必要としないAランク七一、経過観察を要するBランク一一二、精査を要するCランク六三名であり、すべてを含めた宮城県の発生率は0.1083%、すなわち学童一〇〇〇人に約一名であつた。年令別にみると、一一歳を中心に発症者が多く、これに関する分析を行い、大腿四頭筋拘縮症児が一般児童と異なる身体発育の傾向をもつことを示し、また同症児は、低体重出生者が多く、新生児、乳児期において、疾病のため大腿部へ筋肉内注射を受けた者が多い。

(五) 久永直見らの報告(文献一―一六)

カルテが完全に保存されていた大腿四頭筋拘縮症三九例について、右拘縮症と注射との関係を種々の角度から検討したもの。その内容は、次のとおりである。

(1) 症例の概要

性別は、男三〇例、女九例であり、年令は二歳四か月から九歳八か月で、六歳が一六名で最も多く、四歳から八歳が八二%を占めた。医院別では、X医院は5.41±1.17歳、Y医院では7.36±1.13歳であつた。障害型は、右大腿は直筋型二三肢、混合型三肢、現在障害なし一三肢、左大腿は同様にそれぞれ三〇肢、七肢、二肢であつた。広筋型の障害はみられず、混合型のものは、いずれも直筋障害優位の混合型であつた。大腿四頭筋拘縮症の症度につき、一律に、各障害型を通じて、尻上り角度を指標として使用したところ、X医院では左大腿は右大腿よりも拘縮症の発症率が有意に高く、かつ全有症例で左側がより重症であつた。Y医院では左右の発症率に有意差はなかつたが、左側の重症度は有意に高かつた。

(2) カルテの分析

(あ) 注射薬の種類と注射本数

全体を通じてみると、総本数中に抗生物質の占める比率は50.7%、ピリン系解熱剤は41.2%、その他8.1%であつた。医院別にみると、X医院ではグレラン、レスミンが46.7%、懸濁水性ペニシリン、パラキシンが52.7%を占めた。Y医院ではオベロンが43.9%、テラマイシン、マイシリンが39.3%を占めた。打たれた注射本数五〇本以上の症例が四九%に達し、最多本数は四〇一本で二年弱の間に打たれていた。最低の発症本数は一六本で両側に発症していた(混注については別々に打つたものとして数えた。)。

(い) 注射方法

X医院では、支障のない限り、グレランとレスミンは左大腿に、懸濁水性ペニシリンとパラキシンは右大腿と決めて、それぞれ単独で筋注し、その他の注射薬については左右不明であるが単独で筋注していた。Y医院では多くの場合、抗生物質とオベロンを混合注射し、連続注射する場合は左右交互にしていた。X、Y両医院の一回注射量は、概ね能書の指示に従つていた。

(う) 注射時の原疾患

X医院では、鼻炎、咽喉炎等上気道の感染症に使われた注射が38.1%、次は喘息性気管支炎の29.4%であつた。Y医院では、流行性感冒が50.3%、次いで呼吸器感染症と消化器障害の合併の14.4%であつた。その他の医療機関でも、上気道炎、気管支炎、消化不良症が主であつた。

(え) 解熱剤使用時の体温

X医院では解熱剤使用時の体温は三七度C未満が21.3%で、三七度C台を含めると六五%に上つた。Y医院では三七度C未満が1.7%、三七度C台を含めると21.1%とX医院より少ないが体温の記載のないものが33.6%を占めていた。

(お) 注射と尻上り角度との関係

X医院群の左大腿で、グレラン、レスミンの合計本数について、右大腿で懸濁水性ペニシリン、パラキシンの合計本数についてそれぞれ、尻上り角度に対する影響を検討し、Y医院群およびその他の群では左右各々の本数が不明のため、両側の合計本数が左右のうちの重症側の尻上り角度に及ぼす影響をみた(なお、X医院の左右不明の注射については、使われた症例数、本数とも少数であるため無視した。)。その結果、X医院の左大腿群の分布は、本数が少ない間は尻上り角度の大小は不同で、幅広く分散するが、本数の増加に伴い小さな角度に収束する傾向を示したが、同医院の右大腿群の分布では、左側では重症となる本数でも尻上り現象の現われない例があり、有症例も比較的尻上り角度が大きい傾向を示した。Y医院群では尻上り角度の最大の例でも七〇度でX医院の左大腿群の重症例と重なる領域に分布していた。

(3) 考察

(あ) 注射薬の種類による筋障害性の差

X医院では、左右の注射本数を比べると、一例を除き、右側の本数は左側と同じ、またはより多いのに、拘縮症の発生率、重症度とも左側が右側を上回つていた。これは左大腿筋注薬(グレラン、レスミン群)が右大腿筋注薬(懸濁水性ペニシリン、パラキシン群)より強い筋障害性を有していたことを示している。ただし、注射の種類によつて筋障害性に差があると考えられるものの、他の医療機関で使われた薬剤等のことを併せ考えると、特定の限られた薬剤だけが拘縮症の原因となるのではなく、多数の注射薬のPH、浸透圧、溶血性からみて非生理的注射液は数多く存するものと認められる。

(い) 注射本数と尻上り角度との関係

X医院の左大腿群は、注射薬の種類、打ち方等の条件が比較的均一であるため、注射本数が少ない場合は、症状の軽重は本数以外の要因により一定しないが、本数の増加に伴いその影響が強力となり、他の因子の影響も加えて全体的に重症化するという関係を示している。ただし、少本数でも必ずしも安全とはいえず、重症になりうる点は注意されなければならない。X医院の右大腿群ではこうした関係は明らかでなく、Y医院では、左右の症状の差は、注射本数の差によると思われるが、左右それぞれの本数が不明であるため、その影響は正確には把握できない。

(う) その他の要因と尻上り角度

この点については、本数と尻上り角度との間にみられたような関係は見出せなかつたが、これは主に検討症例数の少ないことによると考えられ、尻上り角度の決定に多くの要因が様々に関与していることの反映でもあると考えられる。

(六) 森谷光夫らの追跡調査結果

報告(文献一―一七)

愛知における集団検診結果等の報告。その報告内容は次のとおりである。

昭和四九年以来、愛知を中心とした大腿四頭筋拘縮症患者の検診、治療およびカルテ分析による大腿四頭筋拘縮症とその重症化の諸要因の検討などを行つた。

検診は、昭和四九年から昭和五三年まで、毎年愛知あゆみの会の協力のもとに行われた。問診、大腿部所見のほかの検診項目は歩・走行・正坐、尻上り角度、膝関節屈曲角度などであり、これらより病型と症度を判定した。

四年間で明らかになつた患児総数は、一五一名(男一〇〇名、女五一名)で、年令(昭和五三年九月現在)は、五歳から二二歳まで平均一一歳であつた。左右別では、左側五二名、右側二六名、両側七三名で、罹患肢数は二二四肢であつた。病型別では、直筋型一六七肢、混合型四七肢、広筋型一〇肢であつた。また、この間、左直筋型三名が両直筋型に、右直筋型一名が右混合型兼左直筋型に変化した。根岸らの分類(文献二―四三)による症度別では、重症例と残りの手術例をあわせると一一三肢で、全体の約半数を占めていた。

注射との関連では、すべての症例に注射の既往があり、57.6%は生後半年以内に初回の注射を受けていた。原因疾患は、感冒が一番多く、45.7%、次いで新生児期疾患の順であつた。

(七) 宮田雄祐らの経年比較調査

報告(文献一―一八)

筋注による筋拘縮症が社会問題化して以来六年を経たので、その後の注射状況と被害の把握のため、乳幼児を対象に実態調査を行ない、前回の調査(文献一―八)と比較検討したものの報告。

(1) 方法

前回の調査と同じ幼稚園・保育園の園児九〇六名を対象に、アンケート(回収率97.9%)により注射歴の有無、注射時の疾患名、注射回数、注射部位等を調査し、検診によりADL、ROMと各種筋拘縮症の有無を調査した。

(2) 成績

年令零歳から六歳の男児四七四名、女児四三二名中各種の筋拘縮症は〇、大腿四頭筋の要観察者一名、三角筋の要観察者一名、皮膚障害は三名であつた。注射歴不明の者を除き、注射歴を有する者は三四一名(37.6%)、注射歴のない者五三九名(59.5%)。注射時の病名は、風邪二一〇(46.6%)、麻疹五一(11.3%)、痙攣二三(5.1%)、肺炎一七(3.8%)、扁桃腺炎および下痢各一六(3.5%)。注射薬は、解熱剤一七三(67.3%)、麻酔薬一六(6.2%)、ガンマーグロブリン一四(5.4%)、咳止め一三(5.0%)、リンゲル等一〇(3.9%)。注射部位は、殿部一六二(46.2%)、肩一〇二(29.1%)、大腿五三(15.1%)。注射本数は一本一七九名、二本五三名、三本以上一〇本未満七三名、一〇本以上一二名であつた。

(3) 結論

前回調査に比較し、筋拘縮症は明らかに減少し、注射本数も減少したが、依然風邪等に解熱剤が注射されており、診療内容の質的な変化がなく、要観察者が皮膚障害者の存在はその結果と考えられる。

二筋拘縮症の症例報告

各筋拘縮症に関する症例報告の存在およびその内容は以下に述べるとおりである。

なお、各症例報告内容は、当該文献番号に対応する別紙症例報告一覧表記載の書証によりこれを認めることができる。

1森崎直木の報告(文献二―一)

昭和二一年五月二七日、第一五八回整形外科集談会東京地方会における報告。但し、標題欄記載の題目のみ記載されているにすぎない。

2伊藤四郎の報告(文献二―二)

昭和二一年五月二七日、第一五八回整形外科集談会東京地方会における報告。但し、標題欄記載の題目のみ記載されているにすぎない。

3青木虎吉らの報告(文献二―三)

整形外科集談会東京地方会における報告。

青木虎吉外一名が、「大腿四頭筋短縮症」の呼称を使用して、同疾患の左記三例を報告し、第一五八回当集談会における森崎直木の報告に追加するとともに、各症例の原因を考察し、手術方法の検討ともあわせて診断上の主要点を述べる。

第一例 六歳の男児。左膝関節屈曲制限を主訴とするもので、膝関節の可動域は一八〇ないし一五三度であつたのを手術し、現在一八〇ないし四五度となつた。

第二例 八歳の女児。左膝関節可動域が術前一八〇ないし一四五度であつたのが、手術により一八〇ないし九〇度となり、跛行せず正坐が可能となつた。

第三例 二六歳の女子。左膝関節可動域が術前一八〇ないし一一〇度であつたが、手術後四か月でなお一七〇ないし一〇〇度である。

右集談会においては、追加として、森崎直木ほか四名も報告した。

水町四郎は、大腿四頭筋拘縮症二例の経験があり、二例とも注射を大腿部に受けた既往を有することから、後天的の因子が加わつた後天性のものとして右症例を位置づけており、大腿部の注射には注意を要する旨述べる。

武田栄は、大腿四頭筋拘縮症の三症例を追加し、トリアノン、ピラビタール、バグノンなどの薬剤が筋硬結をつくりやすいと述べる。

山田義智は、大腿四頭筋拘縮症の一症例を追加し、既往症で当該部位にペニシリンの注射を受けたことがあり、温湿布マッサージでインドレーションが消失し、屈曲制限が軽快したことから、注射による瘢痕様の変化が原因ではないかと述べる。

4河井弘次らの報告(文献二―四)

昭和三二年一月二六日、第二四三回整形外科集談会東京地方会における報告。

大腿四頭筋拘縮症の一九例についての報告。一九例について、先天性のもの二例、後天性のもの一七例と分類し、大腿部注射の既往歴のあるものが一二例と過半数を占め、化膿したもの五例、化膿しないもの七例、注射以外のものは五例で、その内訳は大腿四頭筋部の外傷、手術、炎症である旨述べる。また、右症例中軽度、高度の各症例について報告し、その発生原因については、組織学的所見を参考として、注射液の筋膜、筋膜内注入による筋線維の阻血性変化とか、複雑な要因によるのではないかとの考察を加え、障害の程度に差が出てくるのは、傷害を受ける筋肉の部位と範囲の相異による旨述べる。

5佐藤光雄の報告(文献二―五)

九歳の男児で乳児期に左大腿部に注射を受け、局所が炎症をおこし、その後左下肢の発育障害、左膝関節の伸展位(一八〇度)拘縮を来した大腿四頭筋拘縮症一例の報告。

6笠井実人らの報告(一)(文献二―六)

大腿直筋短縮症七症例のうち、五例は、大腿前面にリンゲル、ペニシリンの注射を受けていることが明らかにされており、二例についても何らかの注射の既往のあることが認められている。従つて、注射による癒着ということは一応考えられるとし、その原因としては異物による無菌性の炎症か、膿を作るまでには行かなかった軽い細菌感染があったかもしれないとするとともに、偶々注射針が血管を破つて血腫を作り、あるいは薬液の吸収がおそかつたために筋線維が瘢痕化すること、さらに薬液が吸収作用の強い筋線維の中に入らずに周囲の筋膜、あるいは筋束の中隔に近く入つてそこに癒着を起こすことの可能性を示唆する。そして、発症機転に関する明確なことは分からないものの、注射に際しては、厳重な無菌的操作を行うとともに、正確に筋肉内あるいは皮下に注入して、薬液を速やかに吸収させることも必要である旨述べる。

7保田岩夫らの報告(文献二―七)

大腿四頭筋拘縮症四例の報告。うち三例は、原因について、乳児期に大腿部前面に筋注を受けたことによるとし、他の一例は不明であるとする。

8松生宏文らの報告(文献二―八および九)

乳児期に前後約一〇回にわたり両大腿前面および右殿部にリンゲル液(量不明)の注射をうけた後、注射部の化膿を生じて切開をうけ、瘢痕を残して創治癒以後放置していたところ、六歳ころから跛行に気付き、膝関節は伸展正常、最大屈曲は右一三〇度、左一四〇度に制限せられ、屈曲時大腿前面の軟部組織がかたい索状の緊張を示しており、尻上り現象著明となつた症例。

考察ならびに結語と題して、笠井らが報告した症例(文献二―六)は、いずれも大腿前面に何らかの注射をうけたことのある症例であり、かつ化膿して切開をうけた例はなかつたことからして、これらは一応注射による瘢痕あるいは癒着が原因ではないかと考えられてはいるが、なお幾分かの疑問は残っているとしたうえ、当該症例の場合は大腿前面にうけたリンゲル注射が化膿し切開をうけた病歴を有しており、手術所見からも筋膜の瘢痕化、皮膚との癒着、下層筋の肉眼的変化も認め得たところから、笠井らの報告した症例の最も顕著なもので、注射によることがほぼ確実と考えられる症例であると述べる。

さらに、この症例から推測すれば、笠井らのいうように膿形成までには至らなくても軽い感染あるいは吸収不良による軟部瘢痕化などによる筋性拘縮の発生も充分予想しうると述べる。

9江端章らの報告(文献二―一〇)

大腿四頭筋拘縮症二例の報告。二例共ペニシリン注射が原因と推測される旨述べている。

10山田浩らの報告(文献二―一一)

右側大腿四頭筋拘縮症一例の報告。右股関節伸展位における右膝関節屈曲は一四〇度に制限され、尻上り現象も認められる。二、三歳のころ重篤な胃腸疾患に罹り、大腿部に注射による補液を受けた既往がある。当該症例は、大腿部注射の既往があり、注射したと思われる部分に瘢痕があり、小児期より大腿四頭筋拘縮症の症状を呈していたことにより、注射により発生したものとして差支えないと述べる。

11立岩邦彦らの報告(文献二―一二)

過去三年間に、伊東市内において発生した小児の大腿四頭筋拘縮症の三〇例についての報告。新生児期および乳児期に、大腿前面に頻回の注射を受けたことが原因であると述べる。しかし、投与された注射液については調査不能。

12竹前孝三らの報告(文献二―一三)

大腿四頭筋拘縮症一症例の報告。術前股関節伸展位で膝関節最大屈曲が一五五度に制限されていたものが術後七か月の現在八〇度にまで屈曲可能となり、日常生活に全く支障を認めていない旨述べる。

追加として、藤原豊が二症例を、村田東伍がペニシリン注射が原因と思われる大腿四頭筋拘縮症の症例を報告している。

13笠井実人らの報告(二)(文献二―一四)

文献二―六における大腿四頭筋拘縮症七例の報告に、その後新たに経験した六例(全例大腿前面に注射を受けたことがある。)を加えて報告するもの。

大腿四頭筋短縮症の成因に関しては、大腿直筋の変性或は瘢痕化ということ以上に深く解明されていない。先天性の素因が影響することも考慮すべきであるし、薬液の種類、量の影響、薬液の吸収がおそいために起こる筋線維の変性が存する可能性もある。或は異物による無菌的な炎症または化膿に至らないまでも軽度の感染が発生している可能性も否定しえないが、従来の報告例が殆んど小児に限られていることは、本症が大人になるまでには自然治癒するのではなかろうかとの疑いを抱かせると述べる。

丸毛英二は、数例の大腿四頭筋拘縮症を経験したこと、瘢痕の深さと広さによつては、大人になつても同拘縮症は認められる旨述べる。

植田通泰は、四〇例近くの大腿四頭筋拘縮症を経験したが、うち確実に注射によるものと思われるものが二〇例、先天性と思われるもの三例であつたこと、原因程度により相違するところもあろうが、罹患後二〇年以上経過した後も自然治癒を認め得ない症例もある旨述べる。

14福島正らの報告(文献二―一五および二五)

大腿直筋拘縮症二例の報告。症例一については、手術所見において周囲との癒着は殆んどなく、筋膜との癒着も少なく、先天性の形成不全を思わせることを述べる。これに対し、症例二は、生後六か月頃消化不良を起し、半年位両大腿部に注射を受けた患児で、大腿直筋の全長にわたつて周囲との癒着がはなはだしく、肉眼的にも筋肉の瘢痕化が著明であり、組織像で筋周囲の脂肪組織中に不規則な線維組織があり、その一部は腱様組織に移行している所見がみられることは薬液が吸収作用の強い筋線維の中に入らず、周囲の筋膜あるいは筋束の中隔近くに入り筋膜自体を刺激し、癒着を起こし厚くなつていた可能性もあり、また、無菌性炎症か軽い細菌感染があつたためか、あるいは筋組織内にかなり多量の線維組織があり、それが腱様組織に移行していることからすると薬液の吸収がおそかつたため、筋線維が瘢痕化したことも考えられることを述べる。

15笠井実人らの報告(三)(文献二―一六)

文献二―六における七例、文献二―一四における六例に続く新たな六例の症例報告。成因に関する記述は、右各報告におけるものと同趣旨。

16佐藤正次らの報告(文献二―一七)

三角筋の線維化によつて肩関節の外転拘縮を惹起した三症例の報告。原因としては、三角筋内に注射を受けたことが唯一の共通点であること、注入薬物の種類、頻度および場所等の関係もあろうが、同じような機会をもつた多数の人の中で極めて稀に起こつていると考えられるので、各個体または筋自身の特殊な条件を考えに入れなくてはならない。起こつた変化は、恐らく注射の薬物または機械的刺戟に対する反応によつて起こつた線維化であろうと思うが、いずれも想像の域を脱し得ないと述べる。

17村田東伍らの報告(文献二―一八)

大腿四頭筋拘縮症二三例につき、その治療およびその後の経過、成因について報告したもの。注射が本症の一つの成因であると思われることから、大腿前面への注射は極力避けた方が良い旨述べる。

18富田良一らの報告(一)(文献二―一九および二〇)

満三歳頃両側大腿前面に約一年間にわたり一〇〇回以上リンゲル皮下注射(薬液量不明)を受け、リンゲル液の皮下注射による両側大腿四頭筋、とくに大腿直筋の瘢痕性拘縮を来した一症例。

小川浩三による大腿四頭筋拘縮症二例の追加報告がある。

19加藤正らの報告(文献二―二一)

いずれも乳児期に大腿部に注射の既往を有する大腿四頭筋拘縮症三症例について、注射が原因であることを踏まえて、手術時所見における瘢痕、癒着の状況、病理組織学的所見における間質に線維組織がみられる状況について述べ、乳幼児期に大腿前面への注射は絶対に禁止すべきことを付言している。

20前田博司らの報告(一)(文献二―二二)

大腿四頭筋拘縮症一〇例、うち手術施行例五例の症例報告。病理組織学的には大腿直筋、中間広筋において、線維組織の像を示したこと、いずれの症例についても注射と何らかの関係があるとみるべき旨を述べる。

21富田良一らの報告(二)(文献二―二三および二九)

三歳と五歳の女児に発生した大腿四頭筋拘縮症二例の報告。二症例は、いずれも、部位的にも組織学的にも明らかに乳幼児期に受けた大量の注射により発現したもので、線維性結合織の増生による索状硬結を形成したものである旨述べる。ただし、その成因についての詳細は、大腿直筋およびその周囲の筋の変性または瘢痕化にあるとされている以外に深く解明されていないとする。

22黒木良克らの報告(文献二―二四)

大腿四頭筋拘縮症八例についての報告。患児らは、いずれも小児期に大腿前面に注射を受けており、リンゲル液が最も多い旨述べられている。

中沢進が医師の責任の点に関して質問したのを受けて、菅谷修一が、医師としては、注射後の管理に注意するよう示唆している。

23大谷清らの報告(文献二―二六)

大腿四頭筋拘縮症一例の報告。幼少時より弱く、頻回の注射を両側大腿部に受けており、這う時には膝をつかないこと、六歳ころから右膝関節の屈曲障害に気付いていることより注射によるものと考えられるが、先天性の要因が存する可能性を完全に否定することはできない旨述べる。

24宮本健の報告(文献二―二七)

翼状肩甲を示す疾患別分類の一つとして、三角筋拘縮症二例を報告する。症例一では、乳幼児期に左上腕にときどき注射を受けたことがあり、三歳ころから左翼状肩甲を認めていること、症例二では二四歳ころ、蕁麻疹のため、二年間ほどベナドリール系抗ヒスタミン剤を隔日ごとに、増悪期には一日二、三本を両上腕、特に右に注射したことがあり、その後徐々に肘関節の側方突出と肩甲骨偏位に気づいたことを指摘し、右二例ともに主因は注射による筋の瘢痕性拘縮と考えられる旨述べる。

25柴垣栄三郎らの報告(文献二―二八)

過去二年間において、大腿直筋前面に注射を受けて大腿直筋拘縮を生じたと推測される一七例の報告。注射薬の判明したものは一七例中七例であり、すべてペニシリンであること、大腿直筋部位の注射は行うべきではなく、後遺症の残らない他の安全な部位を選んで行うことが必要である旨述べる。

平川寛は、一〇例の大腿四頭筋拘縮症を経験しているが、中には注射によらないと思われるものがあり、脳性小児麻痺や先天股脱整復後の症例にこうした症状をみたことがある旨追加報告する。

26安田芳雄らの報告(文献二―三〇)

六歳ころに両大腿部に合計一〇回位皮下注射を受けて左大腿四頭筋拘縮症をきたした一七歳の女子一例についての報告。病歴および現症からして注射による後天性大腿四頭筋拘縮症で、主因は大腿直筋の中央部における拘縮にあつた旨述べる。

27大室耕一らの報告(文献二―三一および三三)

両側三角筋の拘縮により、肩関節の外転拘縮を来たした三三歳の男子の症例の報告。約八年前から気管支喘息にかかり、その後四年間、発作の都度両側の三角筋部に注射を受けており、これが右疾患の発生と相関関係がある旨述べる。

28前田博司らの報告(二)(文献二―三二および三四)

大腿四頭筋拘縮症一六例について、うち一〇例一一肢に手術的処置を行ない、大腿直筋、中間広筋等の筋生検をなした結果等の報告。一六例中一一例一四肢に大腿部への注射の既往を持っていることが明らかとなつており、注射は右疾患の発生の重要な因子と考えられるが、先天性の報告もあり、右一六例中の三例は、全く注射の既往がないこと等からして先天性の疑いもある旨述べる。

組織所見としては、筋線維の萎縮、配列の乱れ、筋線維間線維化、筋束間結合織の増加等がみられ、注射例と非注射例とを比べると、その組織所見には質的な相違を認めなかつたが、後者に変化が軽微であつたとする。

29浜田勲らの報告(文献二―三五)

三四歳の女性の三角筋拘縮症の症例。従来の報告では三角筋に筋肉注射を受けた事が原因とされており、これがために筋肉内に線維組織を生ずることにより三角筋の拘縮を生じ、肩関節外転拘縮を起こしたとされているが、この症例では外傷後に起こつていることから、外傷が原因である疑いが強いとする。

30小川正二らの報告(文献二―三六および四一)

注射により発症したとする三角筋拘縮症二例の報告。一例は、三七歳女子で昭和三五年頃から約五年間にわたり不眠症のためレスタミンコーワ(塩酸ジフエンヒドラミン)三〇mgの筋注を左三角筋に頻回に施行した既往があり、他の一例は五八歳男子で、左肩三角筋に男性ホルモン筋注を頻回に施行した既往がある。

三角筋拘縮症の成因についても、大腿四頭筋拘縮症と同様、先天性と後天性のものがあるとし、後天性のものは頻回または大量の注射による筋組織の阻血性変化、筋線維自体の損傷ならびに薬物刺戟による細胞浸潤の瘢痕化などが主因とされるとする。右二症例は、明らかに注射に起因する拘縮例であるが、同程度の注射回数を行つている症例も多数存すると思われるが、拘縮を来たす例が比較的稀なことより、素質的因子の介在も否定しえないと指摘する。

31金子正幸らの報告(文献二―三七)

八歳の女子の三角筋拘縮症の報告。幼児期に感冒のため受けた抗ヒスタミン剤を含むスルピリン剤の注射の既往があることを指摘している。

32大吉清らの報告(一)(文献二―三八)

三角筋拘縮症二例の症例報告。一例は、生後五〇日目ころから、月に一回以上感冒に罹患し、その度に両側三角筋内に注射をうけ、昭和四二年春まで約四年間継続したというもの、他の一例は、生後六か月から一年にかけて約六か月間、発育不良といわれ、両側三角筋内に頻回に注射をうけたというもの。従つて、右二例はともに注射性のものと考えるが、大腿四頭筋拘縮症同様、その原因である注射の部位、量、回数、種類が関係するとされているものの、その詳細は不明であるとする。なお、乳幼児期における再三の筋注は、殿筋内が望ましいことを強調する。

33渡辺健児らの報告(文献二―三九)

大腿四頭筋拘縮症二三例の報告。いずれも、生後二、三か月から一、二年の間に感冒または腸炎等により高熱のためにピリン系統の解熱剤、或いはリンゲル液、ブドウ糖の大量皮下注射を大腿部に受けている例が多く、半数以上が瘢痕を有していたし、瘢痕は残らないまでも、注射の既往歴が認められるものが存する旨指摘する。

追加発言として、水野祥太郎は、産科において、親の手にわたるまでの間に、人知れずに注射を受けている場合が非常に多いということで、原因の究明には慎重を要すると指摘する。

34中村卓らの報告(文献二―四〇)

両側三角筋拘縮症二例の報告。うち、三九歳の男子の症例は、約二年間連続して、両上腕外側に、塩酸ジフエンヒドラミンを筋注したところ、約三年前より、両上腕外側に腱様索状物を形成して、両肩関節は右四〇度、左二〇度外転位をとり、上腕と胸壁との接着は不能であつたというもの。他の六歳男子の症例は、左三〇度、右一〇度の外転位であり、既往に気管支炎、感冒があり、生後六か月ころから、塩酸ジフエンヒドラミンを月に一〇回ほど、約五年間、毎年五、六か月間の筋注を受けているもの。

これらの点を考慮すると、原因として、①注射による刺激、②薬剤の局所での反応、③それらのいずれかが重なつた場合があり、特に塩酸ジフエンヒドラミン筋注の既往は興味ある点であるとする。

金子正幸は、追加として、九歳女子で、出生直後涙腺炎で両肩に、生後一〇か月に白痢で両肩、両大腿に注射を受け、七歳のとき、左三角筋拘縮症に気づいた症例を報告する。

35笠井実人らの報告(四)(文献二―四二)

前回の報告(文献二―一四)後に手術した二七例の大腿四頭筋拘縮症の報告。

追加として、杉山義弘の六例、林侃の七例の大腿四頭筋拘縮症の報告がある。

なお、報告者笠井実人は、後天性か先天性かの点について、新生児期には母親と子供とは別々にしてあるので、この時期に注射を受けたものは母親も全然わからず、しかもこういう時の注射によるものは強い変化を起すと思われるので、後天性か先天性かの区別は難しいとし、また注射の種類についての手がかりはつかみにくいことを指摘している。さらに、現代の日本の医療界に広く行われている注射は、やむをえない場合の他はしない方がよく、特に濫用は厳に慎しむべきであることを提言する。

36根岸照雄らの報告(文献二―四三)

昭和三五年から昭和四一年までの七年間にわたり、厚生年金湯河原整形外科病院において経験した四七例の大腿四頭筋拘縮症の報告。うち、大腿部に注射を受けた既往歴を有するものと判明しているのは四一例であり、ないもの一例、不明は五例である。右症例の特異性として、右四七例のうち三二例が既往に別の疾患で、特定の小児科医院を受診し、大腿部に注射を受けていることから、①大腿部に注射する際、部位、深さの選定に誤まりがあつた、②注射液が組織によつて非生理的なものであつた、③注射の際、菌力の弱い感染を起こした等を推測している。

大腿部に注射の既往を有する四一例のうち、三八例が一歳以前に受けていること等から、注射による大腿四頭筋拘縮症の成立には、注射した薬剤の種類、量、頻度、部位、先天性素因などが複雑に関係し合っているが、加うるに年令的要素も重視さるべきであるとし、その理由として、注射液の量に対して筋肉の大きさが相対的に小さいこと、年令的に注射を受ける部位として、大腿部がよく選ばれること、筋肉の活動が少なく筋肉内の血流が不活発であり、従つて薬液の吸収が十分でないこと、乳幼児の大腿の皮下組織腔は比較的狭小であるが、この部へ誤まつて筋肉内注射のつもりで薬液を入れること、或いは逆に、皮下輸液のつもりが筋肉輸液になること、年令的に刺戟物質に対し組織が過敏に反応することなどが考えられるとする。

注射薬については、注射を受けるに至つた原疾患は、いずれも乳幼児にありふれた疾患であり、これらから筋拘縮症を特に惹起しやすい薬剤を類推するのは困難であるとし、これら薬剤が特異的に作用するというよりは、一般に薬剤或いはその溶剤の有する非生理的なPH、浸透圧、筋肉毒作用が、その量、頻度、期間、部位、年令などと関与し合つて本症を惹起すると考えたほうが合理的であるとする。

37山本稔らの報告(文献二―四四)

四二歳女子の両側三角筋拘縮症の報告。昭和三九年以来、胆のう炎、腹膜癒着という診断で、腹痛に対し、しばしば両三角筋部に注射を受けていたところ、昭和四二年五月ころから、両肩関節の異常があらわれたというもの。

注射では、ディフェンヒドラミンを原因とするものが多いが、スルピリン、オピスタン、男性ホルモンでも起こるようであること、いずれにしろ、注射による薬物吸収の不十分、異物による炎症、軽度の感染等により発生するものであろうが、一方では、このような変化を起こしやすい体質も考えなければならないとする。

38大吉清の報告(二)(文献二―四五)

前回の報告(文献二―三八)に続く、三角筋拘縮症二例の報告および前回の二例を加えた計四例の検討結果の報告。症例一は、昭和三八年五月から昭和四一年一二月の三年七か月間にわたり、月に一回以上風邪に罹患し、その間、アスドリン0.6ないし1.0cc三四回、ベナ0.5ないし0.6cc三二回、ダン0.3ないし1.0cc一七回、メチロン0.6ないし1.0cc一二回など頻回に両三角筋内の筋注を受け、症例二は、昭和三八年二月から同年一二月の一〇か月間にわたり、再三風邪に罹患し、その間アスドリン0.8cc四回、メチロン1.0cc四回、ダン1.0cc七回、フストジール1.0cc三回など頻回に両三角筋内の筋注を受け、症例三は、昭和四二年四月から同年九月の五か月間にわたり、アスドリン1.0cc二回、メチロン1.0cc二回、ダン1.0cc二回、クロラムフェニコール二五〇mg二回などの注射を三角筋内に受け、症例四は、昭和四〇年二月から昭和四二年六月の二年四か月間にわたり、風邪とストロフルスで、アスドリン1.0cc五〇回、ダン1.0cc五回、メチロン1.0cc一五回、ベナ1.0cc九回、クロラムフェニコール二五〇mg七回、ビスオニン一A四回などを両三角筋内に注射されている。そして、特に二年数か月間以上頻回の注射を受けた症例一と四は、両側性に拘縮症を発生、一〇か月以内の症例二と三は、左側のみに発生をみており、症例三はアスドリンとダンとも各二回のみの注射で三角筋拘縮症の発生をみていることは注目に値するとし、また、以上のまとめとして、三角筋拘縮症は注射による大腿四頭筋拘縮症同様、再三にわたる三角筋内に対する抗ヒスタミン剤を含有する注射液による筋組織の膠原化、線維化が一原因と考えられる例の多いことより、乳幼児期に行われる筋注は殿筋内が望ましいことを強調する。

39山口雅成らの報告(文献二―四六および四九)

頻回の三角筋内注射の既往を有し、そのために生じたと思われる三角筋拘縮症の三症例の報告。症例一は、二歳のころ、たびたび風邪をひき、抗生物質の三角筋内注射を反覆して受け、他の二例は、二、三歳のころに気管支喘息のため抗ヒスタミン剤を中心とした薬剤を上腕に受けている。年令、当該筋の発育程度、薬剤の成分、量、注射部位、頻度、注射反覆時におかれた環境における肢位の問題などが複雑に混在し右疾患を発生させたものとする。

筋拘縮症のうち、注射で代表される後天性筋拘縮症の原因は、薬剤の不十分な吸収、異物性炎症変化などが筋肉の変性、瘢痕化に結びつくため、即ち、注射による内部の浮腫、小出血巣が筋細胞の小壊死をもたらし、線維化、癒着、瘢痕形成、さらには拘縮へとすすんだものとする。その他、新生児期における新生児特有の肢位も問題となるし、注射時の手技上の欠陥からする感染が化膿性筋炎に発展した場合には、上記の変化が一層促進されることになり、注射薬剤の筋に対する量的割合、注射時の圧力による筋線維の剥離、注射の頻度も、この条件を倍加するといわざるをえないし、薬剤成分、粘稠度、浸透圧も問題となるとする。

なお、乳幼児期等、比較的早い時期における筋内注射によるものが多く、筋拘縮症の発生を予防するためには、この時期における反覆筋内注射を避けることが望ましい旨付言する。

40杉山義弘らの報告(文献二―四七および五四)

大腿四頭筋拘縮症につき、注射によるとする七症例と、注射の既往の明らかでない一症例、計八例に手術療法を行ない、その手術方法と成績を検討したもの。右七例は、未熟児、消化不良、肺炎、感冒等で、大腿部に皮下および筋肉注射を頻回にわたつて受けているが、注射の種類や投与量は不明であつたとする。

41豊田馨らの報告(文献二―四八)

両側股関節拘縮の患者に手術的治療を行い、その発生病因が、頻回の殿筋注射によつたものとされた症例の報告。一歳未満まで、小児喘息で発作時、頻回に両側殿部に注射を受けたことがあるが、注射液の名称は不明である。本症例では、弾撥現象や外傷等はなく、また頻回の殿筋注射を受けており、このために腸脛靱帯の中殿筋の癒着線維化を生じ、また薬液が大転子部に浸潤して大転子とこれらの靭帯の癒着や、外旋股筋群の線維化により、屈曲、内旋制限を起こしたものと推察する。

42西口優らの報告(文献二―五〇)

大腿四頭筋拘縮症四例の報告。三例に大腿部に注射された既往があり、他の一例にはなかつたとする。

43多胡秀信らの報告(文献二―五一)

注射によるとする大殿筋拘縮によつて股屈曲障害を来した症例の報告。

乳児期に頻回にわたり殿筋内注射を受けた経験があるが、その薬剤の種類、頻度についての詳細は不明。発症機序は、大腿四頭筋拘縮症、三角筋拘縮症とまつたく同じであり、注射時の筋の変性、線維化が起こつたものと推定され、これによつて大殿筋の拘縮が起こり、股屈曲障害が生じたものとする。

また、乳幼児に対する殿筋内注射は最も一般的であるが、感染の防止、同一部位への頻回の注射に対する注意はもちろんのこと、比較的吸収のよい筋線維内に正しく注射されず、筋膜自体あるいはその附近、腱の近くなどに注射された薬剤は長くとどまつて、線維化を引き起こすとも考えられるので、筋肉注射は正しく筋線維内に注射されることが望ましいとする。

44山中幸光らの報告(文献二―五二および五三)

大腿四頭筋拘縮症九例の報告。いずれも、満二歳以前に、大腿前面に注射を受けた既往を有している。

45熊谷進らの報告(文献二―五五)

昭和四〇年一〇月から昭和四五年一〇月までに経験した大腿直筋拘縮症二一例の報告。全例何らかの注射を新生児、乳児期の間に大腿部前面に受けている。

成因に関し現在わかっていることは、注射による筋の変性あるいは瘢痕化ということであるが、この原因としては、現在のところ先天性の素因も考えられるし、注射薬液の種類や量、濃度、注射回数の頻度あるいは注射部位が関係しているのではないかと想像される段階を出ていないとする。

大腿直筋拘縮症の発生頻度はそう高いものではないが、跛行や疾走力の低下といつたハンディキャップを子供らに与えることを考えると、乳幼児期(特に新生児期、乳児期前半)における大腿直筋部への筋肉内注射は避けるべきであり、後遺症の残る恐れのない他の部位を選んで行うよう提言する。

なお、筋拘縮症が大人には非常に少く、報告例もほとんど小児であることは、本症が成長につれてある程度緩解し、機能的に治癒する率が高いのではないかとも考えられる旨付言する。

46大塚嘉則らの報告(文献二―五六)

四歳から一八歳までの男一例女四例の大腿四頭筋拘縮症の報告。注射の既往を有する三例中一例に、変性した筋線維間、肥厚癒着した筋膜に著しい結合織細胞の増殖巣がみられ、細胞間に常に微細な結晶が存在しているのを認めたが、これは注射により生じた異物に対する炎症像と考えるとする。他の一例では広汎に筋の壊死が見られ、注射によるものと推測する。右五例中、残りの二例は、筋の退行性変化と線維化を呈したが、注射の既往は不明で因果関係はわからなかつたと述べる。

追加として、藤田繁実は、注射の既往を有し、注射によると考えられる三例の大腿四頭筋拘縮症を報告する。

47橋本善次郎らの報告(文献二―五七)

一〇歳男子の左三角筋拘縮症の報告。六歳時、中耳炎治療のため、耳鼻科でペニシリンゾル三〇万単位を、左三角筋部に四回筋注を受けた。また感冒で解熱剤を四、五回筋注されている。病理学的所見で明らかな細胞浸潤を認めたことは、四年前の注射によつて、炎症が三角筋部に起り、時間の経過と共に筋線維は線維化し、拘縮が進行していつたことを示しているとする。

48久保田正博らの報告(文献二―五八)

手術を施行した大腿四頭筋拘縮症九症例の追跡調査結果の報告。

49小宮懐之らの報告(文献二―五九)

過去八年間に経験した大腿四頭筋拘縮症二七例のうち、追跡調査をなしえた二二症例についての検討結果の報告。成人男子例五例の存在、うち三例は放置例、二例は手術例の存在から、意外に成人例は多く放置されている可能性があり、大腿四頭筋拘縮症の自然治癒の可能性は、早期治療は別にして、少ないのではなかろうかとしている。

50飯田尚生の報告(一)(文献二―六〇)

昭和三三年から昭和四二年までの二二例の大腿四頭筋拘縮症の報告。うち、八例は某医院手術例である。いずれも注射によるものと考えるが、注射薬液の種類、量、頻度は不明とする。

また、本症の予防としては、注射時の感染の防止はもちろんのこと、さらに無制限の筋肉内注射はひかえるべきであり、やむをえない場合には、殿筋内かあるいは大腿部ならば股関節の近位がより適当な個所である旨指摘する。

51前野耕作らの報告(文献二―六一)

一〇歳男子の上腕三頭筋拘縮症の報告。手術所見で、上腕三頭筋外側頭、内側頭の腱移行部および筋腹は強く瘢痕化しており、病理組織像で、筋肉の変性および膠原線維の著明な増殖を認め、また筋肉の一部に細胞増殖が存在し、軽度の慢性炎症像を示している。

発症原因としては、注射との因果関係は判然としないが、既往歴および疼痛の存在、病理組織所見等より見て、化膿にいたらない軽度の細菌感染の存在も考慮され、やはり注射に起因すると考えるのが妥当とする。

52楠昭恵らの報告(文献二―六二)

三角筋拘縮症二例の報告。一症例には注射の既往はないが、他の症例は、風邪で一〇回程注射を受けた既往がある。線維組織の発生は、注射液による生化学的反応もしくは注射による無菌的炎症、極く軽い炎症等の性状によるものか、刺戟回数によるものか、現段階では未だ明確に規定することは困難であるとする。

53坪田謙らの報告(一)(文献二―六五)

福井県の一地区に発生した注射による小児の大腿四頭筋拘縮症三七例の原因、治療について検討したもの。症例は乳幼児期に大腿前面に頻回に注射を受けていることから、注射量、回数が筋が幼弱で血流の乏しさと相まって、筋の薬剤吸収を超過したり、異物性炎症反応を生じさせ、大腿直筋の変性拘縮を惹起したと考えられる。薬剤は抗生物質、鎮静剤が推定されるが、これらにより末梢循環が変化し、薬液の筋内長停留が起り、右変化を助長すると推察できるとする。

54山岸正明の報告(一)(文献二―六三)

注射によるとする殿筋拘縮二症例の報告。症例は九歳の女子であり、主訴は股関節の運動制限で、既往として幼児期に頻回の抗生物質の注射を受けている。症例二は四歳男子であり、主訴は歩容異常で、乳児期に頻回の注射を受けた既往がある。

殿部は筋肉内注射の好適部位であるが、時に本症例のごとき障害を惹起しうることを述べて注意を喚起したいとする。

55宮沢晶子らの報告(文献二―六四)

一三歳女子の右三角筋拘縮症の症例。既往歴として、七歳ころまで、左三角筋部に頻回の筋肉内注射をしたことがあり、現症では、左三角筋肩峰部に陥凹と索状物を認め、左上腕骨骨頭が前面に突出し、翼状肩甲および肩関節の外転拘縮があった。頻回の筋肉内注射による三角筋拘縮症であるとする。

56泉田重雄の報告(文献二―六六)

日常的な治療手段である筋肉内注射も、大量、反覆施行された場合、筋肉の壊死、瘢痕化によつて特有な機能障害を惹起する場合が必ずしも稀でなく、大腿四頭筋拘縮による膝屈曲制限、三角筋拘縮による上肢内転障害および翼状肩甲、殿筋拘縮による下肢の内転、内旋障害等がその主たるものであるが、この医原性疾患に関して一般の認識が充分でなく、看過・誤診の可能性が大きいとして、各筋拘縮症に関する症例を報告するとともに、診断、治療、予防等について述べるもの。

これらの各筋拘縮症において、先天性要因による可能性を完全に否定しうるものではないが、大部分は注射による筋の壊死、線維化によるものと考えるのが妥当であり、注射された薬剤の局所腐蝕、壊死作用の強さ、薬剤の量、吸収性、浸透圧、反覆度等に応じて筋組織は壊死や、反応性炎症を来たす理であるところ、筋組織は一度壊死に陥れば再生力がないために、必然的に壊死部は瘢痕組織によつて置換されることになるが、元来筋線維は本来の長さの六〇ないし一二〇度の範囲の収縮、伸展性を有するものであり、瘢痕組織には到底この弾力性はなく、それに作用する外力と応じてあるものは伸びあるものは瘢痕性収縮を来たすことになるとする。

小児に多いことについては、被注射筋が注射薬剤量に比較して小さいこと、乳幼児では薬剤の経口投与が困難で注射による場合が多いこと、組織が幼若で障害を受けやすいこと、組織反応の旺盛なことや一度形成された瘢痕は成長に従つて相対的な拘縮を来たすこと等を指摘する。薬剤の種類により、筋肉内注射は多少とも筋組織を障害するものであるが、近年用いられる薬剤の種類の変化によつてこの種の拘縮が増加していることを示唆する。

最後に、この種の筋拘縮症が医原性のものであれば、尚更その予防を考えなければならないが、そのためには可及的に注射を止めて経口投与に切りかえるべきであろうが、事情によつては不可能の場合も多いと思われるので、薬剤量を一定とすれば薬剤の濃度と容量とは相反関係にあるから、最小障害濃度容積を実験的に確める必要があるとする。

57中野謙吾らの報告(文献二―六七)

大腿四頭筋拘縮症三例の報告。うち一症例は、四〇回に亘る注射の既往があり、注射によるものであることは明らかであり、その発症機序は、特定の薬剤が特異的に作用するというよりは、一般的に薬剤あるいはその溶液の有する非生理的なPH、浸透圧、解毒作用が、その量、頻度、期間、部位、年令などと関係しあつて本症を惹起するものとし、とりわけ未熟児、双生児および栄養不良の乳児等の場合には特に負荷が大きいとする。これに対し、他の二例では、注射の既往がなく、肉眼的に腱様組織と筋組織の二層構造を呈し、光顕的には炎症所見が認められず、電顕的にも積極的な所見に乏しいゆえ先天性症例として位置づけることができるとする。

58阪本桂造らの報告(一)(文献二―六八)

三三例の大腿四頭筋拘縮症の報告と、注射による家兎実験の報告。

注射された薬剤および注射回数は、リンゲル液の大量皮下注射によるものが39.4%を占め、ついで抗生物質であり両者を合わせると66.7%であること、手術的治療例二一例に関する共通所見としては、①皮膚に瘢痕を呈するものでは、皮下組織、筋膜に強い癒着、線維化を呈する。②大腿直筋の起始部より附着部へ一本の索状となつた線維化を認めた一症例以外は、筋全体の線維化を示した例はなく、多くの症例は、大腿直筋起始部に白い腱様の索状硬結を認めること、代表的な病理所見は、間質に線維増殖が強く、一部では実質にまで及び、充血や細胞浸潤を認めることを述べる。

(動物実験については、文献三―一八の報告参照。)

59奥津一郎らの報告(一)(文献二―六九)

一歳時に、大量皮下、筋肉注射を両側大腿および殿部に受け、五歳時に歩容異常に気づき、そのまま放置し、八歳時に歩容異常の悪化を主訴として来院した大腿四頭筋拘縮を伴う弾撥股の症例。

60亀井正幸らの報告(文献二―七〇)

昭和三九年から昭和四七年の間に手術をした大腿四頭筋拘縮症の患者で、半年以上追跡できた二五人について、原因、術式、成績等を報告したもの。二五症例すべてにつき注射の既往歴があり、二五人中一九人までが、生後一年以内に入院し、かなり頻回に、抗生物質、解熱剤、リンゲル等の注射を受けている。この点からして、大腿部前面への注射、それも歩行開始以前に、注射を頻回に受けたことがこの疾患の最大の原因であるとする。

61三輪昌彦らの報告(文献二―七一)

昭和四四年一月から、昭和四七年六月に至る三年六か月の間の大腿四頭筋拘縮症症例二六例四六肢の予後調査を行ない、その概略を報告したもの。大腿前面への注射の既往は、二六例中二二例に認められる。初回注射を受けた月齢は三か月未満が多く、頻回に同一部位に注射を受けた例も多い。

畑中生稔は、約一〇例の大腿四頭筋拘縮症を経験しているが、これらの中には明らかに注射に起因する瘢痕性変化を示すものと、特異な組織像のみられない先天性と思われるものとの二種類が存在するようであるとする。

62植家毅らの報告(文献二―七二)

昭和四四年一月から昭和四七年六月に至る三年六か月間に診察した大腿四頭筋拘縮症二六例(四四肢)について検討を加えたもの。二二例に大腿前面への注射の既往があり、初回注射を乳児期に受けた例が過半数を示す旨報告している。

63水木茂らの報告(文献二―七三)

昭和三四年から昭和四八年までの間に受診した大腿四頭筋拘縮症患者六〇例の報告。原因は、大腿部に受けた注射によることがはつきりしているものが四四例である旨述べる。また、発症機序について、生理的な筋の被伸展性が減退する時期があり、これに外的因子が働くことにより、その減退する時期が早く起こり、強ければ拘縮症として発症するのではないかと指摘する。

64阪本桂造らの報告(二)(文献二―七四)

前回の報告(文献二―六八)後の大腿四頭筋拘縮症四二症例についての分析と予後調査および注射処置後の筋の張力実験の一部の報告。

四二症例中、三九例に注射既往を認めるが、注射されてより症状発現に至る経緯をみると、生後六か月未満に注射された者では、一歳ないし三歳ころに症状発現し、二歳ころに注射されたものでは二歳代に症状発現をみているとする。その理由として、正常人の下肢長発育表をみると、二歳を中心にその前後、また六歳ころに成長の早い時期があり、骨成長の活発な時に筋の成長がそれに伴わず本症の発現の一因となると指摘する。

65赤松功也らの報告(文献二―七五)

男九例、女三例、患側は右七側、左六側、両側一の大腿四頭筋拘縮に関し、臨床病理学的検索を試みたもの。注射の既往は一一例にあり、二例にはなかつたとする。切除標本について、中枢、中間、末梢の各部分につき組織標本をつくり検索したところ、線維脂肪組織の増殖が認められ、筋線維は萎縮をおこし、この傾向は広範囲に認められたが、検索した範囲では、注射歴のあるものとないものとの間に組織所見上の差は認めなかつた。

66山岡弘明らの報告(文献二―七六)

大腿四頭筋拘縮症二〇例二三肢の報告。原因は、大腿部への注射と思われるものが一六例であり、殊に生後まもなくの頻回の注射が問題であるとする。

67桜井実らの報告(文献二―七七)

注射により生じたとする大腿四頭筋拘縮症一二〇例のうち、手術的治療を加えたもの二九例、三七肢について、手術後六か月から五年後までの予後調査の行いえた二五件についてその成果を吟味したもの。

森崎直木は、昭和二一年最初に大腿四頭筋拘縮症の報告をした者として、その発見の経過を話し、尻上り現象がその診断の重要な症状であることを強調する。

河野左宙は、大腿四頭筋拘縮症は注射によるものが大部分であり、また大腿直筋の病変によるものが最も多いとする。

押田茂実は、日本では文献上一八七例にのぼる注射による大腿四頭筋拘縮症が報告されているが、外国では症例報告も少ないし、また障害されている筋肉も日本では大腿直筋が多いが、外国では外側広筋・中間広筋が多いのは、大腿部における筋肉内注射が、日本では大腿前部で、外国では大腿外側部に施行されているためであるとする。そして、大量集団発生も既に数か所にみられており、医事紛争に発展しているが、このような事故防止のために、小児科医との連携により原因の明確化(注射部位、薬剤学)、経過観察の徹底等の検討が望まれるとする。

68奥津一郎らの報告(二)(文献二―七八)

大腿前面の大量皮下注射による、大腿筋膜、腸脛靱帯などの癒着瘢痕拘縮が主要な原因となつて生じた弾撥股の一症例の報告。生後一二か月目に、麻疹後肺炎に罹患し、大量の皮下注射を両側大腿前面に長期にわたり受け、その後も扁桃炎、感冒などに罹患しやすく、大腿前面および殿部に極めて頻回に筋肉注射を受けた既往を有する。注射内容は、テラマイシン、クロラムフェニコール、ペニシリン、ペンテロン、ビスオチン等である。全身所見として、腰椎前彎が強く、両側下肢の外転、外旋歩行を行つており、局所所見として、両側大腿前面および殿部に、注射によると思われる瘢痕が存在するが、股関節部に、発赤、腫脹、圧痛その他の炎症所見はなく、股関節の可動域は、内転、内旋制限の他は正常であり、また屈曲拘縮は存在せず、弾撥現象は、両側とも、随意的におこしうるが、他動的には、左側四五度屈曲位で著明であり、右側においては、内転、内旋を加えないと発生しない。病理組織所見として、索状切除部は、線維肥厚化しており、腱様構造で、大殿筋、腸脛靱帯結合部には、軽度線維化と筋萎縮がみられた。本症例では、頻回注射による大腿筋膜、さらに下部腸脛靱帯の癒着、および局所反応として数年の間に、二次的変化として腸脛靱帯の索状肥厚がおこり、歩容異常から、弾撥現象へと進行したものと思われるとする。

69長島健治らの報告(文献二―七九)

昭和四四年から昭和四八年までに手術を施行した大腿四頭筋拘縮症一二例についての報告。症状の発現に関係のあると思われる注射の既往は一〇例にあつたとする。

70山岸正明の報告(二)(文献二―八〇)

注射によるとする殿筋拘縮症の二例の報告。症例一は、九歳女子で、主訴は股関節の運動制限、既往として幼児期に頻回の抗生物質の注射を受けている。症例二は、四歳男子で、主訴は歩容異常、既往として乳児期に頻回の注射を受けている。

殿部は筋肉内注射の好適部位であるが、時に本症例のごとき障害を惹起しうることを述べて大方の注意を喚起したいとする。

71飯田尚生らの報告(文献二―八一)

昭和三三年から昭和四二年までの一〇年間に診察した大腿四頭筋拘縮二〇例についての報告。注射時の原因疾患は肺炎五例、種々の発熱五例等であるが、注射の薬液の種類、回数等は不明。注射後発症まで約半数が一年以内で早いものでは一、二か月以内に膝関節屈曲障害、歩容異常に気付いている。

72山屋彰男らの報告(文献二―八二)

八歳男子の左三角筋拘縮症例の報告。乳児期より風邪を引きやすくその都度肩に注射を受けた。注射により三角筋に線維化を来したことが原因とする。

73山室隆夫らの報告(文献二―八三)

大腿四頭筋拘縮症については、近年多数報告されるようになつてきたが、その大部分は注射等による後天的なものであり、明らかに先天性と思われる症例は少なく、また中間広筋に限局されているものが少ないとして、先天性と思われる中間広筋拘縮症の兄妹例の紹介。

74藤井敏男らの報告(文献二―八四)

四七歳女子の左三角筋拘縮症例。約一年前に子宮摘出後、抗生剤等の左三角筋部への注射を頻回に受け、約三週間して左肩関節の外転拘縮と翼状肩甲を呈し、左三角筋中央部に索状物を認め、組織所見では、筋の萎縮と線維化を認めたもの。注射が原因であるとする。

荻原一郎は、四四歳女子の左三角筋拘縮症例を追加報告し、約四か月間に三〇回位の注射を左肩関節部に受けていること、同部位の頻回注射が医療事故となりうることから、整形外科医以外の医師への情報伝達を主張する。

75糸満盛憲らの報告(文献二―八五)

三角筋二例、大腿四頭筋五例、大殿筋一例の各拘縮症の報告。症例一として、七歳女子につき、一歳から三歳まで気管支炎の診断で両大腿部に頻回の筋肉注射を受けており、四歳になつて、左下肢を外側に振り出すような歩行に気がついて来院、受診時、大腿前面に陥凹があり、索状物を触知し、膝関節に二〇度の伸展拘縮があり、尻上り現象があるので、大腿四頭筋拘縮によるものとして手術を施行したこと、症例二として三八歳女子につき、数年前から躁うつ病に罹患し、特に二年前から増悪したため、一年以上にわたつて両三角筋内に、鎮静剤、催眠剤などの注射を一〇〇回以上にわたつて受けた後、特に左肩関節の内転制限に気づいて来院し、三角筋中部の強い陥凹と硬結、約三〇度の外転拘縮、肩甲骨の翼状変形がみられたため、三角筋拘縮による肩関節外転拘縮と診断し、手術を施行したこと、症例三として、一歳三か月男児につき、生下時より肺炎で哺育器の中で育てられ、大腿部、殿部にくり返し注射を受け、坐位可能な時期になつても上手に坐れないため来院、受診時股関節に約二〇度の伸展拘縮があり、大腿前面の皮膚溝の非対称があるが、伸筋群に索状物らしいものは明瞭に触れ難く、伸筋群の拘縮以外に現象の説明がつけ難いので手術を施行したところ、大殿部の上外側部と中殿筋の一部が、瘢痕化し強く癒着していることが判明したことを述べる。

76山崎裕功らの報告(文献二―八六)

昭和三五年から昭和四九年の一五年間に、大腿四頭筋拘縮症と診断した九〇例一〇八肢のうち、手術的治療を行つた四八例五五肢について術後の成績検討をしたもの。術後一〇年以上の患者はすべて中高校生であり、ほとんどが諸症状の再発を生じていたが、代償機能の発達で日常では問題はなかつたとする。

77坂上正樹らの報告(一)(文献二―八七)

昭和四一年四月一日から昭和四八年八月三〇日までに経験した大腿四頭筋拘縮症一五例二二肢について予後調査を行つたもの。既往症としては、大腿部注射を一三例に認めたほか、新生児、乳児期の重症疾患罹患例および未熟児を高率に認めたとする。また、大腿四頭筋拘縮症は障害筋により、大腿直筋が主因となる場合と、中間広筋が主因となる場合とがあり、前者が一三例一八肢と大多数を占めている旨述べる。

78矢尾板孝子らの報告(文献二―八八)

最近経験した数例の大腿四頭筋拘縮症について、その典型的なものを呈示して、同症に特異な症状、診断上の注意について述べたもの。

大腿四頭筋拘縮症の殆んどは、乳児期に受けた筋注が原因とされているが、注射との因果関係が完全に解明されたわけでもないとする。

79下盛勝らの報告(文献二―八九)

小児期に大腿直筋拘縮症に対する手術を受け、骨成長期を経過した二〇例中直接検診しえた七例および同症で小児期に気づかれたが放置され、骨成長期を経過して手術を受けた一例の報告(なお骨成長期につき、男子では一六歳、女子では一五歳で大腿骨の成長は殆んど完成されるので、同年齢を基準時点とする。)。

右手術例七例中五例に明らかな大腿部への注射の既往が認められ、その注射液の種類は、クロマイ、ペニシリン、解熱剤などであり、一例は注射の既往はなく、一例は不明であつた。右放置例一例は、三歳の時、大腿に頻回の注射を受けていた。

80坂上正樹らの報告(二)(文献二―九〇)

大腿四頭筋拘縮症一六例二六肢についての報告。既往症として、未熟児七例、新生児期、乳児期の重症疾患罹患例一〇例、大腿前側への注射の既往一四例を認め、注射既往例についてその時期と期間は、新生児期、乳児期に注射をしている例が大部分で、一二例を数え、また生来虚弱で三、四歳に至るまで長期間頻回に注射を受けていた症例は二例とも重症例であるが、短期間の注射既往例にも重症例は存在し、薬液の量、種類、頻度も関与している様である旨述べる。

大腿四頭筋拘縮症の原因は、その大部分の症例について注射に求められるべきものとされているが、症例によつては既往歴や症状の進行程度からみて注射等の外因のみに原因を求めるのは困難なものもありえないわけではないこと、大腿四頭筋に拘縮が起こり易い原因としては、①乳幼児期の筋肉内注射が大腿前側に好んで行われること、②乳幼児では組織が幼若で障害を受けやすく、組織反応も旺盛であること、③新生児、乳幼児では薬剤の経口あるいは頸動脈投与が困難で、筋肉内注射によることが多いこと、④注射薬剤量が比較的大量になる場合が多いこと、⑤殿筋、三角筋に比し滑動性の高い部位に行われること、⑥一度形成された瘢痕は成長に従つて相対的な拘縮をきたしてくること等を指摘し、また注射液の種類としては抗生物質によるとする報告が多く、本症の増加の一因を抗生物質に求める立場もあるが、一般的にいつて、注射液の有する非生理的なPH、浸透圧、筋肉毒としての作用が、量、頻度、期間、年齢と複雑に関与し合つて大腿四頭筋拘縮症を惹起すると考えた方が合理的であると述べる。

病型として、大腿四頭筋拘縮症を罹患筋により大腿直筋が主として冒されている型と中間広筋や外側広筋の障害の強いものと、両者の混合型に分け、第一の型が一七肢、第二の型が五肢認められたとする。

81穴沢五郎らの報告(文献二―九一)

五歳男児の大腿直筋拘縮症の報告。歩容異常と正坐困難を主訴として来院、下肢外旋等の定型的跛行あり、正坐異常、尻上り現象著明であるが、大腿部に硬結や瘢痕癒着などはなかつた。尻上り現象の強い左側に手術を行つたが、術野には、瘢痕や変性組織は全く認められなかつた。右疾患の原因としては、手術所見で瘢痕や変性組織が全くみられなかつたことから、先天性原因が大いに疑われるものの、早産未熟児であつたため、新生児期に大腿部へ大量注射したかもしれないことを思うと、後天性の原因も全くは否定できないとする。

82信清典二らの報告(文献二―九二)

乳児期に大腿部筋肉内に注射を受けたことにより発生したと考えられる三例の大腿四頭筋拘縮症の報告。

症例一は、四歳女児で、生後四か月で肺炎に罹患し、大腿部に注射を受け、跛行および正坐不能となつたが、大腿直筋延長術を行い、正坐可能になつたもの。症例二は、三歳男児、生後六か月で発熱、大腿部に注射を受け、跛行となつたが、大腿直筋腱切り術を行い症状が軽快したもの。症例三は、三歳男児で、生後数か月で自家中毒、大腿部に大量皮下注射を受け、正坐不能となり、大腿直筋腱切り術と癒着剥離術を行つたもの。報告例の九〇%は一歳未満に注射を受けており、注射の部位、回数を考慮すべきであると述べる。

83坪田謙らの報告(二)(文献二―九三)

昭和四四年以来取扱つた大腿四頭筋拘縮症の手術三〇例中、術後二年以上を経た二一例の経過の調査結果報告。右症例は、すべて注射により起こつているとする。

84三上洋三らの報告(文献二―九四)

頻回の筋肉内注射が原因と思われる右三角筋拘縮症(五六歳女子)の症例。一七歳のとき、気管支喘息に罹患し、その都度近医にて両側三角筋部に注射を受けていた。三二歳ころから喘息発作は著明となり頻回に注射施行、四五歳のとき喘息のため某医院内科に入院した。五一歳のとき、右肩、右僧帽筋および右肩甲部の脱力感と軽い疼痛が出現し、次第に右上肢が外転位をとり、同時に右肩三角筋部の硬結に気づき来院。昭和四八年四月手術時までの筋肉内注射の本数は総計約一三〇〇本で、主なものはアロテック六六四本、デガデュラボリン一三三本、イノリン六八本、ネオフィリンM五九本等であり、注射は概ね左右交互になされているため、一側に六〇〇本以上の注射を受けたことになる。本症例は組織学的にみても長期にわたる頻回の筋肉内注射によつて起こつた三角筋肩峰部の筋組織の線維化が原因であるとする。

筋肉内注射剤は、文献的に抗ヒスタミン剤や抗生物質などが多く、これらが筋組織への物理的および化学的刺激となつているが、同様に筋肉内注射を受けた者がいる中で、本症が稀にしかみられないことから、注射の物理的・化学的刺激の多少のみに原因を求めることは困難で、先天性に三角筋に非炎症性の線維組織が認められるような例もあることから個体あるいは筋組織の特異性も考慮する必要があると思われるとする。

85鱒淵秀男らの報告(文献二―九五)

頻回の三角筋部への筋肉内注射により生じたと思われる両側三角筋拘縮症(五三歳女子)の報告。二一歳から長期にわたり、両三角筋部に筋肉内注射を受け、初診時両肩関節の外転位拘縮、両三角筋部の索状物の触知などがあつた。本症例では、両側三角筋部への筋注を、約九年にわたり反覆して受けたため、同部の炎症、更に感染が重なり変性や線維化がおこり、瘢痕形成により両側三角筋部の拘縮が起こつたものとし、発症年令が四九歳と比較的高齢であること、外傷の既往がないこと、両側の三角筋中部に注射部位と関連して拘縮が起こつていることなどを考慮すると、反覆して行つた注射による局所の物理的および化学的刺激が原因で三角筋拘縮を起こしたと考えられるが、同様な筋肉内注射を受けた者のうちごくわずかにしか本症がみられないことは、単純に物理的、化学的刺激の多少に原因を求めることは困難であり、個体あるいは筋線維の特異性も考慮すべきであるとする。

86森田茂らの報告(文献二―一〇八)

注射によると思われる大腿四頭筋拘縮症四例の報告。二例には生後間もなく両大腿部に頻回注射を受けた既往がある。他の二例は不明確だが数回にわたり予防注射や感冒等により発熱の際に注射を受けたことがあつた。

本症の成立には薬剤の種類、量、頻度、部位、先天性素因などが複雑に関係しているものと思われるが、大人にはほとんどない点より年令的要素も重視さるべきである。その理由として、注射液の量に対して筋肉の大きさが相対的に小さいこと、年令的に注射を受ける部位としてよく大腿部が選ばれること、筋肉の活動が少なく、筋肉内の血流が不活発であり、従つて、薬液の吸収が不充分なこと、乳幼児の大腿の皮下組織腔は比較的狭小で、この部へ誤つて筋肉内注射のつもりで薬液を入れること、あるいは逆に、皮下輸液のつもりが筋肉輸液になること、年令的に刺激物質に対して組織が過敏に反応することなどが考えられる。また、薬剤又は溶剤の持つ非生理的PH、浸透圧などが、その量、頻度、期間、部位、年令などに関与しあつて本症が成立するものと思われる。

なお、実際には一年間に相当数の乳幼児に大腿部への注射が行われているが、昭和四三年から昭和四七年までにわれわれの外来を訪れた新患一五、七〇九名中本症と診断されたものは四名にすぎないから、本症は高率に自然治癒が行われていると思われる。

87木下孟らの報告(文献二―九六)

八例の大腿四頭筋拘縮症につき手術を施行した結果を報告するもの。症例は全例注射に起因していると思われるが、注射の種類等については不明なことが多いとする。

88武富由雄の報告(文献二―九七)

大腿四頭筋拘縮症の判定基準を試作し、同症で手術を受けた五九人に同基準にもとづいて手術および術後の理学療法を施し、追跡調査を行つたもの。

右症例のうち生後一年以内に入院治療を受けたもの二四人、少なくとも一〇回以上の注射を受けたもの一二人と三六人が生後一年以内にかなりの多量の注射を受けている。薬品の追跡については不可能であつた。大量の注射では、直筋のみならず広筋にも悪影響を及ぼし、結合織性の連絡がおこり、混合型が多くなるものと考えられる。手術時の所見には、肉眼的にも瘢痕の強い部分の組織像は、筋膜に接して筋肉の変性がみられる部分や、変性した筋線維が細く蛇行し、その間に膠原線維が入りこんでいる部分や、ほとんど膠原化し、その中に変性した筋線維がとり残されている部分などがみられ、注射による影響が大きいことを示している。身体運動学的に、大腿四頭筋は二関節筋であり、乳児期では大腿四頭筋を最大限に伸張する運動の機会がほとんどなく、下肢は伸長状態にあることが多いし、また静止時には乳児の血行が極めて少ないため注射による変性が起こりやすいため、拘縮度が多くなると思われる。

一方、注射歴の全くないものが五例あり、注射の原因以外に先天性のものもあるので、これに該当する可能性もある。

本症の発症には年齢、注射の量、頻度、注射液の性状、その他発育との関連などいろいろな要素が複雑に関係していると思われる。

89飯坂英雄らの報告(文献二―九八)

昭和四九年までに診察した大腿四頭筋拘縮症一二三例の分析ならびに、うち手術的治療を行つた三七例および直接検診しえた一九例についてより詳細に検討したもの。

手術例三七例中三〇例に明らかに大腿部への注射を受けたことを親が記憶していた。そのうち三例は注射後同部が化膿し、切開を受けた既往があつた。不明あるいは注射の既往がないものが七例あり、そのうち出産時に仮死状態であつたものが二例、未熟児で保育器に入つたものが二例あつた。残りの三例はまつたく注射を受けておらず、また外傷、感染の既往がなく、先天性と考えられる症例であつた。

注射を受けた原疾患としては、感冒が最多で、虚弱体質、肺炎などが次に多かつた。原疾患のため、抗生物質、解熱剤、補液が頻用されたであろうが、具体的な薬品名、回数、量、期間などは明らかにし得なかつた。

90小池浩太郎らの報告(文献二―九九)

注射後の三角筋拘縮症二例の報告。症例一は四四歳の男性で主訴を肩こりとし、症例二は胸部の側彎症を主訴とし、両肩とも手術で索状物を切除した。症例一は鎮痛剤、症例二は抗生剤の注射を長期にわたり同一部位に受けており、注射の部位および期間についてはより細やかな注意が必要であろうとする。

91田中晴人らの報告(文献二―一〇〇)

昭和四九年一〇月五日、八六五人を検診し、約一〇名の大腿四頭筋拘縮症の患児を発見したうちの一〇歳女子の症例報告。乳幼児期に頻回に抗生物質、ピリン系薬剤等の注射を行つている。主訴は、左外旋歩行、跛行と正坐困難であり、左大腿前面部に約一五cmの索状硬結と陥凹があり、尻上り現象は著明、手術所見は索状硬結部に一致するところ、即ち大腿直筋に強度の瘢痕化がみられ、中間広筋、縫工筋起始部にもそれが及んでいた。病変の強度な大腿直筋で、その組織像の一般所見は、陳旧性瘢痕像を示し、筋間線維内に強度な脂肪変性、壊死、炎症性細胞浸潤等がみられた。

本症の成因は不明であるが、注射の薬液の種類、量、頻度、年齢、浸透圧等が本症の発生機転に関与するものと考えられる。

92並河滋之らの報告(文献二―一〇一)

三角筋拘縮症二例の報告。症例一は九歳女子で、八か月ころから五歳までの間によく風邪をひいたり扁桃炎のために、両肩特に左肩部に抗ヒスタミン剤や抗生物質の注射を含む注射を約四五〇本程受けた後、三歳ころから左側の肩甲骨が突出して来たものであり、症例二は七歳女子で、同様によく風邪をひいたり、扁桃炎のために高熱を出したため抗ヒスタミン剤や抗生物質の注射を、両側の肩部に交互に受け、その回数は、一歳から三歳まで約二〇〇回、三歳から五歳にかけては約一六〇回、合計約三六〇回であるが、この後二歳ころに左肩甲骨が突出してきたもの。本症例には、個体側の要因や、三角筋肩峰部の筋線維の解剖学的な特異性が関与していることも否定できないが、右のとおりの異常に多い頻度の抗ヒスタミン剤や抗生剤の注射を三角筋部に受けていることより、本症の発生には注射が寄与していることは明らかであるとする。

93井上紀彦らの報告(文献二―一〇二)

神戸市における大腿四頭筋拘縮症の検診をしたところ、一八九名が受診し、うち一六名二四肢が本症と診断された。大腿前面に異常硬結、索状物、陥凹を認めながら本症と診断されなかつた者は一五名であつた。

94坪田謙らの報告(三)(文献二―一〇三)

過去四年間に注射によるとされる大腿四頭筋拘縮症四四例を治療した経験を基礎として本症の発生機序と治療について検討したもの。四二症例は集団的に発生したものであり、全例が出生直後より二年以内に大腿部に注射を受けた経験をもち、すべての症例に尻上り現象が陽性に現われた。このうち日常生活上支障の多い三〇例を手術的に治療し、この際大腿直筋および周囲筋膜に著明な線維性変化を認めた。発症機序については、報告および自験例の共通因子を集約すると、乳児期、ことに出生直後より半年の間に、大腿部に注射を受ける機会があり、しかも頻回にわたつて同一部位に受けていたことが明らかであるところ、投与された薬剤の側からの問題として、薬剤自体の組織障害作用、または薬剤および溶剤の物理化学的性状、すなわち量、濃度、PH、浸透圧の非生理性による組織刺激作用が何らかの因子として作用していることは認められるし、さらに薬剤を注入された組織の側の問題として、注射を受けた時期が正常な姿勢、反射活動の発達過程にあるゆえ、大腿伸筋の容量に比して薬剤の相対的な過剰注入が疑われ、組織および薬剤の双方に基因する吸収不全、長時間の薬液滞留という特殊条件下において作用する薬剤刺激の累積的効果による筋拘縮症の成立過程を推定する。なお、右薬剤吸収不全の点について、特に、抗生物質では長時間にわたる一定血中濃度維持のために、吸収を遅らせる意図をもつて作られた油性剤または懸濁液などが市販されている事実を指摘する。

95三浪三千男らの報告(文献二―一〇四)

三角筋拘縮症八〇例一一八肩関節を対象にして、特にその病態について種々の観点から詳細に分析したもの。全例について、三角筋内への注射の既往を認めた。原疾患の殆んどは感冒であり、注射回数は多くの症例では十数日から数十日に及んでいるが、中には数回の注射によつて発症しているものもあり、注射の頻度が本症に必ずしも関与するものではないことを示唆していた。

96高良宏明らの報告(文献二―一〇五)

昭和四五年以降経験した大腿四頭筋拘縮症一二例についての報告。家族からの詳細な既往歴聴取により、注射時期、注射頻度、注射時診断名および注射薬剤につき検討したところ全症例に大腿部注射の既往があり、症例中七例が生後二、三週という早期より大腿部注射を受けている。また注射頻度については約一〇〇回という頻回の注射既往を有するものが四例あるが、二、三回という少ない注射回数のものも二例ある。注射頻度とADL(Activities of daily living)障害の強い尻上り角度三〇度までの患肢数の関係をみると、注射頻度二、三回のものが二患肢、約一〇回のものが三患肢、約一〇〇回のものが三患肢であり、必ずしも一定の傾向を示さず、二、三回や一〇回程度の注射でも障害の強い症例がある。注射時の診断名は感冒、扁桃腺炎、麻疹等乳幼児にありふれた疾患が大半を占めている。使用された注射内容につき確認できた症例が六例あり、その主なものは二五%メチロン、クロラムフェニコール製剤であり、その他一〇%フェノバール、五%ブドウ糖液であつた。

新生児期から歩行開始前の乳児期にかけての筋肉組織の発達は弱く、この時期における比較的短期間内の頻回注射はその筋肉組織の大きさに比べて注射量が過量となりやすく、また病床時における筋肉活動の不活発さと相まつて薬剤吸収が不十分となり、薬剤そのものの組織障害性を助長するものと考えられる。注射回数の少い症例にも本症発生をみていることは、発生予防の面より考えると、注射部位の選択よりもむしろ注射製剤そのものの再検討が必要であると考えられるとする。

97大吉清らの報告(三)(文献二―一〇六)

乳児期に殿筋内注射を受けた一一五例の検診を行い、二九例(25.2%)に殿筋拘縮症の有所見例を発見した。このうち直ちに治療を要する六歳女子の症例では、一歳から一歳一〇か月の間に三三回の殿筋内注射を受けており、本症は注射が原因と考えられる。

98亀井正幸らの報告(文献二―一〇七)

大腿四頭筋拘縮症五九人の手術症例を詳細に分析し、試作した判定基準に基づいて術後成績の検討を行つたもの。

大腿四頭筋拘縮症の原因について、大腿直筋の解剖学的特徴の点について触れ、同筋は中枢側の腱がかなり長く末梢にまで及んだ羽状筋であり、変性がおこると容易に末梢側の腱との間に結合織性の連絡をしてしまい、また、同筋は二関節筋で、乳児では伸展される機会が少なく、血行も少ないため、注射により変性をおこしやすく、大腿直筋型の拘縮症が多くなる。これに反して、歩行開始後は、注射の影響は少なくなるが、大量の注射では直筋のみならず、広筋にも影響を及ぼし、混合型になるとする。

99森谷光夫の報告(文献二―一〇九)

既往注射内容の明確である大腿四頭筋拘縮症四一例(男三〇例、女一一例で、年令は三歳九か月から一〇歳九か月までの平均七歳一か月)につきカルテをもとに、初回注射年、注射期間、注射薬の種類および本数につき調査し、症状等を検診活動などで把握して検討した結果の報告。

(一) 初回注射年令

本症例の七〇%が生後六か月以内に、九五%が生後一年以内に初回注射を受けており、乳児への筋肉内注射の危険性を明確に示した。

(二) 注射期間

注射使用期間の本症発生、重症度への関与は認められなかつた。

(三) 注射薬の種類と本数

総本数は二本から四〇一本までで平均八一本であつた。総本数中に抗生物質の占める比率は五〇%、ピリン系解熱剤は三八%であつた。一回使用時注射量はおおむね能書の指示どおりであつた。

注射薬の種類により筋障害性には差がみられ、また、注射本数が増加するに伴い重症化する傾向がうかがわれた。

(四) まとめ

最多本数が四〇一本であつたという事実は小児への安易な筋注へのいましめであるとともに、最小数二本で重症例が生じていることは、注射薬自体のもつ非生理性への警告であろう。乳児期とりわけ生後六か月以内に行われる大腿部への筋注の危険性については、筋自体の発育の未熟性、筋肉活動の未発達、組織反応の過敏性、あるいは投与された薬剤に対する局所の相対的な容量の少なさ、吸収能力の低さなどが論議されているが、本結果はこれを裏付けるものであろう。

以上により、本症発生基盤には、注射薬固有の筋障害性が存在し、それが乳幼児という固体のもつ特殊性のうえに多用されたことが、本症の発生と重症化へと導いていつたと推定された。

100萩原博嗣らの報告(文献二―一一〇)

昭和五四年一月および昭和五五年二月の二回にわたり、熊本県天草郡五和町内の三小学校と二中学校の学童・生徒を主とする五歳から一八歳までの二〇三名を検診した結果の報告。

三角筋短縮症五九名、大腿四頭筋短縮症二〇名と顕著な多発傾向が認められた。三角筋短縮症は男二七名、女三三名で、障害側は右のみ七名、左のみ二六名、両側二六名であつた。年令別にみると、昭和三八年出生の子供から目立はじめ昭和四五年をピークに、注射による筋肉障害が社会問題化した昭和四九年以降の出生児には認められない。

医療施設の注射内容と患者発生分析の相関は濃厚である。

注射をした際の病名はかぜが圧倒的に多く、次いで、麻疹、耳下腺炎といずれも今日の小児科学では筋肉注射を必要とする場合は少ないとされる疾患がほとんどである。診察カルテの閲覧が可能であつた三二名についての注射薬の調査では、テラマイシン、カナマイシン、リンコシン、クロマイゾルなど抗生物質の多用が目立つている。

全体に本数が多いものほど重症例が多い傾向が認められるものの、一方一〇本以下でも中等度の三角筋短縮症の発生が認められる。三歳時の三本の筋肉注射により中等度の三角筋短縮症になつた例もある。

注射歴および患者分布により、筋注およびその部位と筋短縮症発生の相関は明らかである。

三小括

以上認定の本症の発生状況、検診報告および症例報告を総合して考察すると、①筋拘縮症の本態は、条拘縮部位の筋肉が瘢痕化(線維化)したことにもとづく瘢痕性拘縮であり、これが各拘縮部位の相違等により、種々の形態の機能障害として発現してくるものであること、②筋肉の瘢痕化(線維化)は、筋肉の変性、壊死にもとづくものであるところ、これらは筋肉内注射はもとより各種の筋肉に対する化学的・物理的作用等によつて容易に引き起こされる現象であること、③筋拘縮症は、全国的に隈無く分布している疾患であり、とくに昭和三〇年代半ばころから急激に症例数が増加している現象がみられるところ、本症は、全国、各地方、各病院、各症例のいずれの単位レベルにおける調査結果においても、その大多数が本症を発症する以前の時期・それも生後半年ないしは一年以内を中心とする乳幼児期において、該当部位に注射を受けた既往を有するものであることが判明しており、カルテの調査可能な患児については、その殆んどすべてについて注射の既往歴が認められ、注射の既往が明らかでないとされたものについても、これらの調査は、問診等本人または近親者等の記憶に依拠したものがその殆んどを占めているにすぎないため、直ちに注射の既往が存しないものというべきではなく、出生直後における入院中等の記憶として残り難い機会に受けた注射等の可能性の大きいことを考慮すると、注射の既往が存したことは、容易に否定し難いものというべきであること、④集団発生した事例の中には、各病院の注射部位に関する好みによつて、発生した筋拘縮症の種類に歴然とした相違が認められること、⑤本症の発症頻度および重症度は、注射本数または注射使用量が増加するに従い、いずれも概ねその度合いが高まつていく傾向が認められること、⑥本症は、各実態調査によると、患者数に年次推移の存する疾患であることが窺われるうえ、全国的に隈なく分布しているとはいうものの、各地域によりその発生率にかなりの片寄りがみられ、さらに特定の病院から集団的に発生するという顕著な例が数多く認められていたところ、本症が新聞報道等によつて取り上げられ、本症に対する認識が深まり注射を使用する頻度が減少するにともない、本症の発生も減少する現象がみられたこと、⑦各報告例中、本症の原因として先天的要因をあげるものがあり、乙ハ第四四ないし第四七号証によれば、他にも先天性症例の報告例が散見されることが認められるが、これらが先天性と判定された根拠は、注射の既往が明らかでなく、また当該部位への外傷、感染、手術等の病歴が明らかでなかつたから、残るは先天的なものという推論によるものであつて、注射の既往についての判定が不確実さをともなうものであることは、前記のとおりであるうえ、本症の発生には年次推移があり、地域により発生率に大きな差異が存し、また特定医院からの集団発生すら認められ、さらに注射との結びつきを顕著に示す右③ないし⑤記載の事実を考慮すると、本症についての先天性症例の存在は全面的に否定できないにしても、極めて稀有のものというべく、我国における本症の殆んどは先天性のものではないものというべきであることが認められる。

そうすると、筋拘縮症の本態である筋肉の瘢痕性拘縮は、筋肉内注射等による筋肉に対する化学的・物理的作用等に起因するものとみて誤まりないものというべきであるから、筋肉注射以外の当該部位への外傷、感染、手術等の病歴が認められるなどの特段の事情が存するものと認められない限り、筋拘縮症は、筋肉注射による筋肉に対する化学的・物理的作用が原因となつて引き起こされたものというべきである。

しかして、筋肉注射による筋肉に対する作用は、注射針の穿刺による物理的作用を除き、その殆んどが、注入された注射剤のもつ化学的・物理的作用によつて占められているといつても過言ではないというべきであるから、筋肉注射剤は、その作用により注入部位の筋肉組織、とくに筋線維に対して、その変性、壊死ひいては瘢痕化をもたらすものとして筋組織障害性を有するものであるというべきであつて、すべての筋肉注射剤は、筋組織障害作用を有するものであり、この筋肉注射剤の筋組織障害性が筋拘縮症の原因となつているものということができる。

なお、第四の一4の(二)に認定のとおり、厚生省筋短縮症研究班発生予防部会は、岩見沢市における三角筋拘縮症調査結果に基づく結論の一つとして、同程度の注射回数を受けたものの中で筋拘縮症症状の著明なものと然らざるものと見出されていることは、本症の発生機序に体質的素因の関係する可能性も示唆するとしており、また、前掲文献二―一七、二―三六、二―四四、二―九四、二―九五中にも同旨の記述がみられるのであるが、前掲甲う第九六号証によれば、右予防部会の発表は、注射薬剤、量、回数、人体内での注入部位、年令など注射に関係した諸要因を一定にして発症の有無を比較したものではなく、単に「同程度の注射回数を受けたもののなかで筋拘縮症の著明なものと然らざるものとが見出されている」という観察に基づいての結果であつて、注射回数も同程度というだけのものであり、他の発症条件も揃つていない群間の比較であるが故にこれをもつて体質的素因の可能性を示唆することは根拠に乏しいといわざるを得ないものということができることを認めることができるから、右発生予防部会らの見解は採用しない。

第五  筋拘縮症の発症機序

一注射剤の組織障害性に関する実験

そこで、進んで注射剤の有する組織障害性について審究するに、<証拠>によれば、注射剤の組織障害性に関する実験に関するものとして次の事実を認めることができる。

なお、実験等報告文献の内容については、当該文献番号に対応する別紙実験等報告一覧表記載の書証によりこれを認めることができる。

1沿革

注射剤の組織障害性の研究の歴史は古く、筋肉注射法の人体への応用と共にその研究は進められてきた。既に明治三六年にはチェー、バツゾリーのサリチル酸水銀を筋肉注射した部位の筋病変に関する報告が本邦においても紹介(「撒里矢児酸水銀、筋肉内注射後ニ起ル局所変化」、医学中央雑誌一巻九七号)されているが、そのなかには、注射剤の筋肉注射した部位に筋の塊状崩壊(壊死)や、筋肉の瘢痕形式、空洞形式などがあることが記載されている。その後も、別紙実験等報告一覧表中の文献番号三―一ないし七の各文献等の、筋注部位および同周辺部における変化の組織学的研究が相次ぎ、当時の筋注剤には筋障害を含む局所障害性のあることが認められるに至つた。

溶解性のある筋肉注射剤の組織障害性についての研究は、広汎に使用されるようになつたペニシリン系の局所刺戟性が問題になつて以来のことであり、既に昭和二一年には、ロマンスキーが油性のペニシリンの注射部位の生検病変を、動物実験のそれと比較検討し、これら薬剤によつて筋肉内に炎症細胞の浸潤と線維芽細胞の増殖を確認している。また昭和二五年にホルブルックらの実験でも、ペニシリンの組織障害性が確認され、昭和二九年にパンらによつてテトラサイクリン、オキシテトラサイクリンの組織障害性が確認されている。

その後の諸外国での研究は、医薬品を開発していた製薬関係の研究所が中心となり、主として動物実験に基づく注射剤の局所障害性の研究が進められていたが、このような背景を受けて、昭和三四年にハーガンが「食品添加物、医薬品ならびに化粧品の安全性の評価」と題する成書の中で、筋肉注射剤の障害性を調べるには、家兎の仙棘筋に注射をし、筋肉組織の障害を組織学的に検討することが必要であるとし、要旨次の如き内容の実験を勧告している。即ち、

薬剤の刺激性および腐食性等は、非経口使用時にとりわけ重要となるが、これらのものの筋障害性を評価するには、家兎の仙棘筋を用いるならば、同筋では、注射液が完全に筋肉内に貯留し、大腿部を用いた時のような筋肉間に流失することがない点、同筋はそれぞれ一側に二本、合計四本の注射を各被験動物ごとになしうるために、異なつた時間、薬量、また対照物質などのために注射する部位が残されている点で便宜でありこれを推奨する。

注射後は、期間経過後、屠殺し、筋肉を完全に摘出し、一〇%ホルマリンで固定し、長軸切片を作成し障害部位の検索、計測等の測定に用いる。

この後も、昭和三六年にダニエル・ハンソンらによつてクロラムフェニコールの、昭和四〇年にCiocらによつてスルピリンの、各組織障害性の報告がなされており、このうちハンソンらによる報告は、そのころ、訴外台糖ファイザー株式会社によつて、そのままその発行にかかる翻訳パンフレット中に掲載され、本邦においても配布されたものであり、その内容は次のとおりである(文献三―八)。

(研究の目的)

テトラサイクリン、クロラムフェニコールおよびオキシテトラサイクリンの筋肉内注射部位および皮下注射部位に生じた組織内の変化を比較すること。

(研究の方法)

トテラサイクリン、クロラムフェニコールおよびオキシテトラサイクリンの市販されている非経口用製剤を、皮下注射および筋肉内注射により、雄の白兎(1.6ないし2.4kg)に注射した。いずれの場合においても、製薬会社の推奨する薬用量に従つた。抗生物質を含まない溶解液を対照として注射した。

(抗生物質)

① クロラムフェニコール末(筋注用)

蒸留水2.5ccを加えて注射液を調整。クロラムフェニコール一〇〇〇mg含有。

② クロラムフェニコール琥珀酸ナトリウム末(筋注用)

蒸留水3.8ccを加えて注射液を調整。クロラムフェニコール一〇〇〇mg含有。

③ テトラサイクリン末(筋注用)

蒸留水二ccを加えて注射液を調整。テトラサイクリン塩酸塩一〇〇mg含有。

④ オキシテトラサイクリン末(筋注用)

蒸留水二ccを加えて注射液を調整。オキシテトラサイクリン一〇〇mg含有。

⑤ オキシテトラサイクリン注射液

注射液二cc。オキシテトラサイクリン一〇〇mg含有。

(研究の細目)

皮下注射は、評価するについて五群に分けられた兎六匹に対して行われた。第一群および第二群においては、兎一六匹に四種の抗生物質と四種の対照注射液がそれぞれ一回ずつ注射された。第三群においては、兎二〇匹に、四種の抗生物質が各々一回ずつ注射された。第四群および第五群においては、兎三〇匹が、四種の抗生物質の第二回目の注射を第一回目と同一部位に受けた。

殿筋内注射は、評価するについて八群に分けられた兎六六匹に対して行われた。八群中四群においては、兎三三匹が、二種類の抗生物質をそれぞれ一回ずつ注射され、他の四群においては、兎三三匹が二四時間後に、二種類の抗生物質の第二回目の注射を受けた。

第二回目の皮下、または筋肉内注射が行われる場合には、最初の注射部位に、ゲンチアナ紫(塩化メチルローズアニリン)によつて印をつけておき、第二回目の注射を二四時間後に、この部位に行つた。筋肉内注射は、左右殿部筋肉内に行われた。

兎は最後の注射を行つてから、二四時間後に剖検に付され、注射を受けた組織は直ちに採取され、その反応を肉眼的に検査して写真にとり、次いで一〇%中性ホルマリン液中で固定された。標本は、顕微鏡検査を行うために、最大の反応を示している部分から作製され、エオジンおよびヘマトキシリンによつて染色された。

(要約)

肉眼的および顕微鏡的検査の示すところによると、最も軽い壊死は、オキシテトラサイクリン製剤によつて生じた。壊死は、クロラムフェニコール琥珀酸塩およびテトラサイクリン(末)の注射をした後が最もひどく、且つ広範囲にわたつていた。クロラムフェニコール(末)は、クロラムフェニコール琥珀酸塩、ないしは、テトラサイクリン(末)よりは、軽度の壊死を生ぜしめたが、いずれのオキシテトラサイクリン製剤による場合よりも、その壊死程度は重かつた。クロラムフェニコール末の注射を行つた場合には、常にその末の白色沈着物が組織内に発見された。

テトラサイクリン(末)では、多形核細胞血管外溢出が最も強かつた。赤血球の血管外溢出は、クロラムフェニコール琥珀酸塩、クロラムフェニコール(末)、および、テトラサイクリン(末)による場合が最も著しかつた。単核細胞による浸潤は皮下注射による場合には、各種抗生物質問では認むべき相違はなかつたが、筋注された場合には、二種のクロラムフェニコール製剤、およびテトラサイクリン(末)による場合が最大であつた。皮下血管の血栓形成は、テトラサイクリン、および二種類のクロラムフェニコール製剤による場合に最もしばしば起こつた。

注射部位の皮膚の壊死は、テトラサイクリン(末)、およびクロラムフェニコール琥珀酸塩の場合にのみ起きた。

溶解液の対照用注射液の注射のみによつては、認むべき反応は起らなかつた。

2本邦での研究のはじめ

本邦における筋肉注射剤の組織障害性の実験的研究は、筋肉注射剤の開発に当つていた製薬企業によつて始められた。

(一) 荒蒔義和らの報告(文献三―九)

新抗生物質クロモマイシンA3(以下「A3」という。)薬剤について、人体使用に先立ち、急・慢性毒性および薬理学的検討をなした結果報告。そのうち、薬理作用の一つとして、局所作用について検討したものの報告内容は次のとおりである。

(1) 局所作用の試験

家兎の耳殼表面皮内および眼瞼内にA3の0.001、0.01および0.05%溶液0.1ccを、それぞれ注射または点眼し、一週間にわたり観察する実験と、一〇倍量のサルチル酸ナトリウムを加えて溶かしたA3の0.005%溶液(臨床使用時と同一条件)を家兎腓側広筋内に一cc、一回または連日五回注射し、二四時間後に剖検して局所変化を肉眼的に観察した。またこの溶液0.1ccを家兎耳殼皮内に毎日一回五日間投与して、その日の変化を観察した。

(2) 実験成績

0.05%溶液の点眼は、眼結膜に何等の変化を及ぼさない。耳殼皮内注射では、0.001%(一μg)で充血腫張後二、三日で恢復するが、0.01%(一〇μg)および0.05%(五〇μg)では腫脹後潰瘍となつて耳殼に穴があき、一週間後には経五mmの穴を残して治癒するが、その周囲にそれぞれ3.2mmの幅で脱毛部を生ずる。

サルチル酸ナトリウムを溶媒としたA3の0.005%溶液一cc(0.05mg)の筋肉内注射は一回投与では著明な局所作用を示さない(出血斑、軽度変性)が、五回連投すると広範囲に出血を伴なつた壊死を起こす。家兎耳殼(五μg)皮内五回連投では二、三回目から投与部位の浮腫が拡大し、遂には耳の過半が腫脹したが、数日後終熄して乾燥し、透光度を増す。これらのなかに含まれるサリチル酸ナトリウム(筋肉五mg、皮内0.5mg)単味では連投によつても全く局所作用を示さなかつた。

また、家兎慢性毒性試験の際行つたA3の静脈内注射は、耳静脈に影響を与えた日を追つて注射は困難となり、最後には耳殼の変形を来たし、犬、ラットに皮下注射の際局所に膿瘍が形成された。

(3) 考察

A3の局所作用はかなり強く、0.005%以上の濃度では、皮下または筋肉に壊死、化膿を起こす。したがつて静脈内あるいは動脈内投与がすすめられる。

(二) 美間博之らの報告(文献三―一〇)

医薬品の溶解剤、安定剤として注射薬に用いられ、市販されているポリオキシエチレン(以下「Poc」という。)系界面活性剤について、その局所刺激作用を調べ、その構造と局所作用との間の関連性、さらに溶血性および物理化学的性質との関係を検討したもので、その報告内容は次のとおりである。

(1) 局所作用試験法

体重2.5kg以上の健康な家兎を背位にして固定し、検液(各活性剤を0.9%NaCl含有水に一および五%溶解した液を作り、加熱滅菌したもの)一ccを大腿部筋肉に徐々に注射。一定時間後試験家兎を放血致死し、局所部位を開いて投与部位の症状を肉眼的に観察、局所作用の判定を行なう。

(2) 考察

非イオン性界面活性剤を皮下または筋肉に注射すると局所作用が起こるということは、経験的に知られているが、正確な実験はほとんど報告されていない。これは、その作用の判定が困難なことと、多くの動物を用いる必要があるからであるが、本試験法によると、種々の活性剤について構造と局所作用の関係を出すことができ、また局所作用というマクロな現象は筋線維細胞の溶解という現象がより集まつていることが明らかとなり、そしてこの作用の傾向は溶血作用とほぼ平行しているが、溶血作用は赤血球の構成部分であるコレステリンの透入であることからして、この点について実験を行つたところ、局所作用、溶血作用、コレステリン単分子膜への透入の三者の間に平行関係のあることを見出した。

(三) 新谷茂らの報告(一)(文献三―一一)

クロモマイシンA3の有する局所障害作用について、その薬理学的研究(文献三―九)に続き、さらに病理組織学的検索を加えて研究するため、筋肉内(ウサギ)、皮下(ラット)、腹腔内(ウサギおよびマウス)、静脈内および眼瞼内投与(いずれもウサギ)などの種々の投与方法による種々の組織での局所障害の症状と程度を経時的ならびに量的に検討し、あわせて病像修飾への手がかりを得ようとしたもので、その報告内容は次のとおりである。

(1) ウサギの筋肉内投与による成績によれば、A3の投与後二四時間における肉眼的所見は、出血斑程度で、五日後に初めて出血性壊死を伴なう強度の炎症を示した。組織学的検討では投与三時間後、すでに筋線維および神経線維の退行性変性が認められ、二四時間後には血管の破綻を生じて出血し、これが肉眼的に見た出血性壊死に移行し、五日後に細胞浸潤を伴なう典型的な炎症過程をたどり、変質性出血炎となることがわかつた。筋肉内投与による投与五日後の局所障害は、その後も持続するが、二週間後には回復の傾向を示し、筋細胞の再生と血管の新生が著明となり、六週後には肉眼的および組織学的所見ともにほとんど正常組織にもどり、可逆性の炎症であることが確かめられ、一般の炎症過程とはほとんど差異がなかつた。

ラットの皮下投与においても、ウサギの筋肉内投与の場合の肉眼的所見と同様、投与後五日目に投与部位に浮腫と硬結からなる強い症状が現われ、その後痂皮の自然剥離を経て二〇日後に完全に治癒したが、組織学的にはとくに脂肪組織の変性が注目された。腹腔内投与でも遅発性の炎症が認められ、腹腔内の各種脂肪組織が肉眼的にも組織学的にも顕著に変性または壊死を起こすことがわかつた。

(2) 以上のようなA3の局所障害を量的に見ると、投与量よりも投与溶液の濃度に比例することは注目に値し、いずれの投与方法においても、その最小濃度はほぼ等しかつた。即ち一回投与によるA3の最小局所作用濃度は、ウサギ筋肉内投与(一ml投与時)のとき五mcg/ml、ラット皮下投与(0.5ml投与時)で3.12mcg/ml、マウス腹腔内投与(0.5mlないし1.0ml投与時)で五mcg/mlであつた。マウス腹腔内連続投与(毎日一回三ないし六日間、0.5ないし1.0ml/mouse)によれば、その最小局所作用濃度が0.2mcg/ml、で、一回投与の二五分の一となつた。

(3) A3の腹腔内投与による脂肪変性がとくに腹腔に直接面した側の脂肪組織に強く認められたことは、A3の局所障害の発現にその溶液と組織とくに脂肪組織との接触による影響が大きいと予想される。またA3の局所毒性が肉眼的にみた場合に遅発性であるにもかかわらず、投与部位からのA3の抗菌活性が速やかに消失したことも考え合わすと、A3の投与直後の組織との接触がその局所障害の発現に重要な意義をもつようである。また、腹腔内投与では脂肪組織の壊死が、皮下投与では脂肪組織の壊死の外に、皮下筋肉のいわゆるNecrophaneroseなる概念で説明されるような脂肪変性が同時に認められたことをA3が脂溶性物質であるということと考え合わすと、A3の局所障害にこれらの脂肪壊死や変性が重要な役割を演じているものとして、見逃し得ない特徴といえる。

(4) A3の局所障害に対して種々の薬剤による影響が調べられたが、障害軽減作用を認むべきものはなく、実用的立場としては、できるだけ希薄な溶液(五mcg/ml以下)を用いることによつて局所障害が軽減されうるものと推定される。

(四) 新谷茂らの報告(二)(文献三―一二)

報告内容は次のとおりである。

薬物の筋肉内投与によつて引きおこされる筋肉障害は、薬物刺激を評価する上での重要な指標となるが、これを研究するための実験方法としては、家兎の外側広筋を使用する方法が、過去一三年来の経験により、筋肉全体が他の組織から分離し易く、注射部位を容易に見つけることができ、注射をより正確にくり返すことができることから合理的なものとして推奨しうる。実験方法についての記述は、文献三―一一と同旨。

(五) 青木勝夫の報告(文献三―一三)

注射剤の溶血性、局所作用、疼痛の評価ならびにそれらの防止ないしは軽減法に関する研究の一環として、溶血性、局所作用、疼痛のいずれについても一般に強いものとされている酸性注射液に対し、ブドウ糖液がいかなる影響を及ぼすかを検討したもので、その報告内容は次のとおりである。

(1) 実験

(あ) 疼痛試験

四種の注射液のうち一人一回二種の注射液をそれぞれ左右上膊皮下に三分の一針をもつて0.5mlあて常に左腕に先きに投与、右は左に比べどうかを一定時間ごとに試験用紙に記してもらう。このようにしてそれぞれのパネルに各組合せ計一二回を試みる。投与は一日一回、隔日に行つた。

(い) 溶血試験

成人男子上腕静脈および家兎心臓より採取した血液を脱繊血とし、その0.05mlを共栓試験管中フラン器で三七度に加温した各注射液を一〇mlに加え直ちにふりまぜ、これを再び三七度に保存し一定時後に肉眼で溶血性をみる。

(う) 家兎局所作用

家兎腓側広筋に薬液一mlあて投与、二四時間後その筋肉をとり出し、変性の程度を五段階で肉眼判定する。連続投与の場合二四時間毎に一mlを投与。

(2) 実験結果

(あ) 疼痛試験

ブドウ糖等張の方が塩化ナトリウム等張よりはるかに酸性の痛みを軽減することが明確に示された。

(い) 溶血性および局所作用に関する実験

ブドウ糖の配合は塩化ナトリウムに比べ、溶血性を大幅におくらせる。局所作用については、大きな差はみられなかつたものの、ブドウ糖配合の方がよい傾向がうかがえた。

以上より、注射剤における補助剤としてのブドウ糖は、酸性の影響を緩和し、酸性溶血を顕著に防止する効果をもち、注射液の無痛化に有効性がある。

3本邦における昭和四九年以降の報告

本件原告患児らの本症集団発生が社会問題とされるに至つた昭和四九年以降に本邦においてなされた研究報告としては以下のものがある。

(一) 赤石英らの報告(文献三―一四)

日本薬剤師会調剤技術委員会の「調剤指針」は、<注射剤の条件>として、浸透圧は、なるべく血清と等張であること、PHはなるべく血清のPHに近いことをあげており、日本薬局方解説もほぼ同旨を述べているが、これらは注射剤の組織障害性の指標として重要性をもつものである。

注射剤の溶血性は、右指標としてより一層の重要性をもつものであり、溶血性の各段階の注射剤から代表的なものを選び、人間の常用量からプロキロの量を求め、その倍量を成熟家兎の脊柱両側などに筋注し、三日目に注射部位を切開した結果、生理食塩水では変化はないが、溶血性(+)、()、()、の各注射剤では、溶血性の程度によく比例した筋肉変性がみられた。

なお、二五%メチロンの溶血性は、レスタミンは()、クロラフェニコールゾルは()、ネオフィリンM()、メジコン()である。

(二) 松島達明の報告(一)(文献三―一五)

医師の頻用する注射剤一〇〇種について、そのPH、浸透圧比と溶血性の関係を検討し、併せて若干の動物実験を行い、注射剤の筋肉障害との関係について検討したもの。

(1) 試料にした注射剤一〇〇種のPH分布は、比較的生理的範囲PH6.0ないし8.0のものは四一%であり、溶血性を有するものは六三%であつた。PHと溶血性との間には、はつきりした相関関係は認められなかつたが、ただPH2.0ないし3.0の強酸性の注射剤は概して溶血性が強かつた。

(2) 浸透圧と溶血性の関係については、浸透圧比0.5ないし0.6を境として、それ以下の薬剤の大部分が溶血性を示し、とくに0ないし0.2では赤血球と混和直後から強溶血がみられ、また一〇以上の薬剤では溶血と変色するものが多かつた。しかし、略々生理的範囲と考えられる0.9ないし1.0でも溶血性を有する薬剤が相当数認められた。これは、ホウ酸、グリセリン、尿素、プロピレングリコール、ジオキサンなどの可溶化剤(溶解剤)は等張溶液でも溶血性があることによるものと推測される。

(3) 以上のとおり、薬剤のPH

も浸透圧比も、ごく限られた範囲を除いては、溶血性と平行しないから、注射剤の溶血性を考えるには、PH、浸透圧比は必ずしも目安になるものではない。

(4) 注射剤は、主剤以外に種々の添加物から組成されており、水に溶解し難い主剤は、酸、アルカリあるいは可溶化剤(溶解剤、溶解補助剤)を加えて水溶性とし、さらに製品の安定化を図るために、種々の安定剤、緩衝剤、あるいは酸化防止剤、殺菌剤、無痛化剤などが添加剤として加えられ製品化されているから、たとえ主剤のPH、浸透圧比が生理的条件に合つていても、可溶化剤如何によつては溶血性を有するようになる。

(5) 溶血性の強い注射剤をラットに注射すると局所に壊死を起こさせるが、数週間で治癒することが認められた。

(三) 松島達明の報告(二)(文献三―一六)

風邪、感染症などに頻用される抗生物質、解熱剤のなかから、赤石法により溶血性の強い四種の注射薬(二五%メチロン、クロロマイセチンサクシネート、リンコシン、ピロサイクリン)を選び、ラットの後肢大腿部の前面より大腿直筋内に0.05ml/100gB.W.(0.5ml/kgB.W.)の薬液を注射、

第一群 一回注射後約二四時間目で屠殺剖検

第二群 一回注射後七日目に屠殺剖検

第三群 一回注射後二一日目に屠殺剖検

第四群 隔日三回注射後二一日目に屠殺剖検

の四群とし、各群三匹宛を使用し、注射後、それぞれの期間に屠殺したラットについて注射局所を肉眼的に観察後、一〇%フォモール液で固定、HE染色とVzn Gieson染色およびアザン染色を行つた。

一回注射群の肉眼的所見は、注射後二四時間目に浮腫、腫脹、出血などの変化があつても、七日目ではリンコシン注射群に出血のあとがみられた以外に変化がみられず、二一日目にはメチロン注射群の一例に筋と皮膚の癒着がみられただけで他には変化がみられなかつた。

隔日に三回注射群の肉眼変化は、一例跛行例があつただけで、他に肉体的変化はみられなかつた。しかし、病理組織学的には注射後の二四時間目にみられた高度の炎症と変性壊死は経時的に修復される(肉芽組織により吸収修復現象がみられ、同時に筋線維に再生的肥大ないし核の増加を認める。)が、三週間目にもなお後遺症は残り一部には瘢痕化を示したものもみられた。また三回注射群では、とくに結合織の増殖傾向がみられた。

以上から、注射による筋肉組織障害はかなり長期におよび、同一局所への頻回注射は結合織増殖傾向を強め、遂には瘢痕化する可能性が示唆された。

なお、筋肉組織障害度と注射薬の非生理性との関係については、さらに検討を要するが、筋肉薬のPH、浸透圧比、溶血性の程度との相関関係を証明することは困難であろうと考えられる。

(四) 内田寛の報告(文献三―一七)

筋注剤のうち抗生剤としてはリボスタマイシン(RSM)、カナマイシン(KM)、ストマイ(SM)、クロラムフェニコールナトリウム(CP―Na)、クロラムフェニコールアルギニン(CP―Arg)、クロラムフェニコール筋注液(CP)、ゲンタマイシン(GM)、筋注用アンピシリン(ABPC)、ヘタシリンカリウム(IPABPC)を、解熱剤、抗ヒスタミン剤としては、スルピリン、ピラビタール、ジフェンヒドラミン、クロルフェニラミン等の注射剤を選び、その溶血性、筋肉障害性および回復性について実験した結果、KM、RSMおよびSMは溶血性は殆んどないが、CP―Na、GM、IPABPC等の抗生剤や解熱剤、抗ヒスタミン剤は溶血性が認められた。筋肉の障害性については、溶血性を示さないKM、RSM、SMではその障害性は殆んどないが、三回注射では一回注射に比べて変化は強い。溶血性を示すCP―Na、CP―Argは筋肉障害性が強いが、GM、ABPC、ジフェンヒドラミンでは筋肉障害性を認めるものの、その程度は高度とはいえない。従つて溶血性と筋障害性との間には、きれいな平行関係があるとはいえない。回復性試験では、GM、RSM、KMでは回復は良好であるが、CP―Na、IPABPC、スルピリンでは不良であつた。

二筋拘縮症に関する実験と病理

1本件原告患児らの筋拘縮症大量発生を契機として、以下のとおり、本症に関する多くの実験がなされるに至つた。以下の実験等報告の内容は、当該文献番号に対応する別紙実験等報告一覧表記載の書証によりこれを認めることができる。

(一) 阪本桂造の報告(文献三―一八)

第二編実験的研究(注射が筋に及ぼす影響について)の内容は次のとおりである。

(1) 実験目的

臨床症例の分析により、リンゲル液の大量皮下注射、抗生物質の筋肉注射によると考えられる大腿四頭筋拘縮症の発症頻度が高いため、同物質を用いて注射により筋拘縮に至る筋変性、特に線維化がどのような因子によつてより多く形式されるかを追求した。

(2) 実験方法

三〇〇ないし五〇〇gの健常なる日本白色家兎を用い、右大腿前面中央に注射処置し、右側を処置例とし、左側を対照側とする。

使用薬剤は、リンゲル液と、抗生物質では比較的に使用頻度の高いと考えられる筋注用懸濁クロラムフェニコールを使用する。

薬剤投与量、リンゲル液は三〇cc、クロラムフェニコールは一〇〇mg、二〇〇mg、五〇〇mgに分け、各群については一回注射と三回連続注射(一日一回とし三日間連続注射)とに分け、経時的に一週より二五週(場合によつては三五週)にわたり観察を行う。

(3) 実験結果

(あ) リンゲル液筋注群

注射直後は、瀰漫性に線維増生を認め、筋線維の萎縮をみるも、一回注射では一〇週ころから、連続注射では二〇週ころから軽微となり、三〇週ころでは正常に復している。

(い) リンゲル液皮下注射群

初期にみられた皮下線維化および直下の限局性の筋線維束間線維化が、一〇週ころから進み、表在の筋層での限局性線維化と、時に瀰漫性に全体の筋層に線維化をみる。この程度は連続注射に強い。

(う) クロラムフェニコール五〇〇mg筋注群

当初注射された部分は、線維芽細胞の著明な出現と毛細血管の出現をみ、肉芽組織となり、限局性に線維化しており、その影響を受けたと思われる筋線維には空胞変性をみる。

(え) クロラムフェニコール五〇〇mg皮下注射群

注射当初は皮下腔に限局した線維増生が、時間を経るに従い、皮下腔直下の筋、さらには瀰漫性に全体の筋層に線維化を招来している。

(お) クロラムフェニコール二〇〇mg筋注群

線維芽細胞を中心とする層状の線維増殖を認め、三週、五週と経過するに従い、筋層での線維化および血管周囲での線維増殖を認め、二五、三〇週では空胞変性、脂肪浸潤を招来している。

(か) クロラムフェニコール二〇〇mg皮下注射群

当初皮下腔に限局した線維化が、三週ころから、その直下の筋のみならず、瀰漫性に線維化を来たし、筋線維萎縮をみている。

(き) クロラムフェニコール一〇〇mg筋注群

注射された部分と考えられる所に、線維芽細胞の多数の出現を認め、連続注射ではこの程度が強く巣状をなす線維芽細胞をみる。ここに認められる毛細血管の出現は、肉芽組織となし瘢痕とする生体の防禦反応と考えられる。時間を経た三〇週では局所性の線維化、脂肪浸潤と筋線維の退行変性を認めている。

(く) クロラムフェニコール一〇〇mg皮下注射群

当初は皮下腔にあつた線維増生が、直下の筋にまでおよび比較的限局した表層に線維化および筋萎縮を来たしている。

(4) まとめ

リンゲル液筋注群では、当初あつた筋線維萎縮、筋束間質の線維化も時間を経るに従い軽微となるに反し、リンゲル液皮下注射群では、当初皮下腔に限局した線維増生が直下の筋、さらには瀰漫性に全体の筋層に線維化が拡がる傾向がみられた。

クロラムフェニコール筋注群では、比較的限局性に線維化を認め、これは筋注したクロラムフェニコールの量と回数にほぼ比例している。これに反し、クロラムフェニコール皮下注射群では、注射された局所のみならず、場合によつては全体の筋にまで、線維化と筋線維の萎縮を来たしている。

(二) 三上洋三の報告(文献三―一九)

クロラムフェニコールの注射の大腿四頭筋におよぼす影響について動物実験を行つたもので、その内容は次のとおりである。

(1) 実験方法

生後四週から六週経過した体重五〇〇ないし六〇〇gの日本白色家兎を用い、注射群として右大腿前面中央に注射処置し、左側を対照側とする。

使用薬剤は、筋注用懸濁クロラムフェニコールであり、薬剤投与量は、クロラムフェニコール四ml1.0gを一日一回とし、三日間総計3.0gを連続注射した。

右処置をなした家兎を経時的に処置後二週、四週、八週、一二週、一六週、二〇週の各群に分け、これらの組織学的検索およびインストロンタイプ引張破断試験機による検索を行つた。

(2) 実験結果

(あ) クロラムフェニコール筋注群では、四週経過群で比較的限局性に線維化と筋線維の萎縮および退行変性を認め、八週経過すると脂肪細胞の増生をおこしてくる。一二週以後では筋の膨化変性が著明となる。

(い) 大腿直筋の引張破断試験による荷重―伸張曲線は、すべてS字状曲線を呈した。大腿直筋の破断部は、クロラムフェニコール筋注群の全例において、膝蓋骨部より約1.0cm中枢よりの筋腱移行部に認められた。

(う) クロラムフェニコール筋注群における線維化および脂肪細胞増生の著明な八週群において、張力が最も大であつた。

(え) 実験からは、筋の線維化、萎縮および脂肪細胞増生が筋拘縮症に関連性があるものと推測される。

(三) 宮田雄祐らの報告(一)(文献三―二〇)

第七八回日本小児科学会総会(昭和五〇年五月一六ないし一八日)における、宮田雄祐らの実験報告で、その報告内容は次のとおりである。

(1) 実験目的

注射部位における筋拘縮症の病態の基礎的かつ系統的な検索。これによつて壊死に陥つた筋組織は再生することなく、また壊死部の大腿四頭筋の断面に占める割合が大きくなり、この部が瘢痕化することが明確になれば、本症との因果関係は明らかになるとして実験をしたもの。

(2) 実験方法

日常繁用されている筋注薬のうち、クロラムフェニコール、二五%スルピリン、アミノベンヂルペニシリン、硫酸カナマイシリン、塩酸リンコマイシン、硫酸アミノデオキシカナマイシンの六種と、クロラムフェニコールゾルと二五%スルピリンの混合物について、筋障害性を調べた。

生後五〇日目(平均体重五〇〇g)の幼若家兎二四二羽の後肢を各薬物につき一、二、五、一〇、二〇各本群に分け、能書通りの筋注の後、組織検索を行つて、大腿四頭筋の断面に占める壊死部の断面積比を概算し、本数と比較した。

(3) 実験結果

生食を除くすべての薬剤に筋組織壊死を起こす作用があり、すべてに線維化する傾向がある。この間の病理変化の過程には炎症反応が極めて乏しく、注射による菌感染説は否定的である。注射本数と薬剤による障害断面積の関係では、すべての薬剤本数の増加は明らかに障害断面積の増加を示し、特にPH、浸透圧等の点で比較的安全で、一回注射では筋の変性がないと思われたAB―PC、カネンドマイシンの如きものでも、本数と共に障害断面積が増加して来る。クロラムフェニコール、スルピリン、リンコマイシン等は、AB―PC、カネンドマイシンに比較してやや組織障害性が強い。

(四) 宮田雄祐の報告(二)(文献三―二一および二二)

「大腿四頭筋短縮症自主検診団」の調査、研究を中心に、文献的考察を加えて、小児医療における注射被害の実態、注射と筋拘縮症の発症要因、わが国で筋拘縮症が多発した諸要因を検討する。その内容は次のとおりである。

(1) 実態

自主検診団の調査によると、本症の患者数は、昭和五〇年末現在、大腿四頭筋二四七六、三角筋一七〇、殿筋一〇八、上腕三頭筋や縫工筋一五の計三〇三九名となつた。

大腿四頭筋拘縮症患児の年齢分布では、二〇歳までの発生が僅かであつたものが、昭和三六年四月の国民皆保健制度の導入と共に激増していることが分る。

(2) 注射の病理

自主検診が展開されて以来、注射を打たれた症例の剖検例や、動物実験の病理学的検索も行つてきた。

その結果を要約すると、次の①ないし⑥のとおりである。

① 人体標本でみる病理所見と、動物実験のそれとは全く同一である。

② 反覆注射時の組織変化では、炎症細胞の浸潤、筋の再生像が極めて乏しく、主病変は筋の伸縮を阻害する膠原線維よるなる瘢痕組織である。

③ 注射本数の増加は、各筋群における障害断面積の占める割合を増し、同時に障害部位の長径も増す傾向がある。このことは、注射本数の増加は、各筋群の機能障害の程度を増加させ、瘢痕の距離も増し、物理的にも筋の再生修復が不能となることを示している。

④ 日常使用されている注射薬の殆んどが非生理的なものであるが、PH、浸透圧が生理的な状態にほぼ一致するAB―PC系の如きものでも本数の増加は広範囲な組織障害性を起こすことも明らかとなり、「いくら注射をしても障害がない」という注射薬は存在しない。

⑤ 一二歳で脳腫瘍のため死亡した患児の剖検例の検索では、年長児での反復注射でも、高度の大腿四頭筋拘縮症となつており、「注射障害の起こらない安全な年齢はない」ことを示している。新生児、未熟児の注射で発症している率が高いのは、この時期の骨成長率が大きいことが発症を高めているに過ぎず、三角筋、殿筋等では全年齢を通じて重症の拘縮症となる。

⑥ 皮下性の障害を調べた動物実験では、注射部位の皮下組織に接する筋肉に広範囲の障害が確認された。

(3) 注射薬の障害性に関する研究は古くから行われており、昭和四一年ころには、生食以外の筋注薬に障害性のあることまで確認されていた。特に重要なのは、製薬関係の研究報告が多く、わが国でのこの方面の研究の先覚者は被告武田の研究チームであつた。昭和四一年のレダリの論文には、「すべての筋注薬には障害性がある」と明記されており、約二〇数年以前には筋注薬の障害性は定説化していた。

(五) 光安知夫らの報告(一)(文献三―三五)

大腿四頭筋短縮症の本質の解明と治療法を確立するための動物実験結果の報告

(1) 実験方法

生後四週目のウイスター・マウスの右大腿前面にクロラムフェニコールゾル(以下CPと略す。)、二五%メチロン、生理的食塩水を筋肉注射と皮下注射した。薬液量は、一回0.5mlを一日、五日、一〇日間連続注射し、各処置群を連続注射後一日より一二週まで経時的に二種の固定法、(凍結固定ブアン固定)を用いて観察した。

(2) 実験結果

(あ) CP注射群では、注射後一ないし三日目までは注射部位を中心に薬液の作用したと考えられる範囲に一致して限局性の病変が存在する。病変部を見ると、筋線維は空胞変性を示すものからエオジン好性を示すものまでみられ壊死に陥つた部分もみられる。再生筋線維も多くみられる。中心核の増加もみられる。間質では著明なphagocytosisが生じ、結合織の増殖も認められる。

注射後一週目では、増殖筋線維が一部残存し、再生筋線維が多数認められる。間質のphagocytosisは減少して、collagen fiberの増加が認められる。

注射後三ないし五週目では筋線維はほとんど正常で、一部再生線維がみられ、間質ではcollagen fiberの増加が認められる。

注射後八ないし一二週では、筋線維、間質ともに正常を示す。

(い) メチロン注射群もCP群と同様な病変を生じるが、病変範囲はCP群と比較すると小範囲で、再生筋線維の出現も間質の細胞浸潤も少ない。

(う) 生食水注射群でも限局性の病変を生じるが、CP、メチロン群に比べると明らかに軽度であつた。

(え) 注射回数との関係では回数が増加すれば病変も比例して広がる。CP皮下注群では、表層筋膜の肥厚及び炎症細胞の出現が多数認められた。

(3) まとめ

(あ) ラットにおける注射による筋障害は①focalなmyogenic pat-ternを示す。②TypeⅠ、Ⅱ両線維ともに障害される。TypeⅠ 線維障害が優位である。③CP、メチロン注射によつてミトコンドリア障害が認められる。④Acid phosphatase活性は注射後一週まで高度に認められる。⑤注射回数が増加すれば病変は広くなる。

(い) ラットの筋障害に似た変化は人間でも認められると考える。

(う) 発症に関与する因子として、年令、感受性、抵抗性、筋容量、薬液のPH等の物理化学的因子、筋肉毒作用、障害の繰り返し、軽度の感染などが考えられる。

(六) 光安知夫らの報告(二)(文献三―三六)

文献三―三五に続き、電顕レベルの実験結果を報告するもの。

(1) 実験方法

生後四週目のウイスター・ラットの右大腿前面にクロラムフェニコールゾル(以下CPと略す。)、二五%メチロン各々一mlを一回筋注し、注射後一日目より三週目まで経時的に透過型電顕で観察した。

(2) 実験結果

早期の変化として、同一切片内に全く高度の変化を示す筋細胞から、正常な筋細胞まで混在してみられる。

高度の変性を示す筋細胞では、細胞膜は一部で消失し、筋原線維は均一化し、全く横紋構造は消失している。大小の空胞と変性したミトコンドリアが散在する。Tubular膜構造の出現が認められる。

中等度の筋変性を示す筋細胞では、筋原線維の横紋構造の乱れ、特にZ盤の蛇行を認める。ミトコンドリアのcristaeの膨化、配列の乱れが認められる。

注射後三日目、一週間目の病変部においては、残存したsarcoleminal tubeの内外側に壊死物をとり込んだ多数のvesicleと多くの偽足を持ち、不規則な型をしたマクロファージが多数出現し、同時にsarcoleminal tubeの内側に大きな核を中心に有し、未発達なミトコンドリアと小胞体、ゴルジ装置を有し、フィラメント構造の出現した再生筋線維も出現しているのが認められた。

注射後八週目の電顕像では異常は認められなかつた。

また、CP、メチロン両注射群ともに同様の変化を示した。

(3) 考察

注射により筋障害は、focal toxicな損傷変化であり、損傷が生じると同時に再生過程が進行していることが明らかになつた。また、myoblast regen-crated myofiberの観察などによつて、ラットでは再生されることが証明された。人間において注射を受けてもラットで観察されたような過程で筋の修復が行われている場合もあるのではないかと考えられる。人間ではなぜ注射を施行された一部ではあるが瘢痕という非可逆性を生ずるのか、筋の再生過程から不可逆性の変化を生ずる原因として、①Retardation of develop-ment of myoblasts②Lesser deffie-ren tiation③Incomplete reinnerva-tionなどを考えている。

(七) 厚生省筋拘縮症研究班の報告(文献三―二三)

厚生省筋拘縮症研究班発生予防部会が、注射の組織障害性を検討するため、溶血性の強いものから弱いものまで七種を選び、三つの班が、それぞれ、投与量、注射部位、観察期間をできるだけ同一とし、一部の薬剤は各班で重複するように選び、反応の程度を観察した。

その結果、肉眼的所見では、各班の評価は一致し、また顕微鏡的所見を併せて組織障害性の順位をつけると、クロラムフェニコール>メチロン>フェノバール>レスタミン>ケフロジン>硫酸カナマイシン>イノリンの順であつた。しかし、カナマイシンやイノリンは、今回の実験条件では組織障害性がほとんどなかつたとはいえ、反復注射の場合に無害とは断じ難く、更に長期反復注射の実験を計画中である。

(八) 西島雄一郎の報告(文献三―二四)

報告内容は次のとおりである。

(1) 実験目的

①薬剤筋肉内注射(およびリンゲル液皮下注射)により大腿四頭筋の拘縮が生ずるか否か。また薬剤の種類、注射回数、注射量が筋拘縮発生に与える影響について。

②薬剤筋肉内注射(およびリンゲル液皮下注射)による筋の病理組織学的変化と拘縮との関係。

③薬剤筋肉内注射による筋肉内血管系の変化と拘縮との関係。

(2) 実験方法

(あ) 実験動物

生後三週、体重八〇〇ないし一二〇〇gの幼若白色家兎を用いた。実験家兎数二八五肢、対照群として一〇肢を使用した。

(い) 実験薬剤

抗生剤五種類、解熱感冒剤二種類、ステロイド剤二種類であり、皮下注射剤としてリンゲル液を用いた。

(う) 注射方法

筋注用薬剤は大腿直筋内に筋注し、リンゲル液は直筋前面の皮下に注入した。一回の投与量は、抗生剤については日常小児に臨床的に用いられる体重一kgあたりの投与量より算出した量を、また解熱感冒剤、ステロイド剤については、日常臨床的に幼小児に使用する量の半量をそれぞれ標準投与量とした(例えばクロロマイセチンゾルおよびスルピリンの標準投与量は各五〇mg。)。また、大量投与量として標準投与量の約五倍量を用いた。

以上のように、九種の筋注用薬剤について、標準投与量と大量投与量を決定し、それぞれにつき、三回、五回、一〇回、隔日に筋注し、各五肢ずつ作製した。

(え) 拘縮判定方法

膝を最大伸展位に保ち、大腿四頭筋を弛緩せしめ、これを長軸方向に伸張し、最大に伸張したときの股関節伸展角度をもつて家兎における大腿四頭筋拘縮判定法とした。角度の測定は、上腕骨骨頭と大転子を結ぶ線を基本軸とし、大転子と大腿骨外顆を結ぶ線を運動軸として、その内角を測定した。正常家兎のそれは一四〇ないし一五〇度であり、一三五度以下を拘縮肢と判定した。測定は注射終了後三か月までは一週間毎に測定、三か月以後は一か月毎に測定した。

(お) 病理組織学的検査法

注射終了後経時的に三日、七日、二週、四週、八週、一二週、二四週、四八週の四頭筋を病理組織学的に検索した。

(3) 実験結果

(あ) 拘縮に関して

(ア) 薬剤の種類と拘縮発生

薬剤注射終了後一か月ころまでは、股関節伸展角度は減少し、筋拘縮を示す例が大部分であつたが、一か月を過ぎるころより徐々に改善していく経過をたどるものが多く、最終的に六か月以後まで拘縮を示した例数は全実験肢二三四肢中四肢、1.7%(溶血性陽性薬剤筋注群一四一肢についていえば2.8%)であつた。拘縮発生と薬剤のPHおよび滲透圧比との相関関係はみられないが、溶血性の強い薬剤ほど拘縮発生率が高く、六種の溶血性陽性薬剤の平均拘縮発生率は80.5%であつた。

(イ) 注射量及び注射回数と拘縮発生

拘縮発生率は、大量投与群と標準投与群とでは有意の差はないが、拘縮の程度は股関節最大伸展平均角度でみると前者の方が強かつた。拘縮発生率は、注射回数別に有意の差はなく、拘縮の程度も注射回数別に有意の差はなかつた。

(ウ) 拘縮の経時的変化

実験肢全例の股関節伸展角度の遷移は、大きく四つのタイプに分類された。

全経過中拘縮を示さない正常型、注射終了後一週間程拘縮を示すものの一か月までには正常に復する早期改善型、注射終了後一か月ころには拘縮を示すものの、その後徐々に改善を示し、三か月ころまでには正常に復する改善型、注射終了後全経過を通じて拘縮を示す拘縮型である。

正常型はケフロディン標準投与群、ステロイド標準投与群に多く、全実験肢の14.1%で、早期改善型はリンゲル液皮下注群のすべてと、ステロイドおよびケフロディン筋注群の大部分と溶血性の強い薬剤の一部にみられ、全実験肢の30.1%であり、改善型は溶血性の強い薬剤の大部分がこれに属し、全実験肢数の44.2%であつた。拘縮型は、アクロマイシン二〇〇mg一〇回注射一肢、アクロマイシン二〇〇mg五回注射一肢、クロロマイセチンゾル(クロラムフェニコール)五〇〇mg五回注射一肢、スルピリン二五%二五〇mg一〇回注射一肢、の計四肢であつた。

(い) 病理学的所見

(ア) 拘縮遷移型と病理像

拘縮の程度の変化は六か月までで、その後一定であるため、拘縮型の決定は六か月までに決定可能であるので、各拘縮型の組織像を比較するにあたり、注射終了後二四週(六か月)の標本を用いた。

(a) 正常型

筋膜および筋組織は病理学的に変化はなかつた。

(b) 早期改善型

筋膜、筋線維に変化はないが、筋線維間に一部斑状に空胞化がみられた。線維化はみられなかつた。

(c) 改善型

直筋には注射部に一致して筋線維がほとんど消失してfatty tissueが認められ、この病変部は中間広筋にまで及んでいる。fatty tissueは、正常脂肪細胞類似の細胞よりなり、この中に萎縮した筋線維が散在性に帯状に認められた。線維化は認めなかつた。

(d) 拘縮型

直筋全体が瘢痕線維化で、残存する筋線維や、fatty tissueはみられなかつた。深層の中間広筋には瘢痕線維化はみられず、病変部はほとんどfatty tis-sueで占められていた。

(イ) 薬剤筋注後の病理像の経時的遷移(改善型について)

(a) 注射終了後三日

注射部位に一致して広範な壊死巣(凝固壊死)を認める。境界部位では、正常筋組織から壊死巣に向つて、細胞浸潤が著明であり、また線維芽細胞の浸潤も軽度に認められた。

(b) 注射終了後一週

広範な筋凝固壊死と、その周囲に著明な細胞浸潤を認めた。また線維芽細胞の増殖も盛んであつた。

(c) 注射終了後二週

筋壊死巣の範囲縮少。細胞浸潤層と線維化の占める部位が広い。

(d) 注射終了後四週

筋壊死層および細胞浸潤層はみられず、かつて壊死層であつたと思われる部位には線維化が広範に生じた。線維組織中には萎縮した筋線維が散在し、またfatty tissueがところどころにみられた。

(e) 注射終了後八週

線維化組織内にfatty tissueをみ、その量比はほぼ等しく、fibro-adipose tissueの像を呈していた。

(f) 注射終了後一二週

注射部位に一致して、限局性にfatty tissueがみられ、fibrosis, fibro-adipose tissueの像はみられない。

(g) 注射終了後二四週および四八週

一二週の所見に同じ。

以上のとおり、改善型の病理組織像は、局在的な変化を示し、初期には筋壊死が生じ、異物処理反応過程が進行してfibrosisを示すが、二か月ころにはfibro-adipose tissueの像を経て、最終的にはfatty tissueを示した。

(4) 結語

① 実験家兎において溶血性陽性薬剤の大腿四頭筋内注射により永続的な拘縮を発生させることができたが、溶血性陰性薬剤およびリンゲル液では拘縮は生じなかつた。

② 溶血性陽性薬剤の筋注により生じた拘縮には、注射終了後一か月頃までは拘縮を示すものの、その後徐々に改善を示し、注射終了後三か月頃までに正常に復する改善型と全経過中拘縮を示す拘縮型とがあり、後者は溶血性薬剤筋注実験肢中2.8%であつた。

③ 一時的拘縮の発生に関し、注射量、注射回数の多少はその発生に重要な影響を及ぼさないが、永続的拘縮の発生は注射回数の多い実験例にみられる傾向にあつた。

④ 病理組織学的に、改善型は局在的な変化であり、初期には筋壊死が生じ、異物処理反応過程が進行してfi-brosisを示すが二か月頃にはfi-broadipose tissueの像を経て、最終的にはfatty tissueを示した。拘縮型の経時的変化は明らかでないが、最終的な像は直筋全体の瘢痕線維化像であつた。

⑤ 溶血性陽性薬剤の筋注により、その筋注部位は阻血状態を作り、拘縮発生を助長する一つの原因になりうることを示唆した。

(九) 山村定光の報告(文献三―三四)

(1) 実験目的

抗生物質の筋注による骨格筋の線維化の成立機序を解明するため、抗生物質のうち特にクロラムフェニコールの筋注により筋線維が障害されるとともに、筋線維の再生の際、必要な神経支配が同時に障害され、筋肉の再生が起り難くなるのではないかを確認するもの。

(2) 実験方法

マウスの腓腹筋にヒトに使用されると同濃度に溶解した市販の五種の抗生物質(アミノベンジルペニシリン、セファロシン、ストレプトマイシン、クロラムフェニコール、オキシテトラサイクリン)を筋注し、クロラムフェニコールについては①一回、②一日おき計三回、③一五日間に計三回、④一日おきに一〇回、⑤溶解液のみ0.05ml一回をそれぞれ筋注した各筋注群を作り、各群とも注射後一週間後から四ないし五週間後に屠殺し、注射部の腓腹筋と筋肉内末梢神経を経時的に光顕および電顕で観察した。

(3) 実験結果

(あ) すべての群で注射直後より筋線維、末梢神経、神経・筋接合部には高度の変性像がみられたが、一回筋注群では四週間後には三者はいずれもよく再生されていた。

(い) 頻回注射群では、クロラムフェニコール筋注の回数が多くなるほど筋線維の障害が強く、再生も不良であつた。四週間後にも間質の線維化が認められ、該部には再生の途中で再び変性に陥つたmyotubeも観察され、末梢神経、神経・筋接合部にも変性が持続していた。

(う) 結論

以上によりクロラムフェニコールの有する強い末梢神経障害が筋の再生を阻害し、線維化を惹起させるものと考える。

(一〇) 佐野精司らの報告(一)(文献三―二五)

組織障害性の強い薬剤の筋肉内注射によつて再現性の多い筋拘縮症を実験的に作り、この実験モデルから、さらに整形外科的治療面の検討を意図したもの。その報告内容は次のとおりである。

(1) 実験方法

体重二kg弱、年齢二歳前後の幼若カニクイザル六匹使用。クロラムフェニコールゾルおよび二五%スルピリンの混合液を、三角筋、大腿直筋および外側広筋に一〇回筋注した。筋注後は一週ごとに拘縮発生の有無、さらに一、二および四か月目に、各部位より切除した筋肉片について、病理組織学的に検索した。

(2) 実験結果

筋注部位に一致し、ほぼ四週まで硬結を認めた。筋注六か月後、三角筋、外側広筋からは拘縮の発生をみない。一方、大腿直筋は、筋注後五週ころから、股伸展位膝屈曲角度の減少を示し、六か月以上経過したものでも改善をみない。これらのうち、正坐位をとらせると異常を示すものもみられたが、皮膚の上から線維束形成を示したものはない。手術時の肉眼的所見では、表層筋膜の肥厚が著明で、周囲組織とは強く癒着を示し、易剥離性を失つていた。

筋注一か月後の組織学的所見ではfibrosisが主体で、筋線維の萎縮、局所血管の肥厚およびhemosiderin沈着などがみられ、組胞としてはhis-tiocyteと、lymphocyteが浸潤している。とくに、histiocyteによるphagocytosisが著明。二か月後になると瘢痕周囲の萎縮像は著明であるが、細胞浸潤はほとんどみられない。血管壁は厚くなり、hemosiderinの沈着も多い。線維芽細胞の増加も著明である。なお、瘢痕周囲の、肉眼的に一見健常部と思われる筋肉細胞に脂肪滴が認められた。四か月後になると病巣は固定し、脂肪滴もみられず、ほとんどが結合組織で置換されている。瘢痕周囲の筋線維萎縮は著明であるが、同様に細胞浸潤はみられない。これらを要約すると、各動物間、筋種間に病変の質的差異は認められなかつた。病変の内容は間質線維性組織の増生と筋線維の萎縮につきる。線維化は、epimysium, perimysiumにみられるが、en-domysiumに優勢のようである。鍍銀染色でみると、筋線維周囲の好銀線維は、繊細な網目状構造を失つて、濃縮ないし消失し、代りに褐色に染まるcollagen fiberが侵入増加してくる。

線維化のみられる部分あるいはその付近にpolygonalな性格を失つて、丸くなつた萎縮性の筋線維を多数認める。このような筋線維には核のcentral nucleiを認めるものもある。炎症性細胞は全くみられず、筋線維には核分裂など再生を考えさせる像は認められない。サルの大腿直筋にヒトの場合と、よく類似した拘縮発生を認めた。これらの所見からは、再生、修復は考えられない。しかし同じ操作であつても三角筋、外側広筋に拘縮の発生をみなかつた。この理由として、注射後の経過がなお短いこと、ヒトの三角筋のように形態学的に矢羽状を示さないためとも考えられる。

(一一) 佐野精司らの報告(二)(文献三―二六)

実験的に広筋型および三角筋拘縮症を作る意図ならびに大腿直筋型の筋拘縮症に対しては、その治療手段として、各種の手術操作を行つたとして、その結果について報告するもの。その報告内容は次のとおりである。

(1) 実験方法

年齢二歳代のカニクイザル七匹使用。注射薬剤はクロラムフェニコールゾル一〇〇mg/kg、二五%スルピリン二〇mg/kgの混合液を、左三角筋および中間広筋部に、二週間にわたつて筋注。拘縮発生の程度は、肩外転位角、股屈曲時膝屈曲角および股伸展時膝屈曲角などを指標として測定した。また、筋注後二、四、六か月目に切除した筋肉片は病理組織学的に検索した。一方、ヒトの大腿直筋型に相当する筋拘縮症のサルには、直筋起始部切除、直筋瘢痕部切除および直筋全切除の手術を行つて拘縮改善の程度を検討した。

(2) 実験結果

一匹をのぞき、六匹のサルの筋注部位に一致し、八週前後にわたつて硬結を認めた。中間広筋部に筋注したものは、すべて直筋型筋拘縮症となつて発現し、台と下腿軸とでなす尻上り角は、注射後四〇週になるも改善をみない。なお、三角筋部に筋注した一匹に、肩甲骨固定位をとると、左肩外転位拘縮を示し、肩掴みテストでも、拘縮の存在を認める異常を示した。

手術時の肉眼所見では、表層筋膜の肥厚と周囲組織との癒着著明。筋注四日目のものでは、病巣中心部に壊死と出血を認め、壊死筋線維のhistiocyteによるphagocytosisが著明。二か月では、末梢の方に好酸性均質化に染まる筋線維がみられ、周囲はfibrosisである。六か月のものにも、強い線維化がみられ、筋線維の著明な萎縮をみるが、細胞浸潤はほとんどない。一部の筋束に好酸性均質化があり、central nucleiを認める。これらを要約すると、各個体、筋種間に病変の質的差異はない。変化の主体は間質線維性組織の増生と筋線維の萎縮である。とくに、線維化はendomysiumに著明である。筋線維のmyotubeなど、再生を考えさせる像は認められなかつた。

治療法として行つた直筋起始部切除および直筋瘢痕部切除のみのもとでは、股伸展時の膝屈曲角は改善されなかつた。

(3) 結論

実験的に、中間広筋からの筋拘縮症は発生しなかつた。これは筋注後直ちに動き回れる動物のため、薬剤の流出によるものと推測される。

形態学的に矢羽状構造でない三角筋に注射した一匹に、拘縮発生とみてよい所見を認めたが、これにはなお経過観察の必要がある。

(一二) 佐野精司らの報告(三)(文献三―三三)

(1) 実験目的

筋線維の変性・崩壊過程および再生現象について電顕レベルでの検索を行い、薬剤筋注部の筋線維がほかのcrush injuryの場合と同様な経過をたどつて改善するか否かを検討する。

(2) 実験方法

体重二kgのカニクイザルを使用。筋注薬剤として①クロラムフェニコールゾル一〇〇mg/kgと二五%スルピリン二〇mg/kgの混合液、②クロラムフェニコールゾルのみのもの、③クロラムフェニコールゾル・バイヤル瓶上清液の三実験群を作り、大腿部に一〇日間筋注し、筋注終了後二日目から一二週にわたつて経時的に観察した。

(3) 実験結果

(あ) 一般に筋注部では筋線維に大小不同が目立ち、高度の変性を呈した筋細胞では、その細胞膜の一部が消失し、筋原線維は均一化傾向を示し、大小不同の空胞と変性したミトコンドリアが散見できる。

(い) 筋注後二、四日目では、筋原線維の粗鬆化、筋小胞体の拡大、ミエリン様小体の出現、中心核・多核を示す筋細胞および筋節構造の不明瞭化などの変性過程を主体とした所見を示す。

(う) 筋注後一週目では、筋原線維の横紋構造の乱れ、特にZ盤の分断あるいは蛇行などの変化のほかに、筋細胞周辺部には再生現象と思われる細い筋節類似の構造物が出現してくる。

(え) 筋注後二か月目では変性像はほとんどみられず、細い再生と思われる筋原線維をもつた筋細胞がみられる。

(お) 筋注後三か月目では、無秩序に錯綜して走る筋原線維をもつた肥大筋細胞が線維化巣に隣接してみられるが、変性像などは示さない。

(か) これらの変化は、③、②、①の順にその組織反応の程度が著明であつた。

(4) 結論

初期変化は変性像が主体で、次いで筋注後一週目頃から筋の再生過程が認められることが分つた。このような傷害部に筋節単位の再生が起るためには、筋線維構造の乱れが少なく、間質系反応が強くないことが前提条件であろう。しかし、組織損傷の程度が強い場合は不完全な再生であつて、myofilamentの配列に無秩序な錯綜が起り、筋内aponcurosisとともに不可逆的な筋拘縮症に移行するものと推論した。

(一三) 林敬次らの報告(文献三―二七)

報告内容は次のとおりである。

(1) 実験方法

生後五〇日の幼若家兎の大腿四頭筋直筋部に選択的に一回注射を行い、個体による発症の率や、発症の程度、経日的変化、病理学的変化等を追求した。

注射部位は、大腿中央線より、大腿幅四分の一の内側。針の深さは大腿四頭筋の厚さのほぼ二分の一、被験動物は、注射薬により①クロラムフェニコールゾル(CM)とスルピリン(SP)を各0.1ml/kg一一肢、②CM0.2ml/kg九肢、③SP0.2ml/kg五肢、④CMとSPを各0.5ml/kg四肢、⑤生食0.2ml/kg一〇肢の五群。拘縮状態はペントバルビタール麻酔下で尻上りテストによる膝関節最大屈曲角を計測。直筋内注射は、組織学的検索で確認した。

(2) 結果

①注射前七六肢の膝関節最大屈曲角は82±8.7度。

②CMとSPの混注、CM、SP各0.2ml/kg群での屈曲角の減少は、注射後四日目より明らかとなり始め、九日目以後は生食群に比べて有意となる。

③八日目、CMとSP混注群は、それぞれの薬剤単独群より有意に拘縮が強い。

④直筋内に確実に注射された一六肢では、CMとSP混注、CM、SP各0.2ml/kgとも全例に屈曲角減少があり、一〇〇%に拘縮が認められた。その屈曲制限角の範囲は一五度から四四度で平均27.8度であつた。

⑤五倍量のCMとSPの混注群では、通常量よりも、瘢痕の範囲は著明に増加し、拘縮の程度が著しく強度である。

⑥注射が直筋をはずれた八肢中、強い直筋筋膜障害の三肢には直筋内注射群に匹敵する屈曲制限があり、筋膜障害の軽いものは拘縮も軽度である。

(3) 結論

注射による大腿四頭筋拘縮症の発症には、薬剤の種類、注射量、大腿四頭筋内の注射部位が、注射回数と共に発症の決定的な要因である。これらの要因が一定であれば、一回の注射で一〇〇%発症する。拘縮は注射による瘢痕形成に由来する。

(一四) 宮田雄祐らの報告(三)(文献三―二八)

報告内容は次のとおりである。

(1) 実験目的

注射薬剤による筋の障害性と、筋拘縮症を発症させる諸要因としていわれているもの(注射薬の種類、一回の注射量、注射回数、注射手技、注射部位、注射時の患児の年齢、性別、注射間隔等)との関係を、定量的に研究するため、筋拘縮症患児の調査から明らかとなつた注射薬剤や、現在筋注の頻度の高いものから一五種(うち一種は二剤の混合注射液)の筋肉注射薬剤を選び、能書に指示された薬量か、治療指示に記載された小児量に従つて、日本白色種の幼若家兎に筋肉注射し、発症諸要因、とくに注射回数の発症に及ぼす重要性を検討した。

(2) 実験方法

(あ) 被験薬一五種(別表A―12)

(い) 対照注射液

一アンプル一〇ml入りの日局生理食塩液使用。

(う) 被験動物

生後五〇日から七〇日の日本白色種の幼若家兎二〇六羽三一七肢使用。うち、後記評価条件を充たすことのできたものは二六五肢。

(え) 注射部位

家兎の両大腿前面中央部

(お) 注射回数

被験動物は各注射薬群につき注射回数に従つて、二回、五回、一〇回、二〇回の四群、または二回、一〇回、二〇回の三群に分け、各群最低四肢となるようにした。別表A―12記載の被験薬番号(以下「番号」という。)14の薬剤のみは最小注射回数群は一回注射である。注射回数は一回注射群以外は朝夕の二回、検索には所定の回数を注射し得たもののみを用い、途中で死亡したもの、体動により薬量が大きく変動したもの(薬液が皮膚より逆流したものなど)、筋肉内の注射部位が障害断面積評価に必要な部位をはずれたもの等の被験肢は評価から除外した。

(か) 被験薬の一回の注射量

能書に記載された薬量に準拠したが、一部は治療指針を参考にした(別表A―13)。

小児使用量の記載のない場合には、成人の体重を五〇kgとして、一kg当りの使用量を算出し、家兎の体重1kg当りの注射量として、総量を算出した(別表A―13)。

対照に用いた生食の使用量は、被験薬の一回の注射容積中最大であつた番号5の0.25ml/kgに相当する量を筋注した。

(3) 実験結果

(あ) 組織学的所見

(ア) 各種薬剤の基本的な筋障害(一、二回注射群)

薬剤注射を受けたすべての被験肢に著明な筋組織の壊死があり、生食を除くすべての被験薬には、程度の差はあるが、明らかな筋組織の壊死作用が存在した。生食についての筋障害は、四肢中一肢のみ認められ、頻度的にこの一肢で生食による基本的な病変とは断定しえないが、注射針のみの筋肉穿刺を行つた被験肢の病理組織の所見と比較をすると、共に病巣は線状ではあるが、生食の病巣には、針のそれよりは僅かながら壊死細胞の数が多い。従つて、生食による病変には、針そのものによる物理的筋障害の上に、生食の量による物理的圧迫による障害が加味された可能性がある。

なお、注射で産生される筋組織壊死の量で被験薬を大別すると、最も壊死量の多いものは番号2、10、15、少ないものは番号5、7、8、13、他は11を除いてその中間である。

(イ) 注射後の組織学的経時変化(瘢痕形成)

一、二回注射にみられた筋組織壊死の経時的変化を明らかにするため、注射回数が増加する各群について注射直後の変化に留意しながら、組織像の変化を検索したところ、各被験薬の注射回数の増加に伴う組織学的病変(肉芽、線維化、瘢痕等)の出現頻度の推移から、筋組織壊死が起これば、肉芽を形成した後、筋組織の線維化(初期瘢痕)を来たし、瘢痕が完成されていくことが明らかである。番号2、10、15は産生された瘢痕量(線維化を含む。)が最も多いグループであり、少ないものとしては、番号5、7、8、13、他はこの両者の中間である。従つて、被験薬の壊死量の大きいもの程、瘢痕量の多くなる傾向があることが示唆される。

生食以外の各被験薬については、各々の薬物の組織障害性には、量的な差異が著しいが、すべての被験薬について瘢痕が完成されるのは、注射後一四日後であり、特定の被験薬で瘢痕形成遅延の認められるものはなかつた。この時間的な経過は、健康な実験動物の創傷治癒における時間経過と同一であると考えられ、注射薬の組織障害性(壊死産生能、瘢痕形成能)は、瘢痕産生の経時的変化には殆んど影響がないものと考えられる。また瘢痕形成の第一段階となる肉芽の形成は、程度の差こそ著しいが、壊死のあるすべての被験肢に認められた。一般に、壊死の多い被験薬では、肉芽の量も多い。被験薬の二〇回注射群のすべてに瘢痕を認めた。

(い)  障害断面積比の注射回数による変化

被験薬によつて、薬物の障害には著しい程度の差は認められるものの、生食以外のすべての被験薬に、注射回数が増加すれば、筋の障害断面積比も増加する傾向のあることが明らかである。

(4) まとめ

①被験薬のすべてに程度の差はあるが、筋組織壊死作用のあることが認められた。

②すべての被験薬の二〇回注射群(注射後一五日目)のすべてについて瘢痕形成が認められた。

③すべての被験薬に、注射回数の増加と共に、筋の障害範囲の拡大することが明らかとなり、筋拘縮となる危険性の高まることが確認された。

④クロラムフェニコールとスルピリンの混合注射では、筋障害度は、単剤使用時のそれぞれの障害度の和となることが認められ、薬剤が同じなら注射剤の総量が、筋障害量を決定する。

⑤被験薬の間には、筋障害度に差異がある。

⑥すべての被験薬の一、二回注射群の全被験肢に瘢痕が認められ、筋障害や瘢痕形成に、体質的要因が関与する可能性は乏しい。

(一五) 杉山一武ら(被告エーザイ安全性研究所)の報告(文献三―二九)

報告内容は次のとおりである。

(1) 実験目的

強心、喘息治療剤であるネオフィリンM注を臨床における用法用量に従つて、幼若家兎の大腿四頭筋に筋注し、その運動機能および筋肉組織に対する影響を経時的に検討すること。

(2) 実験方法

(あ)  被験薬および対照薬

(ア) 被験薬

ネオフィリンM注:一管(二ml)中ジプロフィリン三〇〇mg含有

0.75%酢酸溶液:日局酢酸を生理食塩液にて稀釈調整

6.0%酢酸溶液:同右

(イ) 対照注射液:一管(二〇ml)中塩化ナトリウム0.18g含有する注射用日局生理食塩液

(い)  試験動物

生後八ないし一〇週令、体重1.0ないし1.9kgの日本白色種の幼若家兎

(う)  実験群の群分け

動物を一回注射群、五回連続注射群および一〇回連続注射群の三群に分けた。いずれの注射群においてもネオフィリンM注0.75%酢酸溶液および生理食塩液を用いたが、一〇回連続注射群のみには6.0%酢酸溶液を加えた。

(え)  注射方法

当該注射薬の所定注射量を、大腿直筋内に注射した。いずれの動物においても右側には被験薬を、左側には対照注射液として生理食塩液を注射した。

ネオフィリンM注の一回の注射量は、通常の臨床用量により算出した体重当りの注射量0.04ml/kgとし、注射前の体重によつて求めた。また、0.75%酢酸溶液、6.0%酢酸溶液および対照注射液についても同用量を注射した。注射は、ほぼ定時刻に実施され、連続注射する群においては、連日ほぼ同一部位に行われた。

(お)  運動機能検査

検査は、一回注射群については注射前、注射後二日、七日、二週、四週に、五回連続注射群については注射前、最終注射終了後二日、七日、二週、四週、一二週に、また一〇回連続注射群では注射前、最終注射終了後二日、七日、四週、一二週、二二週に行なつた。

(ア) 股関節伸展角度

西島雄一郎(文献三―二四)の方法を用いた。

(イ) 歩行状態

伸展角度を測定後、速度1.2km/時に調整されたイヌ用のトレッドミルの上に家兎を歩かせ、その歩行状態を観察した。

(か)  形態学的検査

肉眼的および病理組織学的観察を施行。

(3) 実験結果

(あ)  運動機能検査

6.0%酢酸溶液を除く、いずれの被験薬についても各注射群において股関節伸展角度に有意差はなく、歩行状態に異常の認められたものはなかつた。6.0%酢酸溶液に関しての股関節伸展角度については、注射終了後二日、七日および四週の伸展角度で、注射側と対照側、注射側と正常値との比較において有意の減少がみられたが、一二週、二二週では有意差は認められず、歩行状態については、注射終了後二日以後二二週まで、両肢は不揃いのままの歩行動作を示し、右後肢の歩行異常を示した。

(い)  形態学的検査

(ア) 点状出血、筋細胞壊死および小円形細胞浸潤については、注射回数による影響はみられず、被験薬のうち、ネオフィリンMと0.75%酢酸溶液との間にも差は認められなかつた。

しかし、小円形細胞浸潤については生食液とネオフィリンMあるいは0.75%酢酸溶液との間に差がみられた。

(イ) 筋細胞再生については、一回注射群と五回および一〇回注射群との間には有意差がみられたが、五回注射群と一〇回注射群との間には差はなかつた。また、各被験薬と生食塩およびネオフィリンMと0.75%酢酸溶液との間には差はなかつた。

(ウ) 線維芽細胞および線維細胞の増殖については、一回注射群と五回および一〇回注射群との間には有意差がみられたが、五回注射群と一〇回注射群との間には差がなかつた。また、生食塩とネオフィリンMあるいは0.75%酢酸溶液との間には差がみられた。

(エ) 最終注射後の経過日数による注射部位の各変化は、二日後および七日後ではみられるが、二週以後ではみられなかつた。

(オ) 6.0%酢酸溶液の一〇回連続注射群では、最終注射終了二二週後において筋線維の萎縮がみられ、筋線維間には、脂肪組織の著明な増加が認められた。

(一六) 秋元健ら(被告第一研究所安全性研究センター)の報告(文献三―三〇)

報告内容は次のとおりである。

(メチロン注射液の筋肉内局所刺激性に関する実験)。

(1) 実験目的

メチロン一〇%注射液およびメチロン二五%注射液の筋肉内局所刺激性を、生理食塩液、六%酢酸および三〇%酢酸を対照薬として検討すること。

(2) 実験方法

(あ)  被験薬

メチロン一〇W/V%注射:液二ml(一管)中スルピリン含量二〇〇mg

メチロン二五W/V%注射液:二ml(一管)中スルピリン含量五〇〇mg

(い)  対照薬

生理食塩液(日局)

六%および三〇%酢酸

(う)  被験動物

ニュージーランドホワイト種幼若ウサギ(体重三二〇ないし六六〇g)

(え)  注射方法および注射回数

大腿直筋内に注射。注射量はいずれも0.5ml/legとし、一回注射群および同一部位への五回連続(一日一回)注射群を設けた。連続注射群では、可能な限り同一部位に注射するように注意した。

(3) 実験結果

(あ)  幼若ウサギの大腿直筋内にメチロン注の0.5mlを一回に注射した場合、メチロン一〇%注の局所刺激性は、二五%注に比べ明らかに弱かつた。また、メチロン注の局所刺激性は、一〇%注、二五%注のいずれの濃度においても、六%酢酸に比べ著しく弱かつた。

(い)  メチロン注の0.5mlを五回連続注射した場合、一〇%注の局所刺激性は、二五%に比べ明らかに弱かつた。またメチロン注は二五%濃度製剤を五回連続注射した場合においても、その局所刺激性は六%酢酸に比べ著しく弱いものであつた。

(う)  幼若ウサギにメチロン注の0.5mlを注射した場合、一〇%注および二五%注のいずれの濃度においても、五回注射では一回注射に比べて局所刺激性は強かつた。

(え)  一回および五回注射のいずれにおいても、注射により惹起される病巣は、肉芽組織の増殖とそれに継続する線維性増殖がみられるが、これらは脂肪組織による置換および筋線維の再生により修復されて、時間と共に減少もしくは消失していくことが認められた。

(お)  幼若ウサギにメチロン注(一〇%、二五%)または酢酸(六%、三〇%)を一回あるいは五回注射したところ、三〇%酢酸五回連続注射群においてのみ一過性の跛行が観察されたが、そのほかの群には歩行異常は全く認められなかつた。

薬剤を注射した大腿直筋を病理組織学的に検索した限りにおいては、三〇%酢酸の一回注射ならびに六%酢酸の一回、五回連続注射群の局所刺激性はかなり重篤なものであつたにもかかわらず、これらの群においてすら歩行異常を観察できなかつた。

(同右、Ⅰ病理学的検討)

(1) 実験目的

メチロン二五%注射液および対照被験薬として注射用生理食塩液を、幼若ウサギの大腿直筋に二、五、一〇および二〇回連続筋肉内注射し、最終注射後五、二八、五六および九一日目に、注射局所の病理学的変化を観察して、当該注射液の筋肉組織に及ぼす影響を検討すること。

(2) 実験方法

(あ)  被験薬

メチロン二五W/V%注射液:二ml(一管)中スルピリン含量五〇〇mg

生理食塩液:塩化ナトリウム0.9W/V%を含む注射用日局生理食塩液

(い)  被験動物

生後五、六週齢、体重六七〇ないし一三六〇gの日本白色種のSPF幼若ウサギ。

(う)  注射方法

大腿直筋内に注射した。一回の注射液量は、臨床用量を参考にしてメチロン二五%注では、成人(五〇kg体重)一回二ml注射を想定し、一肢当たり0.05mlとした。また生理食塩液の注射液量は、一肢当たり0.25mlとした。注射回数は、二、五、一〇および二〇回とし、いずれも一日二回午前、午後のほぼ一定の時刻に注射した。

(え)  観察方法

注射局所の経時的変化を観察するため、各実験群の所定のウサギの、最終注射後五、二八、五六および九一日目における病理組織学的観察を行つた。

(3) 実験結果

(あ)  病理組織学的観察

メチロン二五%注の注射後五六日目および九一日目において、何ら変化が認められなかつた筋肉も、組織学的には、僅かながら線維性結合組織の残存および細小筋線維束が観察された。このことは、生理食塩液についても同様であつた。また、注射回数との関連でみると、メチロン二五%注の筋肉内注射により惹起される筋線維壊死とそれに継続する線維性結合組織の増殖巣は、注射回数の増加に伴い増大する傾向が認められた。しかしながら、病変が広範囲に認められた二〇回注射群においてもその線維性結合組織は経過とともに、徐々に消失または脂肪組織により置換されることが明らかとなつた。

(い)  病変部面積の経時的変化

病変部の面積を計測した結果、病変部の筋断面積に対する面積比は、いずれの注射群においても、注射回数の増加とともに増大することが明らかにされた。一方病変部の面積比は、いずれの注射群においても最終注射後五日目に比べて、二八日目以後では激減している。

メチロン二五%注の二回注射群では、注射後二八日目において病変部は一%以下であり、注射五六日目以降は計測不可能までに縮小していた。五および一〇回注射群では、注射後五六日目以降その病変部の面積比は脂肪組織により置換された部分を加味しても二%以下であり、二〇回注射群はおよそ二ないし四%であつた。

(同右、Ⅱ股関節最大伸展角度の測定)

(1) 実験目的

メチロン二五%注射液および注射用生理食塩液を、幼若ウサギの大腿直筋に一回および二〇回注射して、経時的に股関節最大伸展角度を測定し、無処置対照群のそれと比較検討すること。

(2) 実験方法

(あ)  被験薬

メチロン二五W/V%注射液:二ml(一管)中スルピリン含量五〇〇mg

生理食塩液:塩化ナトリウム0.9W/V%を含む注射用日局生理食塩液

(い)  被験動物

生後六週齢、体重一〇七〇ないし一四二〇gの日本白色種のSPF幼若ウサギ。

(う)  注射方法

大腿直筋内に注射。一回の注射液量は、メチロン二五%注および生理食塩液ともに0.2ml/kgとした。注射回数は、一回および二〇回とした。二〇回注射群については、一日二回午前、午後のほぼ一定の時刻に、一〇日間連続して、ほぼ同一部位に注射した。

(え)  観察方法

初回注射直前、最終注射後四、九、一三、一八、三〇および六〇日目に西島雄一郎(文献三―二四)の方法に従つて測定した。

(3) 実験結果

(あ)  メチロン二五%注および生理食塩液一回注射群においては、いずれの測定時点においても無処置対照群との間に有意差は認められなかつた。

(い)  二〇回注射群では無処置対照群に比して有意の減少を示す時点が散見されたが、いずれも正常範囲内(股関節伸展角度一三五度以上)の変動とみなされた。

(一七) 垣下奉史ら(被告興和東京研究所)の報告(文献三―三一)

報告内容は次のとおりである。

(レスタミンコーワ注のウサギにおける筋局所刺激性の検討―臨床用量における運動機能および筋肉組織について)

(1) 実験目的

抗ヒスタミン剤の塩酸ジフェンヒドラミンを含むアレルギー性疾患治療剤であるレスタミンコーワ注を臨床用量に従つて幼若ウサギの大腿筋内に注射し、その運動機能ならびに筋肉組織に対する影響を観察すること。

(2) 実験方法

(あ)  供試薬物

被験薬:レスタミンコーワ注一号、一ml(一管)中に塩酸ジフェンヒドラミン一〇mg含有

対照薬:日本薬局方生理食塩液、塩化ナトリウム0.9W/V%

(い)  供試動物

JW―NIBS系の生後八ないし九週齢、体重0.9ないし1.7kgの幼若ウサギ

(う)  投与方法

大腿直筋内へ投与。投与量は、通常臨床で用いられている成人一回量の二mlを体重当りに換算(体重五〇kg)して、0.04ml/kgとした。投与は一日一回とし、一回注射、三回注射(三日間連続)および一〇回注射(一〇日間連続)の三投与群を設けた。いずれの投与群においても右側大腿部にはレスタミンコーワ注を原液のまま注射し、同一ウサギの左側大腿部には生理食塩液を同量、同回数注射した。

(3) 実験結果

(あ)  股関節最大伸展角度

一〇回投与群について、投与開始二週目測定時において有意な低下がみられたが(右側肢の平均140.4度、左側肢の平均143.1度)、同投与群の全計測期間中にみられた左側肢(生食側)の平均角度が144.7度から139.7度の範囲であること、また同投与群の二週目の個体別角度の中で最も低い側が左側肢(生食側)一三九度、右側肢(レスタミン側)一三八度であることから、この角度の低下は正常範囲内の変化と判断した。一、三回各投与群について、左右肢間の差はみられなかつた。

(い)  投与筋の病理組織学的所見

一回投与群:二週目の検査の一側で、右側肢(レスタミン側)に極く軽微な筋線維の変性、肉芽組織の増殖および線維性結合組織のわずかな増殖がみられ、同時に筋線維の再生も観察された。このウサギの左側肢(生食側)においてもほぼ同様の所見が観察された。その他の例においては異常は認められなかつた。

三回投与群:一回投与群と同様の所見と極く軽度な小円形細胞浸潤が観察された。これらの変化は、六週目でより軽くなり、一六週目では観察されなかつた。一方脂肪組織が六回目で軽度にみられたが、一六週目では左側肢(生食側)と同程度であつた。

一〇回投与群:二週目に検査した三例で極く軽度から軽度な筋線維の変性、壊死、肉芽組織の増殖、小円形細胞浸潤ならびに線維性結合組織の増殖がみられたが、筋線維の再生も観察された。六週目検査では筋線維の変性、壊死および肉芽組織はみられず、極く軽度な脂肪組織の増加が観察された。この時点において筋線維の再生も観察された。一六週目検査では線維性結合組織が極くわずかに筋線維を取り囲むように残存していたが、線維束の状態はみられなかつた。また脂肪組織がやや増加する傾向がみられた。なお、左側肢(生食肢)の一六週目検査の一例でもこの程度の線維性結合組織の増加および脂肪組織の増加がみられた。

(同右―大量、多数回投与による筋肉組織の刺激性とその回復性について)

(1) 実験目的

臨床用量の三倍量を一〇回ならびに二〇回投与することによつて、組織の変化の回復性を検討すること。

(2) 実験方法

(あ)  供試薬物および動物

臨床用量における運動機能および筋肉組織についての実験と同じ。

(い)  投与方法

大腿直筋内に注射。投与量は、臨床で用いられている成人一回量(0.04ml/kg)の三倍量、0.12ml/kgを一回注射量とした。投与は、一〇回および二〇回とし、一〇回投与群では一日一回午前中に、二〇回投与群では一日二回とし午前と午後に注射した。また、いずれの投与群においても右側大腿部にはレスタミンコーワ注を原液のまま注射し、同一ウサギの左側大腿部には生理食塩液を同量、同回数注射した。

(3) 実験結果

(あ)  一〇回および二〇回投与において、投与筋の肉眼的変化ならびに組織学的変化が明らかとなつた。特に線維性結合組織と脂肪組織の変化が主にとらえられた。

(い)  投与開始二週間後の組織においては急性的変化である壊死、肉芽組織の増強が強くみられ、微細な膠原線維よりなる線維性結合組織が広範囲に増殖している。しかし、脂肪組織はほとんどみられない。

六週では膠原線維が密となり、束状の構造を示し、線維性結合組織のしめる領域が減少した。一部の例では線維性結合組織の周辺部より脂肪組織の出現がみられた。この時期においても軽度ではあるが、筋線維の再生像が確認された。

一六週では、脂肪組織の線維性結合組織内への浸潤がみられ、脂肪組織の巣状構造が確認された。同時に密な状態の線維性結合組織の解離がみられ、その減少が観察された。

投与二八週の観察では脂肪組織内によく発達した筋線維もみられ、また線維性結合組織の「ほぐれ」様状態や「断裂」様の所見が観察された。同時期の他の組織では脂肪組織の間に正常な筋線維が巣状にみられ、あたかも脂肪組織を分離しているかの像も観察され、脂肪組織の減少が示唆された。一方、線維性結合組織は筋線維間にわずかにみられ、ほぼ筋の正常構造を示した。

(う)  以上より、大量、頻回投与でみられた筋線維の変性壊死は線維性結合組織の増殖を伴うが、この線維性結合組織は周囲より浸潤した脂肪組織を置換し、さらに脂肪組織の減少も観察されることから、いずれ正常筋肉に回復するものと考えられる。

(一八) 原田喜男ら(被告塩野義研究所)の報告(文献三―三二)

報告内容は次のとおりである。

(1) 実験方法

(あ)  実験動物

生後三ないし五か月齢(体重2.5ないし3.3kg)、JW―NIBS/RABITON系白色家兎

(い)  使用薬剤

メジコン注:一ml中臭化水素酸デキストロメトルファン五mg、塩酸ジフェンヒドラミン2.5mg、塩化ナトリウム七mgを含有する0.5%メジコン注。

対照液:陽性対照として六%酢酸および0.75%酢酸を、陰性対照として生理食塩液。

(う)  投与方法

脊柱起立筋と外側広筋に各投与。

(え)  投与量

メジコン注の臨床使用量は、通常皮下または筋肉内注射量として成人一回五ないし一〇mgであるので、この使用量の最高の二分の一量である五mgを基準として以下の実験を行つた。

実験(Ⅰ) 家兎の外側広筋または脊柱起立筋にメジコン注を一回筋注時の局所刺激性の検討。0.5%メジコン注の一ml(五mg)使用。

実験(Ⅱ) 家兎の脊柱起立筋にメジコン注を一回筋注時の局所刺激性の検討。0.5メジコン注の0.5ml(2.5mg)、一ml(五mg)および二ml(一〇mg)、六%酢酸、0.75%酢酸および生理食塩液の各一ml使用。

実験(Ⅲ) メジコン注の局所刺激性の回復性の検討。0.5%メジコン注の一ml(五mg)を家兎の脊柱起立筋に一回筋肉内注射、または一日一回五日間あるいは一〇日間同一部位の筋肉に連続注射。

(2) 実験結果

(あ)  実験(Ⅰ)

外側広筋にメジコン注投与後二日目では、肉眼的に障害を認めた部位に横紋筋線維の変性・壊死および間質における浮腫、充血、出血、好中球を主とした炎症性細胞の浸潤、壊死領域の周辺部では組織球による障害筋線維の貪食像などが観察された。このような変化は、投与後約七日目になると多数の好中球は障害部からほとんど消え、急性炎症の消退が認められた。しかし、筋線維の変性・壊死等の変化は弱いが依然残存しており、この壊死領域と正常筋線維との間に中間層ができ、この部に著明な組織球の浸潤、線維芽細胞および障害を受けた筋線維の再生像である筋管が多数観察された。以上のような変化は、脊柱起立筋に投与した群においても同様に観察されたが、変性、壊死等に陥つた筋線維は、外側広筋よりも脊柱起立筋に投与時に多く認められた。

(い)  実験(Ⅱ)

メジコン注射投与後二日および七日目において、各用量群共に実験(Ⅰ)で認めたと同様、注射部位に筋線維の変性・壊死、充血、出血等の変化が用量依存性に認められた。これに対し、六%酢酸および0.75%酢酸投与群では、このような筋線維の変性・壊死、充血、出血等の変化が、メジコン注の高投与量群よりも広範囲にかつ強度に観察された。生理食塩液投与群では、投与後二日目において変性・壊死に陥つた筋線維を小範囲に認めたが、七日目では異常を全く認めなかつた。

(う)  実験(Ⅲ)

一回筋注群:投与後二日および七日目では、実験(Ⅰ)、(Ⅱ)と同様の変化が観察された。このような変化は、投与後一四日目になると注射部位にわずかな線維化と筋肉の再生像を認めるにすぎず、投与二八日目では肉眼的観察と同様、注射部位の筋肉はほとんど完全に再生していた。

五回連続筋注群:最終投与後二日、七日目では、一回投与後七日目の組織像と質的に同様の変化が広範囲にみられ、一か月目では小範囲に線維化と筋線維の中央に核をもつ再生中の筋線維を多数認めた。このような変化は、三か月目になるとわずかな線維化と筋肉の再生像を認めるにすぎず、六か月目では筋線維の中央に核をもつ再生中の筋線維が散見されるのみで、肉眼的観察と同様、組織学的にもほとんど正常に回復したものと思われた。

一〇回連続筋注群:最終投与後二日、七日目では、五回連続筋注群とほぼ同様の変化が同程度に観察されたが、一か月目では著しい線維化と多数の筋線維再生像を認めた。このような変化は、三か月目になると脂肪組織と線維化となり、わずかに筋線維の再生像も観察した。六か月目では、三か月目に観察した脂肪組織と線維化像が依然として認められ、肉眼的観察と同様障害が残存していた。

(え)  メジコン注一回筋肉内投与による刺激性を、六%酢酸、0.75%酢酸および生理食塩液と比較すると、六%酢酸および0.75%酢酸よりも明らかに弱く、生理食塩液よりも強い刺激性を有していた。

(一九) 伊藤位一ら(藤沢薬品工業株式会社中央研究所)の報告(文献三―三七)

クロラムフェニコール・ゾルおよびスルピリン注射液を幼若ウサギの大腿直筋に単独および混合液(インディア・インクを0.5%混合)として一回投与して膝関節屈曲角度および直筋の病理組織学的変化を指標に筋拘縮症、即ち非可逆的機能障害の発症の有無を調査した結果の報告。

(1) 実験方法

白色在来種ウサギ(約五〇日令)を一群一〇匹、計一〇〇匹使用し、剖検の結果直筋に被験物質が注入されたことが確認された四五匹で評価した。投与群としては生理的食塩液投与群、クロラムフェニコール・ゾル単独投与群、スルピリン単独投与群、クロラムフェニコール・ゾルおよびスルピリンの混合投与群を二群(小量および大量群の二群、市販の薬液をその能書に記載されている通常小児に投与する場合の量を体重当りに換算し、混合投与群も単独投与の場合と同容量になるようにし、大量群は単独投与の五倍容量に設定した。)を設け、投与後は経日的に膝関節屈曲角度を測定し、投与後一八日および四六日目に屠殺して、大腿直筋を摘出し、大腿直筋内に病変部あるいはインディア・インクの確認されたもののみ病理組織学検査をした。

(2) 実験結果

投与後四日目から生理食塩液投与群を含む各投与群で膝関節屈曲角度は有意な減少を示し、投与後八日目あるいは一三日目に屈曲角度が最少となつた。以後屈曲角度は経日的に回復に向い、クロラムフェニコール・ゾル単独投与群では投与後三二日目にほぼ回復した。クロラムフェニコール・ゾルおよびスルピリン混合投与群(大量群)では投与後三九日目にほぼ回復した。いずれの投与群も屈曲角度はほぼ投与前のレベルまで回復し、機能的変化は可逆的であつた。

剖検では、一八日目屠殺群で生理食塩液投与群を除くほとんどの動物で直筋に灰白色巣の存在が認められた。四六日目屠殺群でも灰白色巣が認められる動物があつたが、範囲および程度は一八日目より軽減していた。

直筋の病理組織学的検査では、生理食塩液投与群は一八日目、四六日目屠殺のいずれでも変化は認められなかつた。被験物質投与群の一八日目屠殺例では、全例に線維芽細胞と膠原線維からなる線維性肉芽組織の増殖と肉芽組織の周辺部に好塩基性の細胞質や明るく大きい核をもつ再生筋線維がみられた。また、肉芽組織の中心部に筋線維の壊死あるいは石灰沈着を認める例も多かつた。被験物質投与群の四六日目屠殺例では、一八日目の線維性肉芽組織は線維性結合織となつて著明に縮少し、クロラムフェニコール・ゾルおよびスルピリン混合投与群では線維性結合組織の一部に高度な脂肪組織の増殖もみられた。

(3) まとめ

クロラムフェニコール・ゾルおよびスルピリンを大腿直筋に単独あるいは混合して一回注射することにより一時的に機能障害を発現するが、注射後一三あるいは一八日目より機能障害は改善され、四六日目頃にはほとんど障害は残らなかつた。病理組織学的にも筋肉組織の障害の範囲および程度は一八日目屠殺例に比べ四六日目屠殺例では明らかに改善され、クロラムフェニコール・ゾルおよびスルピリン注射液の単独あるいは混合液の一回注射では筋拘縮症といえる形態的変化をともなつた非可逆的な機能障害は起こり得ないといえる。

2筋拘縮症に関する病理

<証拠>によると、以上の実験におけるテーマである組織の損傷に対する反応に関しての病理学上の基礎的知見として、成書中には、概ね次のとおりの記述がなされていることを認めることができる。

(一) 組織の損傷

哺乳動物では、その組織に大きな損傷を受けて、器官の一部が失われると、血管の構築の破壊が毛細管レベルよりも上位でおこつた場合には、血管修復が困難であるため、下等脊椎動物とは異なり、元通りの形態と機能をもつような器管への修復は不可能であつて、不完全な修復―不完全な再生が得られるに過ぎない。したがつて、形態と機能の完全な修復が行われる「完全な再生」は、哺乳動物では、細胞単位か組織のごく一部の微細な欠損の時にしか期待できない。一般の組織、器官の損傷では、結合組織が欠損部を埋めて出来る、瘢痕組織による置換が行われることで終了する。

(二) 再生

再生とは、生体の失われた細胞や組織が残存する同一の細胞や組織の増殖によつて補われ元に復することをいう。生物の生活過程には絶えず組織細胞の消耗があり、その消耗はまた生体の機能的要求によつて、絶えず同一組織の再生によつて補完される。ことに、表皮、粘膜上皮およびこれに付属する皮脂腺、毛髪、爪などおよび血液の赤、白血球などは絶えず消費され、消失していくが、その消失と同じ速度で失われた細胞は再生して補完される。このような生理的現象としての再生を生理的再生といい、失われた組織細胞は完全に再生によつて補われるから完全再生となる。しかし、脳組織、心筋組織などは成熟後はほとんど再生能力がなく、緩慢な速度で消耗のみが行われているのである。もし生理的な原因でなくて大量の組織細胞が失われると、その大きな欠損部位も一応は生理的再生と同様に補われようとする。しかし、組織の再生能力の如何によつて、しばしば容易に再生せず、不完全あるいは非定型的の再生に終ることがある。これを病的再生といい、不完全(非定型的)再生ともいうが、欠損組織が本来の細胞組織によつて補完されない場合は厳密な意味で再生とはいえないので、欠損組織の肉芽組織による置換を修復ということがある。上皮細胞のみが侵されて、上皮細胞の基底膜が保たれているような損傷や、結合組織でも血管網に障害が及ばず、壊死におちいつた細胞も完全に吸収されて、肉芽組織が出来ないような、ごく小さい創傷であるならば、上皮細胞が増殖して欠損を埋め、瘢痕は一切残すことなく元通りに修復される。皮膚表皮の微細な切創、胃腸管、気道、尿路などの粘膜の小さなびらんは、痕跡をとどめず治癒するし、肝小葉の一部の細胞が壊死をおこしたときにも、類洞壁構造が破壊されずに残れば完全に修復され、完全な再生がなされたといつてよい。しかしながら、肝の部分切除後の肝の再生といつても、肉眼形態上の完全な回復はおこらないのであつて、厳密には修復というべきものであり、再生という言葉は、細胞を支えている枠組は障害されることなしに、細胞だけが、死んで抜けたあとに残つた同一の細胞が分裂して、抜け跡をうめるというような微小なレベルでおこる事柄にしか高等哺乳動物では使えない言葉である。なお、細胞、組織の再生は関与する細胞の分裂能とパラレルになつており、体細胞はその再生能によつて次の三種類に分類することができる。

① 不安定細胞:表皮、粘膜上皮、骨髄細胞、リンパ節細胞などのように、生理的状態でも、生涯分裂を続ける細胞。

② 安定細胞:肝、膵、腎、副腎、甲状線の実質細胞のように成人では生理的再生が低下または消失しているが、必要に応じて終生分裂する能力を保持する細胞。

③ 固定(永久)細胞:脳の神経細胞のように早期に分化を完了し分裂能を失つた細胞。

ヒトについてみれば、再生能力は①下等な機能を営む簡単な組織、例えば血液細胞、結合織、血管、神経膠細胞、皮膚、粘膜上皮、骨組織、末梢神経線維などは容易に再生し、よく完全な再生を示すのに対し、②やや高等な機能を営む複雑な組織、例えば腎上皮細胞あるいは横紋筋、平滑筋などは再生能力は弱く、病的な大きな欠損に際しては、十分に再生しないで、他の再生しやすい組織によつて一部補われる。筋の再生力は一般に弱く、横紋筋は僅かに再生力があるが、平滑筋は再生力弱く、心筋は殆んどまつたく再生力はない。従つて筋が欠損・断裂した場合にはその間隙に周囲の結合織が増殖して瘢痕をつくり、あるいは脂肪組織の増殖で補われ、その間に僅かの筋再生を認めるにすぎない。③さらにもつとも高等複雑な脳神経細胞などは十分分化成熟した後再生能力はほとんどまつたくない。失われた部分は肥大か、あるいは他種組織の増殖再生によつて補われる。ただ、高等な機能を営む肝、肺などは再生能力はかなり高い。

間葉性組織すなわち血管結合織系統の再生は、はなはだ強く、以上の各組織の欠損補完に当つては常に豊富に再生してその欠損を補う。これに各種の遊走細胞を交えて肉芽組織をつくり、欠損補充に参加し、その目的達成によつて、結合織以外の組織細胞は退縮し結合織だけが残つて瘢痕組織となる。瘢痕をつくる結合織は長期間後に収縮し、瘢痕収縮をおこす。

(三) 創傷の治癒

組織損傷の病因が何であれ、失われた組織を回復するには、完全な再生がもつとも望ましいが、一般の損傷の場合には、血管構築が乱されるので、完全な再生は期待できない。不完全な再生、修復が行われる。この場合には、必ず結合組織の反応、すなわち肉芽組織形成の反応がおこる。一旦できた肉芽組織は、完全に吸収されることなく、必ず線維組織、膠原線維の多い瘢痕組織をあとに残す。欠損部は瘢痕によつて置換されたことになるので、一般の損傷の修復は置換による治癒である。組織の障害から修復までの経過を追つてみると、損傷をうけた組織の壊死、壊死性組織(=異物)を除去する炎症反応および異物処理、これと同時に進行する肉芽組織の形成、上皮組織(中皮も含めて)であれば上皮化、そして肉芽組織の線維化(瘢痕形成)と推移する。

(1) 肉芽組織

肉芽組織とは、盛んに増殖しつつある若い結合組織のことで、血管に富む、柔らかい組織であつて創傷の壊死性組織を吸収し、欠損部を埋め、線維化をおこす重要な組織である。組織の欠損、体内外の異物、あるいは細菌による感染があるときに、それらの物理的、化学的、生物的の刺激に対する反応として、またそれらの異物刺激を軽減する意味において、また他組織の欠損の代償性再生として、また発生した変化を吸収消化し、再生修復治癒するために、主として血管結合織細胞の再生を含む間葉組織が新生して肉芽組織をつくる。

(あ)  組織の壊死と凝塊形成

組織の創傷がおこると血行が離断され、組織は壊死をおこしはじめる。離断された血管やリンパ管から、赤血球、白血球、リンパ液などの浸出がおこり、フィブリン折出がおこつて、壊死性組織や浸出細胞をかためて、凝塊clotが形成される。この凝塊の中に血中の単球に由来するマクロファージが浸潤し、凝塊を貪食し、創面の清掃がはじまる。

(い)  血管の新生

凝塊clotの形成、マクロファージの浸出により、創面の清掃がはじまるのにつづいて、離断された毛細血管断端から、毛細血管の新生がおこる。創傷後数日で新生された血管網には、動脈圧の高い部分には平滑筋細胞が付着するようになつて小動脈へと分化し、動脈圧の低い部分は小動脈へ分化して行き、血管の再構築が行われる。

(う)  線維芽細胞

毛細血管の新生とともに、線維芽細胞の増殖がはじまる。凝塊のまわりの間質の線維芽細胞が、分裂増殖をおこし、マクロファージ、毛細血管とともに凝塊内に侵入する。肉芽組織にあらわれる線維芽細胞には、actin やmyosinなどの収縮蛋白が証明されており、超微形態の上からも、胞体内の細線維の存在、核の切れこみ、細胞膜のdesmosomeがあるなど、この線維芽細胞は平滑筋細胞に似た所見を示す細胞であつて筋線維芽細胞ともよばれる運動機能をもつた特殊な細胞である。創面の収縮もこの細胞に負うところが多いと考えられる。凝塊が形成されたあとのムコ多糖類を主成分とする基質の中で、線維芽細胞は、さらに分裂増殖をかさね、細胞外に膠原線維を作る。この膠原線維は、肉芽組織に張力をあたえることになる。

(え)  膠原線維の形成

線維芽細胞は、細胞内で Procol-lagen を作るが、その Proline やlysine に水酸化がおこつて、hydro-xyproline hydroxylysine になると、Procollagenは細胞外へ分泌される。細胞外でProcollagen Peptidaseによつてtroprocollagenとなり、ただちに架橋形成が行われて、膠原線維の形成がはじまる。

以上のとおり、肉芽組織の構成要素は、壊死性組織、凝塊、赤血球、白血球、マクロファージ、毛細管網、ムコ多糖類の基質、線維芽細胞、膠原線維であつて、肉芽組織の新旧によつて、様々な量の各要素が観察される。治癒の過程では吸収されずに残つている炎症性浸潤細胞やマクロファージが、線維芽細胞、血管網に混在して認められるように、肉芽組織自体が、炎症の処理を行つている。

肉芽組織による炎症の処理が完了して凝塊が吸収されると、膠原線維の量は増し、毛細血管床の面積は少なくなり、組織内の水分量は減少して浮腫がなくなるため、肉芽組織は次第に収縮し、膠原線維成分を主とする、硬い瘢痕組織が残ることになる。長時間経過すると膠原線維は融合性となつて無構造の物質に変性することがある(硝子化)。

(2) 異物の処理

生物が、非自己として認識するものは、すべて異物であり、異物には、外傷の際に持ち込まれた外因性の異物と、組織障害によつて出来る壊死性組織、血栓などの凝固産物など、内因性の異物とがある。これらの異物の処理にあたるのは、まずマクロファージであり、多量の異物を貪食、分解する能力を持つている。マクロファージだけでは処理しきれない量や質の異物の処理には結局、肉芽組織があたることになる。異物処理の方法には、大きくわけて次の三方法がある。

(あ)  排除

異物が十分に小さく、量的にも少ないものであれば、局所のリンパ路へ直接流出され、リンパ節などで分解処理されることになるが、大きいものは局所で処理を受ける。異物が生ずるとただちに、マクロファージが動員され、異物は貪食され、分解を受ける。マクロファージ、白血球の出す融解酵素によつても融解を受け、リンパ行性に排除される。

(い)  器質化

異物の溶解吸収が不十分であるときや、遅延するとき、異物を肉芽組織で置き換えることを器質化とよぶ。損傷を受け壊死に陥つた組織が、肉芽組織で置き換えられることも、器質化である。小さな壊死は、完全に吸収されて肉芽組織に置き換わり、ついで瘢痕化する。大きな壊死組織の完全吸収は困難で、しばしば石灰化を残す。

(う)  被包

器質化が行い得ないような異物を肉芽組織がとり囲むことをいう。

3小括

前記1に挙げた各実験結果は、注射を原因とする筋拘縮症を発生させる試みとしては、被告製薬会社らでなされたもののようにそれに成功していないものもあり、また、その他のものもそれぞれに研究者らの考案工夫した方法によりなされたものであるにしても、必ずしも十分なものではないが、以上の実験結果に病理学上の知見を加えて考察すれば、①筋肉注射がなされた場合に、注射剤が筋肉組織におよぼす化学的・物理的組織障害作用は、同組織に変性・壊死を生ぜしめ、この修復過程において結合組織の反応がおこり、肉芽組織が形成されること、②肉芽組織は、注射剤によつて引き起こされた異物の処理を完了して瘢痕化すると、その程度如何により瘢痕性拘縮を形成すること、③瘢痕は、吸収されることなく筋組織内に残存することがあること、④筋肉組織の変性・壊死の原因としては、当該注射剤特有の作用、注射薬の浸透圧、濃度、PH、さらには添加物や薬液安定剤による作用、注射剤の量による筋組織に対する圧迫等様々な要因が呈示され、また一般に溶血性の強い注射剤が組織障害性が強いといわれているものの、現段階では仮説の域を出ておらず、注射剤の種類によりその筋肉に対する作用の大きさに若干の差異が認められるといつた程度にしか解明されていないものというべきであること、⑤このほか、大腿直筋、三角筋等、筋が解剖学的に特殊構造をとる個所については、とりわけ瘢痕性拘縮を生じやすく、この傾向は筋発達の未熟な新生児、乳児期にあつては、とくに大きなものであること、⑥従つて、本症の発症には、(ⅰ)薬剤の障害性、(ⅱ)一回の注射量、(ⅲ)注射回数、(ⅳ)注射時の年齢、(ⅴ)注入速度、(ⅵ)注射部位における筋肉内の解剖学的特異性(筋間中隔の存在、矢羽根構造等)などがそれぞれ重要な要因として複雑にからみあつているものであることを認めることができる。

なお、<証拠>によれば、最近の病理学上の知見としては、筋肉組織においても再生のあることがいわれていることが認められるが、筋の再生現象のあり得ることは何ら右結論と牴触するものではなく、かえつてこのことは、注射の既往を有する者についても本症の発症率が必ずしも高くないことを理解するための一助ともなり得るものというべきである。

三総括

以上第四および第五の一、二に判示してきたところを総合して考察すると、①筋肉注射による筋肉組織に対する障害作用はその殆んどが注入された注射剤のもつ化学的・物理的作用によつて占められていること、②注射剤のもつ筋肉組織に対する化学的・物理的障害作用により、同組織に変性・壊死が生じ(以下「筋組織壊死作用」ともいう。)、この修復過程において生ずる結合組織の反応の結果、瘢痕組織が発生および残存することがあり、これが瘢痕性拘縮をおこすものであるから、この意味において、注射剤のもつ筋組織壊死作用は、瘢痕形成作用であり、かつ瘢痕性筋拘縮作用であるということができるものであること、③すべての筋肉注射剤は筋組織壊死作用を有しているが、注射剤の種類による右作用の程度の差異に関する研究は、いずれも仮説の域を出ておらず、殊に人間における筋組織壊死作用の定量的な分析については未解明というほかないこと、④病理学上の定説からすると、注射剤のもつ筋組織壊死作用は、すなわち筋組織内瘢痕形成作用であり、瘢痕性筋拘縮作用となり得るものであり、かつ筋組織内瘢痕は、吸収されることなく非可逆的存在として残存することがあること、⑤筋肉組織内に形成された瘢痕は、瘢痕性拘縮をおこし、同部位における筋肉の伸展性を阻害し、これが単独もしくは他の瘢痕と不可分的に協働して筋拘縮症特有の各機能障害となつて現われてくるものであることを認めることができる。

第六  個別的診療行為(注射行為)および各筋拘縮症罹患状況

一原告患児らの受けた個別的診療行為(注射行為)

1原告番号一九一A、二一〇A、二一一A、二一三A、二一七Aおよび二一九Aの原告患児を除く各原告患児らについて

(一) <証拠>を総合すると、原告患児らのうち原告番号一九一A、二一〇A、二一一A、二一三A、二一七Aおよび二一九Aの原告患児らを除く原告患児らは、別紙原告患児別診療行為一覧表・受診年月日欄記載の日時に、安井医師の診察を受け、その際同表・所見症状欄記載の症状を呈していたこと、安井医師は、右所見の症状のもとに、右原告患児らは、同表・診断病名欄記載の疾患に罹患しているものと診断したこと、そして、安井医師は、右日時に、原告患児らに対して、同表・注射液名欄および同表・備考欄記載の各注射剤を単独もしくは他剤と混合して皮下注射もしくは筋肉注射したことを認めることができ、これを左右するに足りる証拠はない。

(二) <証拠>によれば、右原告患児らは、ほとんどが、産婦人科を主要標榜科目として安井医師が営んでいた安井医院において同医師の介助で出生した関係で、その乳幼児期における発病に際しては常に安井医師の診察、治療を受けていたものであることが認められ、右原告患児らが、右認定の日時頃安井医院以外の医院において、安井医師以外の医師から筋肉注射もしくは皮下注射を受けたことを認めるに足りる証拠はない。

2原告番号一九一A、二一〇A、二一一A、二一三A、二一七Aおよび二一九Aの原告患児について

(一) 原告高野佳代(原告番号一九一A)について

<証拠>を総合すると、原告高野佳代は、昭和四二年一〇月二〇日ころ感冒に罹患し、同日安井医院において受診したところ、発熱、発咳の症状がみられたので、安井医師は、「メチロン」注射剤一cc・一回の皮下注射をしたこと、同原告は、同年一二月一五日ころ急性胃腸炎に罹患し、同日安井医院において受診したところ、発熱、鼻汁、嘔吐、下痢の各症状がみられたので、安井医師は、同月中延四日の診療期間において、「メチロン」注射剤一cc・二回、「クロラムフェニコール」注射剤・三回、「コントミン」注射剤・一回、「レスタミン」注射剤一cc・一回の各筋肉注射もしくは皮下注射をしたことを認めることができ、これを左右するに足りる証拠はない。

(二) 原告川手一浩(原告番号二一〇A)について

<証拠>を総合すると、原告川手一浩は、昭和四四年四月三〇日ころ感冒に罹患し、同日安井医院において受診したところ、発熱、発咳、鼻汁の症状がみられたので、安井医師は、同月中には同日、翌月中には延二日の診療期間において、「メチロン」注射剤一cc・二回、「メジコン」注射剤一cc・二回の各皮下注射をしたこと、同原告は、同年六月二六日ころ急性気管支炎に罹患し、同日安井医院において受診したところ、発熱、発咳、鼻汁の症状がみられたので、安井医師は、同月中延四日の診療期間において、「メチロン」注射剤一cc・三回、「メジコン」注射剤一cc・二回、「クロラムフェニコール」注射剤・三回の各筋肉注射もしくは皮下注射をしたこと、同原告は、同年一二月一三日ころ感冒に罹患し、同日安井医院において受診したところ、発熱、発咳の症状がみられたので、安井医師は、同月中延三日の診療期間において、「メチロン」注射剤一cc・二回、「メジコン」注射剤一cc・二回の各皮下注射をしたこと、同原告は、昭和四五年一月一二日ころ感冒に罹患し、同日安井医院において受診したところ、発熱、発咳、鼻汁の症状がみられたので、安井医師は、同月中延四日の診療期間において、「メチロン」注射剤一cc・四回、「メジコン」注射剤一cc・四回の各皮下注射をしたことを認めることができ、これを左右するに足りる証拠はない。

(三) 原告笠井一元(原告番号二一一A)について

<証拠>を総合すると、原告笠井一元は、昭和四五年六月四日ころ感冒に罹患し、同日安井医院において受診したところ、発熱、発咳、鼻汁の症状がみられたので、安井医師は、同月中延三日の診療期間において、「メチロン」注射剤一cc・三回の筋肉注射もしくは皮下注射をしたことを認めることができ、これを左右するに足りる証拠はない。

(四) 原告中谷和美(原告番号二一三A)について

<証拠>を総合すると、原告中谷和美は、昭和四四年五月二二日ころ急性気管支炎に罹患し、同日安井医院において受診したところ、発熱、発咳、鼻汁、笛声音の症状がみられたので、安井医師は、同月中延五日、翌月中延六日の診療期間において、「メチロン」注射剤一cc・六回、「メジコン」注射剤一cc・八回、「クロラムフェニコール」注射剤・五回、「ネオフィリンM」注射剤一筒・二回の各筋肉注射もしくは皮下注射をしたこと、同原告は昭和四四年一一月一四日ころ小児ストロフルスに罹患し、同日安井医院において受診した際、安井医師は、「レスタミン」注射剤一cc・一回の皮下注射をしたことを認めることができ、これを左右するに足りる証拠はない。

(五) 原告今村徹(原告番号二一七A)について

<証拠>を総合すると、原告今村徹は、昭和四二年二月二四日ころ急性腸炎に罹患し、同日安井医院において受診したところ、嘔吐、下痢の症状がみられたので、安井医師は、「コントミン」注射剤・一回の筋肉注射をしたこと、同原告は、同年六月一〇日ころ感冒に罹患し、安井医院において受診したところ、発熱、発咳、鼻汁の症状がみられたので、安井医師は、「メチロン」注射剤一cc・一回、「メジコン」注射剤一cc・一回、「マイシリン」注射剤・一回の各筋肉注射をしたこと、同原告は、昭和四四年一月一四日ころ急性腸炎に罹患し、安井医院において受診したところ、発熱、下痢の症状がみられたので、安井医師は、「メチロン」注射剤一cc・一回、「クロラムフェニコール」・一回の各筋肉注射をしたこと、同原告は、同年二月一八日ころ感冒に罹患し、安井医院において受診したところ、発熱、発咳、鼻汁の症状がみられたので、安井医師は、同月中延四日間に、「メチロン」注射剤一cc・三回、「メジコン」注射剤一cc・四回「レスタミン」注射剤一cc・一回の各筋肉注射もしくは皮下注射をしたことを認めることができ、これを左右するに足りる証拠はない。

(六) 原告小林潤(原告番号二一九A)について

<証拠>を総合すると、原告小林潤は、昭和四八年五月一五日感冒に罹患し、同日安井医院において受診したところ、発熱の症状がみられたので、安井医師は、「メチロン」注射剤一cc・一回の皮下注射をしたことを認めることができ、これを左右するに足りる証拠はない。

(七) 右六名の原告患児らについても、前掲被告安井本人尋問の結果によれば、その乳幼児期における発病に際しては、他の原告患児らと同様ほとんど常に安井医師の診察、治療を受けていたことが認められ、右原告患児らが、右認定の日時頃安井医院以外の医院において、安井医師以外の医師から筋肉注射もしくは皮下注射を受けたことを認めるに足りる証拠はない。

3なお、前掲被告安井本人尋問の結果によれば、安井医師は、メチロン、メジコン、レスタミンを単剤で注射するときは、多くは皮下注射で、抗生剤との混注のときは筋注で、その他の薬剤はいずれも筋注の方法で投与したというのであるが、いずれも乳幼児期の注射であつて、筋の大きさや注射手技にもかかわることであり、その間にさほどの逕庭はないものとみることができる。

二原告患児らの各筋拘縮症罹患状況

1各筋拘縮症罹患状況

<証拠>によると、原告番号一Aないし二六A、同二八Aないし五四A、同五六Aないし九四A、同九六Aないし一二五A、同一二七Aないし一三〇A、同一三二A、同一三四Aないし一四八A、同一五〇Aないし一九九Aおよび同二〇一Aないし二二五Aの各原告患児らは、別紙患児別判定結果一覧表・罹患の有無欄記載のとおり、各部位の各筋拘縮症(各該当個所に○印で表示。)に、別紙原告患児別筋拘縮症障害状況一覧表・病歴欄記載の日時ころ罹患したこと、原告患児らは、同表・病歴欄記載の経過を辿り、現在の症状は、別紙原告患児別筋拘縮症障害状況一覧表・現在症状欄記載のとおりであることを認めることができる。

尤も、<証拠>によると、安井医師は、受診時の原告患児らの年令によりその注射部位を選択し、患児が一歳半から二歳位までの間は大腿部に注射をし、右年令を超えると上腕部に注射したというのであつて、右年令を基準にすると、右認定の原告患児らの各発症部位中には右年令基準とは必ずしも合致しない結果となつているものがあることが認められるが、右被告安井本人尋問の結果を仔細に検討すれば、右年令による注射部位の選択は安井医師が一応の目安としていたにすぎないものであつて、それぞれの注射部位の決定は、患児の発育状態、体重等を勘案してなされ、厳密に右年令を基準にして行われていたものではないことを窺知することができるから、このことは右認定に何ら消長を及ぼすものではないし、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

また、<証拠>を総合すると、安井医師は、原告番号二〇三Aおよび二一九Aの各原告患児に対して、その左右いずれかの大腿部に、原告ら主張にかかる各一本のメチロン注射液の注射をなしたものと認めるのが相当であり、これを覆すに足りる証拠はない。

なお、原告番号二七A、同五五A、同九五A、同一三一Aおよび同二〇〇Aの各原告患児らについては、同原告患児らが筋拘縮症に罹患したものとする甲う第二八四号証、甲お第二七号証の一、甲お第五五号証の一、甲お第九五号証の一、甲お第一三一号証の一および甲お第二〇〇号証の一が存するが、右は、いずれも前掲鑑定の結果に照らしにわかに信用し難いものというほかなく、他に右事実を認めるに足りる証拠はない。

従つて、原告番号二七ABC、同五五ABC、同九五ABC、同一三一ABC、同二〇〇ABCの各原告らの本訴請求はその余の点につき判断するまでもなく理由がない。

2各筋拘縮症罹患原告

前掲鑑定の結果によると、原告患児らの各筋拘縮症罹患原因は、当該罹患部位の筋肉に対する注射にもとづく、注射後の瘢痕性拘縮であることを認めることができ、これを左右するに足りる証拠はない。

3被告エーザイの異議について

被告エーザイは、原告の昭和五九年九月一七日付第三五回準備書面による主張の一部変更に異議を述べるが、右罹患部位にかかる主張の変更は、特定日時もしくは特定期間における特定薬剤による特定人に発症した障害部位の変更にすぎないから、単なる事実上の主張の変更にとどまるものというべく、たとえ訴の変更に当るとしても、右のとおり、その請求の基礎には変更はなく、証拠調の結果に基づく主張の変更にすぎないもので、これにより新たな証拠調を要する等著しく訴訟手続を遅滞せしめるものともいうことはできないから、右異議はいずれにしても理由がない。

第七  被告製薬会社らの責任

一各注射剤の製造・販売

1メチロン等について

<証拠>を総合すると、前記第六の一、二認定の事実のうち、安井医師が原告患児らに対して投与した①「メチロン」は、被告第一の製造販売したメチロン注射剤であること、②「メジコン」は、被告塩野義の製造販売したメジコン注であること、③「コントミン」は、被告吉富の製造販売したコントミン注であること、④「ネオフィリンM」は、被告エーザイの製造販売したネオフィリンM注であること、⑤「レスタミン」は、被告興和の製造販売したレスタミンコーワ注であることを認めることができ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

2マイシリンについて

<証拠>を総合すると、前記第六の一、二認定の事実のうち、安井医師が原告患児らに対して投与した「マイシリン」は、被告東洋の製造販売にかかるマイシリンゾル・東洋であることを認めることができ、原告患児らの診療録中の投薬、注射、処置その他の診療の事実欄中の点数の記載が、マイシリンゾルではなく、マイシリンの用時溶解剤であるかの如くなされている点は、甲う第二四五号証および甲う第二四六号証の二に照らしにわかに信用し難く、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

3クロラムフェニコールについて

右2冒頭掲記の各証拠に弁論の全趣旨を総合すると、前記第六の一、二認定の事実のうち、安井医師が原告患児らに対して投与したクロラムフェニコールは、昭和四五年七月一五日までは被告東洋の製造販売にかかるクロラムフェニコールゾル・東洋であること、同年同月一六日以降は、被告東洋の製造販売にかかるクロラムフェニコール・ゾル・東洋か、被告武田の製造販売にかかるマイクロシンゾルのいずれかに限られておりかついずれも安井医院においてそのいずれであるかにつき格別意識されずに同時併行的に使用される状態にあつたため、原告患児らに投与された蓋然性の高いことを認めることができ、原告患児らの診療録中の投薬、注射、処置その他の診療事実欄中の点数の記載が、右各ゾル注射剤ではなく、クロラムフェニコールの用時溶解剤であるかの如くなされている点は、<証拠>に照らしにわかに信用し難く、他に右認定事実を覆すに足りる証拠はない。

二各注射剤の投与による原告患児らの発症

1原告患児らに発症した各筋拘縮症の各罹患部位は、前記第六の二に認定したとおりであるところ、安井医師が、原告患児らに対して投与した注射剤は、各患児につき、前記第六の一認定のとおりであつて、このうち「メチロン」、「メジコン」、「コントミン」、「ネオフィリン」、「レスタミン」および「マイリン」は、それぞれ被告第一、被告塩野義、被告吉富、被告エーザイ、被告興和および被告東洋のそれぞれ製造販売したものであり、「クロラムフェニコール」は、昭和四五年七月一五日までは、被告東洋の製造販売にかかるクロラムフェニコールゾル・東洋であり、同年同月一六日以降は、被告東洋の製造販売にかかるクロラムフェニコールゾル・東洋か、被告武田の製造販売にかかるマイクロシンゾルのいずれかの注射剤に限られており、かついずれの注射剤についても、安井医師に対して同時期に納入され、前記の如き同時併行的使用状態が生ぜしめられているために、原告患児らに投与された蓋然性の高いものであることは前記第七の一1ないし3認定のとおりである。

2しかして、すべての筋肉注射剤は、筋組織壊死作用を有するものであり、筋組織壊死作用は筋組織内瘢痕形成作用であり、瘢痕性拘縮作用となり得るものであつて、筋拘縮症の本態である瘢痕を形成する原因力となるものであることは前記第五判示のとおりであるから、原告患児らに発症した各筋拘縮症の各罹患部位は、いずれも筋組織内瘢痕が不可分的に協働し合つた状態の下において、その症状の発現を見ているものであるということができる。

3従つて、原告患児らに発症した各筋拘縮症の各罹患部位は、いずれも被告製薬会社らの製造販売にかかる各注射剤が作用して生成された筋組織内瘢痕が不可分的に協働し合つた結果、その症状の発現を見ているものというべきである。

三被告製薬会社らの義務違反

1製薬会社の医薬品安全確保義務

医薬品は、その主要な作用である有益な薬効により、人の疾病の予防、治療、健康の維持、増進に役立つものとして、有効性を高く評価され、商品としての社会的存在を許されているものであるが、本来、人の生体にとつては一つの非生理的な異物であり、生体に対する侵襲を伴うものとして、必然的に危険を内包しており、人の生体反応は複雑微妙であるから、時には予期し得ない結果を招来することがあり、かかる安全性欠如、すなわち有害作用のもたらす結果は直接人の生命、身体の安全にかかわるものとして極めて重大であるにもかかわらず、医薬品の使用者である一般消費者は薬剤の安全性を吟味する術はなく、完全に無防備というべき立場に置かれており、医師であつても、製薬会社のような組織・資力をもたず、多忙な医療業務に従事する一般の医師にとつては、医薬品の使用に関する医師の医療常識に属することは別として、自ら各医薬品に関する情報を収集、分析して、その安全性確保のために必要な知見を取得し、すべての薬剤についての正確な知識を保持することは容易なことではなく、事実上不可能であるというべきである。これに対し、製薬会社は、多くの資金を有し、充実した人的、物的設備を擁して利潤追及のための企業活動をなし、本来的に危険性を内包する医薬品を製造販売することによつて莫大な利潤を得ているものであり、また、医薬品の開発に当つては、内外の文献調査、動物実験、臨床実験等を含む膨大な情報の収集と分析の過程を経て、当該医薬品についての専門的知識と技術を独占し、製造、販売開始後においても、その製造販売過程を排他的に支配しているもので、その組織力をもつてすれば、医薬品の副作用等有害作用に関する情報の収集と分析をなすに十分な能力を有しており、かくして獲得した知見に基づき医薬品の副作用等の有害作用を掌握することが容易でかつ可能な立場にあるものということができるから、製薬会社は、医薬品の製造・販売に関して、その製造、販売開始に当つては勿論のこと、その製造、販売継続中は常に医学、薬学をはじめ周辺諸科学上の最高の学問的水準にのつとつた有害作用に関する知見を認識しているよう要求されるとともに、右有害作用の知見に照らし、医薬品の使用過程において危険な状況が発生することのないよう使用者(医療用医薬品については医師、医療用医薬品でない医薬品については一般消費者)が当該医薬品を適切かつ安全に使用するために必要な、その使用に関する指示又は警告をなす等の最大の配慮を払うべき注意義務があるものといわなければならない。

2判断の基準等

そこで、次に、右注意義務違反の有無を判断するに当り、その前提として、本件各筋肉注射剤により筋拘縮症が発症することについての予見可能性が被告製造会社らに存したかどうかについて検討を加えなければならない。

前記第六の一認定の事実によると、安井医師が、原告患児らに対してなした診療行為(注射行為)のうち最も早期のものは、原告番号一九一Aの原告高野佳代に対する昭和四二年一〇月二〇日の診療行為(注射行為)であり、最終のものは、原告番号九Aの原告内田光則に対する昭和四九年二月七日のそれであることを認めることができる。

そこで、以下において、被告会社らに、右昭和四二年一〇月の時点に至るまでの間に、筋肉注射により筋拘縮症が発症しうるものであるという知見を有する可能性があつたか否かについて判断する。

3予見可能性

(一) 予見の対象

被告製薬会社らが、当該医薬品の製造、販売に際して予見すべき事柄は、前記第四(筋肉注射に起因する筋拘縮症の発症)および第五(筋拘縮症の発症機序)認定の事実に徴し、①被告製薬会社らが製造、販売する本件各筋肉注射剤がいずれも筋組織障害性を有すること、②そのため、筋肉注射をすることにより、これを本件に即していえば、乳幼児期の児童に本件各筋肉注射剤を注射することにより筋拘縮症が発症する危険があること、③筋肉注射剤のもつ筋組織障害性は筋組織壊死作用として顕れ、同作用は、すなわち筋組織内瘢痕形成作用であり、瘢痕性筋拘縮作用となり得るものであることに尽きるというべきである。

なお、筋拘縮症の発症機序の詳細については未だ解明されておらず、殊にその定量的分析については未解明というほかないが、被告製薬会社らの責任を論ずるにあたり、予見の対象として必要とされるものは前記のとおりの定性的な知見で必要にして十分であり、それ以上に詳細な知見が必要とされるものではない。

(二) 予見可能性の存在

(1) 前記第五の三(筋拘縮症に関する病理)に判示したとおり、すでに昭和四〇年頃までには、異物のもつ筋肉に対する化学的・物理的作用により、筋組織に変性・壊死が生じ、この修復過程において生じる結合組織の反応の結果、瘢痕組織が形成されて残存することがあり、これが瘢痕性拘縮をおこすものであることが病理学上の基礎的知見として定着したとみて誤まりないということができる。

(2) 筋肉注射に起因する筋拘縮症の発症は、昭和二一年ころからすでに注目されはじめて、その症例報告は昭和二五年頃から整形外科の専門誌にのるようになり、昭和二七年には整形外科医の集会において討議の対象とされ、注射薬剤と筋拘縮症との関係について精力的な検討が行なわれ、その後昭和三〇年代半ばころから整形外科学会において、本症の報告が年を追うごとに増加し、多数の症例報告がなされるようになつていたこと、すなわち、昭和二五年には、文献二―一および二の症例報告が、昭和二七年には文献二―三の三例の症例報告が、昭和三二年には文献二―四の一九例の症例報告が、いずれも国内の医学雑誌上においてなされるようになり、続いて昭和三五年には文献二―五の症例報告が、昭和三六年には文献二―六の七例の症例報告および文献二―七の四例の症例報告が、昭和三七年には文献二―九の症例報告が、昭和三八年には文献二―一〇および一一の症例報告、文献二―一二の三〇例の症例報告、文献二―一三の症例報告および文献二―一四の一三例の症例報告が、昭和三九年には文献二―一五の二例の症例報告および文献二―一六の一九例の症例報告が、昭和四〇年には文献二―一七の三例の症例報告、文献二―一八の二三例の症例報告および文献二―一九の症例報告が、いずれも国内の医学雑誌上において発表されていたことは前記第四の二(筋拘縮症の症例報告)に認定したとおりである。

右各症例報告は、いずれも日本整形外科学会誌等の整形外科の専門誌上に発表されたものであるから、登載誌の性質上当然のことながら、その主たる関心の対象は整形外科本来の課題である筋拘縮症についての手術適応、手術方法、手術結果、予後等に関する研究等の報告にあり、本症の発症原因についての記述は必ずしもその本来の目的とするものであるとはいい難いものであることは否めないにしても、その殆んどが本症の罹患者に注射(多くは筋肉注射)の既往があることを指摘し、注射による瘢痕様変化に触れる等これが本症の発症につながることを示唆し、あるいは、注射液の注入による筋組織の阻血性変化に言及するものもあることに注目すべきである。

(3) そして、<証拠>によると、整形外科専門の雑誌以外に、次のとおり一般医家向けの著作物中にも筋拘縮症に関する記述がみられるようになつていることが認められる。即ち、その一は昭和三三年二月二五日発行の「日本外科全書第二七巻」であり、森崎直木は、同書中の「下肢の外科」の大腿および膝の項(二三四、二三五頁)において、大腿四頭筋拘縮症につき、「同症は昭和二一年森崎の報告が最初であるが、その後東大では一九例もの本症の報告があり、決して稀なものではない。主訴は跛行であり、小児の非疼痛性跛行には必ず同症を念頭におく必要がある。同症の跛行の特徴は患肢を遊脚的に外方に振りまわすように運ぶことであり、その他正坐異常や姿勢異常を訴えるものがある。同症は大腿四頭筋の短縮―正確には伸展性の減少ないしは消失―による。その原因は、森崎の報告(中間広筋のみが殆んど全長に亘つて、あたかも筋性斜頸に於ける胸鎖乳突筋のように線維性に変化していた。)のごとく先天性と推測されるものもあるが、大多数は後天性であつて、大腿四頭筋部への注射、本筋の炎症等の結果生じた瘢痕様変性である。」とし、次いで、その症状および治療方法について記述している。

その二は昭和三七年一一月発行の「小児の微症状」であつて、同書(四〇五ないし四〇七頁)において、伊藤忠厚らは、大腿四頭筋拘縮症につき「同症は、わが国では昭和二一年森崎の報告が最初であるが、その後決して稀でないことが判明した。看過されがちな疾患で、主訴は長途の歩行困難、跛行(外ふり歩行)、坐り方の異常で、小児の非疼痛性跛行には必ず同症を念頭におく必要がある。本態は大腿四頭筋の伸展性の減少ないしは消失であるといわれている。原因は先天性と考えられるものもあるが、大多数は後天性であつて、大腿四頭筋部への注射、本筋の炎症等の結果生じた瘢痕様変性である。」とし、引続いて症状および治療について触れている。

(4) また前記第五の一(注射剤の組織障害性に関する実験)認定の事実によると、注射剤の組織障害性研究のはじめは古く本邦においても明治時代まで遡ること、戦後四〇年頃までの間に多くの外国文献も紹介され、筋肉注射による筋肉に対する作用は、その殆んどが注入された注射剤のもつ化学的作用によつて占められることが広く認識されるようになつたこと、本邦における注射剤の組織障害性の実験的研究は注射剤の開発に当つていた製薬会社によつて始められて、昭和四〇年頃までには前掲文献三の九ないし一一の研究結果が発表されており、その目的は、注射時の疼痛の減弱化等主として製剤化のためのものであつたが、いずれにしても注射剤のもつ局所刺激性が研究課題とされていたことを認めることができる。

(5)  以上(1)ないし(4)の判示に加えて、昭和三六年いわゆるサリドマイド事件の発生を契機として、識者の指摘もなされて薬の安全性に対する一般の意識も高まり、各製薬会社は医薬品の安全性問題につき強い関心をもたざるを得ない社会情勢にあつたことは公知の事実であるというべきであり、また、注射剤の組織障害性は前記のとおり製薬会社にとつては周知の事実であつたが、注射剤の組織障害性の存在は、これによる未確認の副作用等の有害作用のあり得べきことを示唆ないし警告するものであつたというべきところ、自社の商品として筋肉注射剤の製造販売をしている製薬会社としては、その製造販売にかかる筋肉注射剤の副作用その他の有害作用が発現するとすれば、それは当該薬剤の注射部位である四肢の皮下組織および筋肉と無関係ではあり得ないことは容易に推察し得たところというべきであり、そうだとすると、その有害作用等は、筋肉障害等四肢の運動ないし支持機関の形態異常および機能異常等の疾病を治療対象とする整形外科領域でまず取り上げられることとなるであろうと判断することは当然の事理に属することというべく、これに関する情報収集のためには、整形外科領域の専門誌等にも情報収集の手を伸ばす必要性のあることもまた容易に首肯し得るところであるというべきであり、製薬会社の資力および組織力をもつてすれば、かかる情報収集を要求されても決して難きを強いられることになるものではないというべきであることを考慮すれば、被告製薬会社らは、遅くとも昭和四〇年に至るまでには、前記判示の予見の対象たるべきこと、即ち、①本件各筋肉注射剤がいずれも筋組織障害性を有すること、②そのため本件各注射剤を小児に注射することにより筋拘縮症が発症する危険があること、③注射剤のもつ筋組織障害性は筋組織壊死作用として顕れ、同作用は、すなわち筋組織内瘢痕形成作用であり、瘢痕性筋拘縮作用となり得るものであることについて、容易に予見することができたものというべきである。

4過失

(一) 結果回避措置

(1) 前記第四の二(筋拘縮症の症例報告)認定の事実に、<証拠>を総合すると、次の事実を認めることができ、これを左右するに足りる証拠はない。

(あ) 筋肉注射に起因する筋拘縮症の発症については、前記のとおり、昭和二一年ころからすでに注目されはじめ、昭和二七年には整形外科学会の議題として取り上げられて精力的な検討が行われ、昭和三三年発行の日本外科全書の中には、注射が原因になつて発生する筋障害の一つとして本症が取り上げられた。その後、昭和三〇年代半ばころからは、各種の整形外科医らの集会において症例報告が重ねられていつた。

(い) 右のような状況のもとで、昭和三〇年代半ばころには、整形外科医らのうち、大学病院等の規模の大きい医療施設に席を置く医師の間においては、筋肉注射に起因して筋拘縮症が発症することがあるとの医学的知見は、次第に浸透するようになり、また、昭和四〇年代に入るとともに、昭和三〇年代半ばころからの臨床経験の積重ねに基づく多数の症例報告の蓄積にともない、整形外科医らの間においては、筋拘縮症の発症に関する右知見は広く認識されるようになりすでに一般化していた。

(う) しかしながら、筋拘縮症についての症例報告、研究等は、もつぱら本症の治療に当る整形外科医によつてなされ、その発表も同医学会内部の集会において繰返されていたにすぎず、また、これに関する論稿も整形外科専門の雑誌等に掲載されるにとどまつて、右情報について、これを整形外科学会として他の医学会あるいは厚生省等の関係機関に伝達する等の積極的な対策を講じようとする動きはみられず、結局右情報は整形外科領域外へ伝達されないままに経過し、この間にあつて、個々的な動きとしては、昭和三七年には前記認定のとおり一般小児科医向けの医学書「小児の微症状」が本症について触れ、その後昭和四六年には前掲文献二―五五が、昭和四七年には、前掲文献二―六六が、いずれも筋肉注射の障害性を警告する論稿として一般小児科医向けの雑誌に発表されたが一般の注意を引くには至らなかつた。このような我が国医学界の閉鎖性が災して、ほとんどの整形外科医は筋肉注射等による筋拘縮症発症の危険性について、これを定説的知見として有していたにも拘らず、日常の臨床の場で小児に対し注射をする機会の多い小児科、内科、産科診療に従事する医師らの間においては、筋肉注射に起因して筋拘縮症が発症するとの医学的知見については、殆んど認識されることがなかつた。

(2) 尤も、(1)の冒頭掲記の<証拠>によれば、注射時に、注射部位に、疼痛のほか往々にして局所の炎症性変化としての発赤、腫張、硬結等が発現することがあることは、つとに一般の医師の常識に属することであるとされ、多くの医師も経験的事実として認識していることであることが認められるが、同時に、右変化は、時間の経過とともに吸収されて消失する一過性の一時的な局所変化にすぎないということも同様に常識とされていたことが認められ(因に、前掲被告安井本人尋問の結果によれば、安井医師も医師の医療常識として同様の認識、知見を有していたことが認められる。)、筋肉注射等により、その注射部位に非可逆的な瘢痕が形成され、筋拘縮症が発症することがあるとのことまでは整形外科医以外の一般の医師は全く知らず、筋肉注射に起因して筋拘縮症が発症するとの医学的知見は、本件原告患児らの筋拘縮症が昭和四八年になつて、集団的発生として、新聞報道等にとり上げられて社会問題化するに及んで、初めて、整形外科医以外の医師のレベルにおいても認識されるところとなり、医師にとつては周知のこととなつたものであることが認められる。

(3) また、<証拠>によれば、注射剤は経口剤にない特長を持つており、有用性は高いが、一般に経口剤に比し副作用や毒性も強くなるので、投与薬剤の選択に当り、医師はまず経口投与を考慮すべきものとされていること、例えば、小児科領域における一般的医学書の一つ「東大小児科治療指針」(昭和三六年改訂三版)には、非経口的投与を行うのは病状よりいえば、①症状が重篤にして迅速なる効果発現が望まれる場合、②嘔吐、意識障害等のため経口投与不能の場合であり、薬剤の側よりみれば、③経口投与では分解されるか、腸管よりの吸収が不確実である場合および、④その薬剤が胃腸管粘膜を刺激する場合とされており、本件基準時当時一般に入手可能であつた他の多くの医学書にもほぼ同様の記述がなされていること(中には、右一般原則を説きつつ、かぜなどの発熱に対し安易に解熱剤の注射が行われる等小児に対する注射が多用されているのが現状であることを指摘するものがある。)、なお、保険医療機関及び保険医療担当規則(昭和三二年四月二〇日厚生省令第一五号)にも注射に関する診療の具体的方針として、注射は、①経口投与によつて胃腸障害を起こすおそれがあるとき、経口投与することができないとき、又は経口投与によつて治療の効果を期待することができないとき、②特に迅速な効果を期待する必要があるとき、③その他注射によらなければ治療の効果を期待することが困難であるときと定めていることが認められ、あるべき医療の姿としては、右の如き一般原則が広く遵守されていることが期待されていたものということができる。

しかしながら、<証拠>によれば、注射の有用性に対する過信、健康保険制度の下における診療報酬上の注射についての有利な取扱い、薬価基準と実勢価格との格差が頻用薬の生産過剰、乱売との間に悪循環を生み出したこと等の背景的事情に加えて、筋肉注射は、静脈注射、点滴静注より手技が簡単で、効果が持続的で吸収も速く、疼痛も軽減できるとの治療上の便利さから、次第に日常的に繁用され、必ずしも注射の適応を厳密に考慮しないで、時には真の適応を越えてまで使われるようになつていたのが、昭和四〇年頃までおよびその後本件大量発生が社会問題化するまでの一般開業医レベルでの医療の実態であつたことが認められ、各製薬会社らとしても、その生産販売量の伸びやいわゆるプロパーの販売活動を通じて、医療の実態がこのようなものであつたことは十分認識していたものというべきである。

(4)  以上判示のとおり、昭和四〇年頃においては、整形外科医を除き一般の医師にとつては、注射時に注射部位に発赤、腫張、硬結等の炎症性反応が発現することがあることはその常識に属していたものの、それが一過性の一時的変化であるということも常識的知見とされていたのであつて、筋肉注射等により、注射部位に広範かつ非可逆的な瘢痕が形成され、これがその筋によつて動かされる関節の機能障害を生ずるに至る筋拘縮症を発症させることがあることまでの認識、知見は全く有していなかつたのであり、しかも一方において、当時、我が国では、注射がその適応につき必ずしも厳密に考慮されずに、時としてはその適応を越えて多用されているのが一般開業医レベルでの医療の実態であつたのであり、被告製薬会社らとしては、昭和四〇年頃までにはすでに右各事実を十分認識していたというべきであるから、以後において、本件各注射剤の製造販売の開始もしくはその製造販売を継続していくについては、その使用者である一般の医師に対し、本件各注射剤を注射すること、特に小児に注射することにより筋拘縮症を発症するおそれがあることを指摘し、医師が本件各注射剤の投与をなすに際し、筋拘縮症の発症を警戒して、筋肉注射の適応が無いか、少いにもかかわらず筋肉注射をすることがないよう、筋拘縮症の発症に関する知見の周知徹底を図るため、その旨を使用上の注意又は警告として能書(添付文書)に記載し、あるいはいわゆるプロパーをして医師に伝達せしめる等可能な限りの方途を講ずべき義務を有していたものというべきである。

尤も、<証拠>によれば、外国においては、同種薬剤についてもその能書にかかる警告が記載されていないことが認められるが、我国とその医療の実態を異にする外国の事例をもつて、直ちに右結論の当否を左右するものと解すべきではない。

(二) 結果回避義務違反

しかるに、被告製薬会社らが昭和四〇年以降昭和四九年までの間に、本件各注射剤の製造販売を開始もしくはこれを継続するに際して、注射剤の使用者である一般の医師に対して、筋拘縮症が筋肉注射に起因するものである旨の医学的知見について、その周知徹底を図るための何らかの措置をなしたことを認めるに足りる証拠を見出すことはできない。

却つて、<証拠>によると、被告製薬会社らは、いずれも薬事法五二条所定の「添付文書」において、筋拘縮症に関する警告措置をすることなく、また、その投与期間および連続投与の可否についても触れることなく、本件各注射剤について、漫然と筋肉注射が可能である旨の指定をなして、その製造・販売を開始し、あるいはこれを継続していたものであることを認めることができ、これを左右するに足りる証拠はない。

そうだとすれば、被告製薬会社らには、当該注射剤を製造・販売するに際し、筋肉注射に起因して、筋拘縮症が発症することがある旨の医学的知見について、注射剤を使用する医師に対して警告をなすべき義務に違反した過失が存するものといわなければならない。

そして、被告製薬会社らが、右注意義務を尽していたならば、安井医師も注射の選択に当り、筋拘縮症の発症を警戒してより慎重な態度をとり、前記第六の一認定の如き原告患児らに対する反覆、多量投与を避けたであろうこと、その結果として、本件原告患児らの如く大量の本症罹患児が発生することを防止し得たであろうことは、前掲被告安井本人尋問の結果に徴しても容易に推認し得るところであるというべきであり、右認定に反する証人久保文苗、前掲証人巷野の各証言は信用することができない。

5共同不法行為

(一) 客観的関連共同性について

原告らは、被告製薬会社らの本件各注射剤の製造販売行為には客観的関連共同性がある旨主張するが(請求原因7の(一)(1))、原告ら主張の如く本件各注射剤がいずれも筋肉注射剤であつて、その製造販売の時期が近接しており、また、いずれも安井医師によつて同時もしくは順次に原告患児らに投与されたとのことから直ちに、被告製薬会社らの本件各注射剤の製造販売行為を類似、同種、同質の一体性ある違法行為とみることはできないから、原告ら主張の事実のみをもつてしては被告製薬会社らに未だ民法七一九条一項前段にいう共同性があることを肯認することはできないものというほかはなく、この点の原告らの主張は採用できない。

なお、被告吉富がコントミン注の製造承認を得たころ、被告武田が同注射剤の発売元となり、これを独占的に供給してきたことは被告武田の争わないところであり、弁論の全趣旨によれば、右被告両社は資本的提携関係のあることが認められ、しかも、同一薬剤の製造販売にかかわることであるから、右被告両社の前記態様によるコントミン注の製造販売については右被告両社は民法七一九条一項前段による共同不法行為者の関係に立つものというべきである。

(二) 主観的関連共同性について

次に、原告らは、本件各注射剤の製造販売に当り、被告製薬会社ら間には主観的共同関係がある旨主張するが(請求原因7の(一)(2))、被告製薬会社らが互に情報を交換し、意思を通じて、筋拘縮症の発症に対する医学的知見の秘匿を図つたとの事実を認めるに足りる証拠はないから、この点の原告らの主張も採用することができない。

(三) 民法七一九条一項後段の不法行為

そこで、進んで民法七一九条一項後段の規定による不法行為の成否について判断する。

民法七一九条一項後段の共同行為者中のいずれがその損害を加えたるか知ること能わざるときとは、それぞれに権利侵害を惹起する危険性を有する行為を複数の者がした場合において、右各行為が単独で作用したと仮定した場合に生ずべき結果と、複数の行為が不可分的に寄与し合つて作用したと仮定した場合に生ずべき結果とがいずれも特定の権利侵害として捉えられ、しかも、右複数の行為が一定の関連の下に競合して行われたため、社会的に一体とみられ、被害者としては真の加害者の識別が困難な場合をさすものというべきである。

本件において、被告製薬会社らは、いずれも、それぞれ単独で作用しても、他剤と不可分的に寄与し合つて作用しても、筋拘縮症を発生せしめる危険のある筋組織障害性を有する本件各注射剤を、右危険性を伴うものであることにつき何ら使用上の指示又は警告をなすことなく製造販売するという、それぞれ権利侵害を惹起する危険のある行為をなしたものというべきであり、本件各注射剤は、いずれも医療用医薬品として当然に医師により患者に施用されること、しかも、往々にして他社製造の薬剤と競合して施用されることもあることを予定して製造販売されたものであつて、本件においては、安井医師という特定の医師の手により、原告患児らに対し、ほぼ時を同じくして、もしくは一定の期間内に継続的に投与されたことにより、医師による患者への投与を本来の目的とする本件各注射剤の製造販売行為は、その目的を達成して行為として完成したものというべきであり、その結果として原告患児らに対し筋拘縮症を発症せしめるに至つたのであるから、ここに生起した現象を全体としてみるときは、どの薬剤が原告患児らの本症発症の原因となつているか確定できないとしても、その各注射剤を製造販売した被告製薬会社らに、それぞれ連帯して、原告患児らの被つた損害を賠償すべき責を負わせることを是認し得るに足りる社会的一体性を認めることができるものというべきであつて、被告製薬会社らは、民法七一九条一項後段にいう共同行為者に当るものというべきである。

そうだとすると、原告患児らに発症した前記第六の二認定の各罹患部位における各筋拘縮症と被告製薬会社らの本件各注射剤の製造販売行為との間には因果関係の存在が推定され、被告製薬会社らとしては、各々その製造販売にかかる薬剤が各原告患児らの本症発症に寄与していないことを立証しないかぎりその責を免れないものというべきところ、被告製薬会社らはいずれもその立証を尽していないから、右因果関係はこれを肯認し得るものというべきである。

また、前記第七の一3認定のとおり、昭和四五年七月一六日以降においては、原告患児らに対し、被告武田の製造販売したマイクロシンゾルか被告東洋の製造販売したクロラムフェニコールゾル・東洋かのいずれかの薬剤が投与されていたというのであるところ、右両剤は販売名を異にするものの、いずれもクロラムフェニコールを主剤とする筋注剤であつて、適応症も共通にするものであり、右のとおりマイクロシンゾルでなければクロラムフェニコールゾル・東洋、クロラムフェニコールゾル・東洋でなければマイクロシンゾルという関係にあつたのであるから、先に各被告製薬会社らにつき共同不法行為の成立を認めるに当つて判示したところは、右被告両社の関係についてより強い根拠をもつて妥当するものというべく、これを覆すべき右被告両社の格別の立証はないから、右時期における両剤のいずれかの投与を原因とする原告患者らの筋拘縮症につき右被告両社は共同不法行為者の立場に立つものというべきである。

6安井医師の行為の介在

(一) 前記第六の一認定の事実に前掲被告安井本人尋問の結果および弁論の全趣旨を総合すると、安井医師は、①原告患児らの発熱症状に対し第一選択として解熱剤メチロンの筋肉注射もしくは皮下注射したこと、②原告患児らのかぜ症候群において二次的細菌感染が疑われたときおよび重症感染症に罹患したとき、これらに対する処置として抗生剤の筋肉注射をしたこと、③原告患児らのうち咳症状の認められた者に対し鎮咳剤メジコンを筋肉注射もしくは皮下注射したこと、④原告患児らのうち笛声音もしくは啼鳴音の症状の認められた者に対し、同症状の緩和を目的として気管支拡張剤ネオフィリンMの筋肉注射をしたこと、また、⑤原告患児らのうち鼻汁等の鼻アレルギー症状などの認められた者もしくはじん麻疹によるアレルギー反応の認められた者に対し、これらを緩和させる目的で抗ヒスタミン剤レスタミンの筋肉注射もしくは皮下注射をしたことを認めることができ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

しかしながら、<証拠>を総合すれば、①発熱は身体の防禦反応であり、感染その他の異常に対して身体が正常に反応している結果であるから直ちに解熱剤を投与する必要はないとされており、術後痙攣などで直ちに解熱させる必要があるとされるときも、経口投与、坐剤投与、静脈内投与など筋肉注射以外の方法で解熱剤の投与をすることが十分可能であり、効果の点においても大差ないこと、②かぜ症候群の治療に抗生剤の投与は不要であり、二次的細菌感染が疑われたときでも抗生剤の経口投与で十分であつて、重症感染症の場合は入院措置を採つた上、静脈を確保して静脈内に注入すべく、一般に抗生剤を投与するに際しては、漠然と広域スペクトル剤を投与して足れりとするのではなく、起炎菌を見出すかあるいは予想する配慮が必要とされること、③咳症状はそれ自体においてさほど緊急性の高い症状ではなく、感染その他の異常に対して身体が正常に反応している結果であるから、直ちに鎮咳剤を投与する必要はない上、経口投与など筋注以外の方法で投与することが十分可能であり、効果の点においても大差ないこと、④気管支拡張剤には、経口投与、坐剤投与、静脈内投与等筋注以外の投与方法もあり、これらの方法によつて気管支攣縮症状を改善させることが十分可能であり、効果の点においても大差ないものであること、また、⑤鼻アレルギーなどの症状およびじん麻疹によるアレルギー症状は、それ自体いずれもさほど緊急性を要する症状ではなく、経口投与など筋肉注射剤以外の方法で抗ヒスタミン剤の投与をすることが十分可能であり、効果の点においても大差ないものであることが認められ、以上の認定を覆すに足りる証拠はないから、以上の①ないし⑤の各注射はいずれもその適応についての厳密な判断のもとになされたものではないものといわざるを得ない。

(二) 安井医師は、前記第六の一認定のとおり、原告患児らのうち一部の者に対し鎮吐剤コントミンを筋注しており、前掲被告本人尋問の結果によれば、安井医師は、原告患児らのうちいずれも嘔吐症状があつて経口投与が無理と認められた者に対し鎮吐剤コントミンの筋注をしたというのであるところ、<証拠>によれば、乳幼児の嘔吐症状は他の発熱、下痢症状と相俟つて脱水症状を惹起する危険性が大きいから、まず鎮吐剤を注射して嘔吐を止め、その上で経口投与を開始するとの処置は医学的見地から一応の合理性を肯認し得るものということができることが認められる。しかしながら<証拠>によれば、原告患児らのカルテ上には、嘔気、嘔吐甚だしとの記載があるにも拘らずコントミン注の投与のないもの、また、嘔気、嘔吐につき何らの記載がないのにコントミン注の投与がなされているものが認められるほか、本来経口投与不能の場合に施用されるコントミン注に併せて経口剤の投与されている例も認められ、右事実からすれば、他の注射剤の適応に関する安井医師の判断に徴しても、コントミン注の適応の判断は必ずしも厳密になされていたものとは認め難く、安井医師によるコントミン注の投与もまたその適応に欠けるものであつたといわざるを得ない。

(三) 以上認定のとおり、安井医師の原告患児らに対する本件各注射剤の投与は、例えば発熱に対しては解熱剤、かぜ症候群に対しては抗生剤の如くかなり画一的、短絡的になされており、多くはその適応につき厳密に考慮されずになされたものといわざるを得ず、また、前掲被告安井本人尋問の結果によれば、安井医師の注射時の用量はほぼ能書指定の用量に近く、これと大巾な相違はなかつたことが認められるが、その投与期間がかなり長期にわたり、しかも継続して投与された場合も少なくないことが認められ、本件における安井医師の診療行為(注射行為)は、医療行為の専門的裁量性を考慮に入れても、その不当性は否めないものといわなければならないが、他方、被告製薬会社ら作製の能書には、本件各注射剤により筋拘縮症が発症する危険があることについての警告はもとより、投与期間、連続投与の可否(制限)についての使用上の指示もなされていなかつたことは前記認定のとおりであり、もし、これらの点について、被告製薬会社らの十分な配慮がなされ、警告義務が尽されていたならば、安井医師としても、筋拘縮症の発症を警戒し、本件各注射剤の適応についても慎重に判断し、右の如く適応に疑いのあり、しかも、長期間もしくは連続にわたる注射をすることもなく、本件の如き本症大量発生の被害は避け得たと推認し得ることも前判示のとおりであるから、安井医師の右の如き注射行為の介在は何ら被告製薬会社らの前記義務違反行為と原告患児らに発症した筋拘縮症との間の因果関係を肯認することの妨げとなるものではない。

7結論

以上判示したところによれば、被告製薬会社らは、いずれも筋拘縮症罹患により原告患児らの被つた損害を連帯して賠償すべき義務あるものというべきである。

第八  被告国の責任

一医薬品の安全性確保義務違反について

1薬事に関する法制の沿革

<証拠>によれば薬事法制の沿革として以下の事実を認めることができる。

(一) 昭和一八年薬事法

わが国における近代的薬事制度は、明治二二年薬品営業竝薬品取扱規則(明治二二年三月一五日法律第一〇号)によつて基礎づけられ、その後制定された売薬法(大正三年三月三一日法律第一四号)および薬剤師法(大正一四年四月一四日法律第四四号)と相俟つて薬事制度の根幹をなしていたが、社会情勢の推移、とくに戦時体制に即応させるための制度づくりをめざして作業が進められた結果、従来の薬律、売薬法および薬剤師法の三法を受けついで、薬事法(昭和一八年三月一二日法律第四八号、以下「昭和一八年薬事法」という。)が制定された。その概要は次のとおりである。

(1) 目的

「本法ハ薬事衛生ノ適正ヲ期シ国民体力ノ向上ヲ図ルヲ以テ目的トス」(第一条)と規定されている。

(2) 医薬品の一元化

医薬品を「薬品」と「売薬」に分け、それぞれ「薬律」と「売薬法」により、その特性に応じた規制をなす従来の制度を改め、右区分を廃止し、その取扱いを一元化することとした。

(3) 製造業の許可

医薬品の製造について、手続が極めて複雑であつたのを改め、人的要素および物的要素の総合体としての事業としてこれを総合的に把握し、計画的生産の進行を図ることができるようにするとともに、医薬品製造について許可制を導入し、性状、品質の適正を図ることとした。

(二) 昭和二三年薬事法

終戦後、戦前の諸制度の民主化が図られるなかで、薬事制度についても、①その運営の民主化を図り、統制の枠をはずして、業界の自主的な活動を促すため、許可制度に関する諸規定を改正すること、②不良粗悪の医薬品、医療用具又は化粧品の横行に対する取締りの完壁を期すること、③新憲法の施行に伴い、法制上従来行われていた広範な委任立法を整理すること等の観点から、昭和一八年薬事法を全面改正することとし、新しい薬事法(昭和二三年七月二九日、法律第一九七号、以下「昭和二三年薬事法」という。)が制定された。その概要は次のとおりである。

(1) 目的

「この法律は、薬事を規整し、これが適正を図ることを目的とする。」(第一条)、「この法律で『薬事』とは、医薬品、用具又は化粧品の製造、調剤、販売又は授与及びこれらに関連する事項をいう。」(第二条一項)と規定している。

(2) 医薬品の範囲

医薬品を次のとおり定義した。

(あ) 公定書(日本薬局方、国民医薬品集及びこれらの追補の最新版をいう。)に収められたもの。

(い) 人又は動物の疾病の診断、治ゆ、軽減、処置又は予防に使用することが目的とされているもの。

(う) 人又は動物の身体の構造又は機能に影響を与えることが目的とされているもの(食品を除く。)。

(え) 以上のものの構成の一部として使用されているものをいう(ただし「用具」を除く。)。

(3) 薬事委員会

薬事行政の民主的運営を図るために、各方面の権威者で構成される薬事委員会の制度を設けた。

(4) 製造業等の登録、製造品目の許可

「医薬品の製造業を営もうとする者は、製造所ごとに厚生大臣の登録を受けなければならない。」(二六条一項)と規定され、製造業を営もうとする者は、製造品目のいかんにかかわらず、一般的に登録を受けなければならないとされた。この登録を受けた医薬品の製造業者が公定書(日本薬局方又は国民医薬品集)に収められていない医薬品を製造しようとするときは、品目ごとに厚生大臣の許可を要することとした(二六条三項)。

(5) 医薬品の取扱い

抗菌性物資製剤、生物学的製剤等特殊な医薬品について詳細な基準を設定し、これに適合しなければ販売、授与ができないこととするとともに、厚生大臣の指定する医薬品は検定を受けなければならないこととした。

(三) 昭和三五年薬事法

昭和二三年薬事法を全面改正し、薬剤師法(昭和三五年八月一〇日法律第一四六号)を分離して、薬事法(昭和三五年八月一〇日、法律第一四五号、以下「昭和三五年薬事法」という。)として制定された。その概要は次のとおりである。

(1) 目的

「この法律は、医薬品、医薬部外品、化粧品及び医療用具に関する事項を規制し、その適正をはかることを目的とする。」(一条)と規定する。

(2) 製造許可

医薬品を業として製造しようとするときは、製造所ごとに厚生大臣の許可を受けなければならない(一二条二項)とし、従来の登録制を許可制に改め、またその許可基準として、製造所等の構造設備、製造業者等の欠格事由を定めた。

(3) 製造承認

日本薬局方に収められている医薬品を製造しようとする場合は、単に医薬品製造業の許可を受ければ足りるが、日本薬局方に収められていない医薬品を製造しようとする者が、製造業の許可を受けるには、一三条二項の基準に適合するほか、品目ごとに厚生大臣の承認を受けることを必要とする(一三条一項、一四条一項)。

(4) 使用上の注意

医薬品に添付する文書(能書)に用法、用量その他使用及び取扱上必要な注意を記載すべきこととし(五二条)、右文書には製造承認を受けていない効能若しくは効果又は保健衛生上危険がある用法、用量若しくは使用期間を記載してはならないと定めた(五四条)。

(四) 「基本方針」等

昭和三五年薬事法制定直後の昭和三六年、いわゆる「サリドマイド事件」が発生し、わが国においても医薬品の安全性の確保が薬務行政の最重要課題として深く認識されるに至り、被告国(厚生大臣)は、後記昭和五四年の薬事法改正までの間は、もつぱら行政指導の形式を採つて医薬品の有効性、安全性の確保の問題について積極的に対処してきた。それらの行政施策では重要なものとしては、①医薬品の製造承認に関する基本方針の策定、②医薬品の副作用情報収集体制の整備、③医薬品の再評価の実施、④GMP(医薬品の製造及び品質管理に関する基準)の策定があり、これらの概要は次のとおりである。

(1) 医薬品の製造承認等に関する基本方針の策定

昭和三八年四月に、胎児に及ぼす影響に関する動物試験法を定め、従来の基礎試験試料に加えて、添付資料として、この試験試料を要求することとなつた。他方、臨床試験試料についても、昭和三八年ころから二重盲検法等による客観性の高い試験試料が要求され、また症例数も従来の二か所以上六〇例以上の基準を上回るものが必要とされるようになつた。また、昭和四〇年ころからは、吸収、排泄に関する試料の添付が要求されるようになり、新医薬品の前臨床試験において、吸収、分布、代謝および排泄に関する資料の重要性が認識されるようになつた。

このように、新医薬品を中心とした医薬品の製造承認のあり方については、学問の進歩等に対応して逐次改善が図られてきたが、医薬品一般に対する安易な考え方を是正し、健全な慣行が育つようにとの観点から、昭和四二年九月、従来慣行的に行われてきた方針を集大成し、体系的に明確化するとともに、情勢の変化に対応した新しい方針を加味した昭和四二年九月一三日付け薬発第六四五号薬務局長通知「医薬品の製造承認等に関する基本方針」及び同年一〇月二一日付け薬発第七四七号薬務局長通知「医薬品の製造承認等に関する基本方針の取扱いについて」の両通知を定め、これを各方面に通達した。この基本方針の主な内容は次のとおりである。

(あ) 添付資料の内容の明確化

医薬品の製造承認申請をする際に申請書に添付する資料の範囲を、医薬品の区分に応じて明確にするとともに、提出される資料は、国内の専門の学会に発表される等信頼性の高いものであることとした。

なお、これらの資料およびその内容は、もつぱら新医薬品に関するものであり、その他の医薬品については、従来これらの資料は要しないこととされていたが、昭和四五年以降においては、いくつかの資料が要求されることとなつている。

(ア) 医薬品についての起源又は発見の経緯及び外国での使用状況等に関する資料

(イ) 医薬品についての構造決定、物理化学的恒数及びその基礎実験試料並びに規格及び試験方法の設定に必要な試料

(ウ) 医薬品についての経時的変化等製品の安定性に関する資料

(エ) 急性中毒性に関する試験試料並びに亜急性毒性及び慢性毒性に関する試験試料

毒性に関する試料については、使用する動物の種、性別、年齢(週齢)、体重を明記するとともに、飼育条件を明らかにすることが必要である。急性毒性については、LD50測定のほか、その中毒症状の所見をも詳細に記載し、その他使用動物についても二種類のみでなく、なるべく多くの種類の動物による結果が得られることが望ましい。急性毒性を除く他の毒性試験については、投与量設定の根拠を明らかにし、慢性毒性については、その試験のもつ意味からみて、単にある一定量のみの試験だけでなく、できる限り投与量を段階的に取り、期間も長期連用のおそれのないものを除いては六か月以上継続すべきである。また、体重曲線(体重比及び絶対重量での臓器重量を含む。)、生化学的検査のほか、その組織学的所見として脾、甲状腺、肝、心筋、肺、腎、副腎、腸管、骨髄等できる限り広範囲に検査すべきである。これらの毒性試験において、異常と思われる所見が得られた場合には、更に精密な観察、回復試験及び考察が加えられなければならない。更に、毒性試験の傾向から特殊毒性(依存性、抗原性等)が考えられるときは、それらについての検索を別に行うこと。なお、投与法については、経口、経皮注射等いろいろの方法はあるが、当該製剤の投与法だけでなく、各種の投与経路において実現することが望ましい。

(オ) 胎児試験、その他特殊毒性に関する試料

サリドマイド製剤と奇形児出産との関連の有無が問題になつて以来、原則としてすべての新医薬品について、胎児に及ぼす影響に関する動物試験成績が要求されている。その他特殊毒性試験としては、抗原性試験、依存性試験などがある。

(カ) 医薬品についての効力を裏付ける試験試料

(キ) 一般薬理に関する試験試料

ここでいう一般薬理試験とは、毒性試験(生殖に及ぼす影響に関する試験を含む。)、効力を裏付ける試験並びに吸収、分布、代謝及び排泄を除いた薬理作用に関する試験であり、主として①中枢神経系、②呼吸、循環器官(利尿作用を含む。腎機能に対する検索を含む。)、③末梢神経系、平滑筋(子宮を含む。)、⑤感覚器官、⑥主要臓器の各項目について検討されたものである。なお、その他臨床で認められた副作用に関連した試験についても、検索を行うことが望ましい。

(ク) 吸収、分布、代謝及び排泄に関する試験試料

(ケ) 臨床試験成績試料

臨床試験成績試料は、精密かつ客観的な考察がなされているものであること。申請品目が実際に使用された場合にいかなる効果又は副作用を示すかを明らかにするもので、効果判定に際して重要な資料である。従つて、実際に要求される例数は、原則として五個所以上の医療機関において、一個所二〇例以上合計一五〇例以上としているが、これはあくまでも原則であり、実際には個々の品目により必要度が異なるので一概にはいえない。

(い) 医療用医薬品と一般用医薬品の区分

医薬品を、医療用医薬品とその他の医薬品に区分し、それぞれの性格を考慮した承認審査を行うこととした。特に、医療用配合剤については、原則として配合理由が既に学問的に確立しているものであつて用時調整が困難なもの、又は配合理由として薬害除去又は相乗効果があることが立証されているものなどに限定して、承認を与えることとした。

(う) 新開発医薬品の副作用報告

新開発医薬品の製造承認を受けた製薬企業は、承認を受けた月から少なくとも二年間(昭和四六年に三年間に延長)、副作用に関する情報を報告することを義務づけた。

(2) 医薬品の副作用情報収集体制の整備

(あ) 副作用モニター制度

「基本方針」が定められる直前の昭和四二年三月に始められたのが、副作用モニター制度である。これは、国立病院、大学付属病院等を副作用モニター施設として、副作用に関する情報を厚生省に報告するよう依頼したものである。モニター病院は、当初は国立病院九八、大学付属病院九八の計一九六であつたのが、昭和五七年一月当時九九八施設、昭和五九年一一月現在一〇〇五施設となつているが、この各病院には、毎年調査依頼文書とともに、医薬品副作用調査票用紙があらかじめ送付され、モニター病院に勤務する医師が、医薬品による副作用を経験した場合に厚生省あてに副作用報告書を送付するというシステムがとられている。この制度により収集された情報は「医薬品副作用情報」として各モニター病院及び報告を提出した医師等にフィードバックされている。

(い) 製薬企業からの副作用報告制度

製薬企業からの副作用情報の収集に関しては、新開発医薬品について、既に「基本方針」において、副作用報告を義務づけていたが、新開発医薬品以外の医薬品についても、昭和四六年一一月薬務局長通達により、製薬企業に対し医療機関等から医薬品の未知又は重篤な副作用の報告を受けたときは、自ら調査し厚生省に報告することを義務づけた。

(う) 国際医薬品モニター制度

昭和四七年から、WHO(世界保健機構)において昭和四五年から実施されている国際医薬品モニター制度に参加して、海外からの情報を収集している。

(え) 薬局モニター制度

昭和五三年からは、各都道府県から推せんのあつた薬局を対象とする薬局モニター制度を発足させ、全国各地の薬局をモニター施設に指定して、一般用医薬品、化粧品等の副作用情報収集体制の充実が図られたが、この制度により収集された情報は、「薬局モニター情報」としてフィードバックされている。

右(あ)ないし(え)記載の制度にもとづいて収集された副作用情報は、中央薬事審議会の医薬品安全対策特別部会副作用調査会において検討が行われた後、それにもとづいて、使用上の注意事項の改訂、用法・用量の変更等必要な行政措置がとられている。

(3) 医薬品の再評価の実施

(あ) 薬効問題懇談会の答申

医薬品の再評価とは、現に承認を受け市販されている医薬品について、現在の進歩した医学、薬学の学問レベルにおける評価方法により、その有効性と安全性を再検討するものであり、昭和四六年七月七日の薬効問題懇談会の答申にもとづき、同年一二月から中央薬事審議会医薬品再評価特別部会による再評価が実施されることになつた。そして、再評価の結果、有用性を示す根拠がないと判定された日本薬局方収載医薬品については日本薬局方から削除し、日本薬局方外医薬品については承認・許可の取消を行うこととした。

(い) 再評価の進捗状況

再評価は、「比較的再評価の容易なもの」と「社会的要請の強いもの」から行つていくという方針のもとに、昭和四六年一二月に第一回目の再評価対象成分として医療用単味剤六八成分が指定され、以後引き続き成分指定が行われ、対象品目の製造業者が収集整理した資料をもとに、中央薬事審議会再評価特別部会、薬効群調査会等において再評価が進められてきており、再評価の終了した医薬品については、再評価結果に応じて、承認許可の取消、販売中止及び回収、用法用量又は効能効果の改正等の措置を講じている。

(4) GMPの策定

医薬品の品質を製造段階で確保するためには、医薬品製造所において原料の仕入れから最終製品の出荷にいたるまでの製造工程全般にわたつて十分な組織的管理のもとで製造を行うことが必要であり、GMP(Good Manufac-turing Practice)は、そのための要件を定めたものである。GMPを最初に行政的に実施したのはアメリカ(昭和三八年)で、その後アメリカを主とする各国の働きかけによりWHOで基準が作成され、昭和四四年に加盟各国に勧告された。

WHOの勧告以後、各国においてGMPが採用され始めたが、わが国においては、昭和四七年に厚生省薬務局内に「GMP研究のためのプロジェクトチーム」が設置され、GMPの制定と実施のための研究、準備が行われた。昭和四九年四月には厚生省GMP案が公表され、必要な修正を加えた後同年九月に「医薬品の製造及び品質管理に関する基準」として都道府県に通知され、昭和五一年四月から実施された(全面実施は、昭和五四年四月)。

(五) 昭和五四年の薬事法改正

昭和五四年の薬事法改正は、昭和三五年薬事法の制定後、主として行政指導という形式をとつて行つてきた新薬承認の厳格化、副作用報告、再評価、GMPなどの一連の施策について、医薬品の安全性確保のための規制権限をめぐる疑義を一掃するため、その法制化を中心とするものであり、医薬品の有効性と安全性の確保を主眼とするものである。その主な内容は次のとおりである。

(1) 薬事法の目的

薬事法の目的規定に、「この法律は、医薬品、医薬部外品、化粧品及び医療用具に関する事項を規制し、もつてこれらの品質、有効性及び安全性を確保することを目的とする。」(一条)と明示した。

(2) 医薬品等の製造又は輸入の承認

(あ) 日本薬局方に収められている医薬品(厚生大臣の指定する医薬品を除く。)を製造しようとする場合においても、製造についての厚生大臣の承認を受けなければならないこととした(一四条一項)。

(い) 承認審査項目として、副作用を明示することとした(一四条二項本文)。

(う) 申請に係る医薬品が、製造承認されない事由、すなわち承認拒否事由について法定した(一四条二項各号)。

(え) 医薬品等の製造承認を受けようとする者は、申請書に臨床試験の試験成績に関する資料その他の資料を添付して申請しなければならない旨明示した(一四条三項)。

(3) 新医薬品等の再審査

新医薬品の再審査について法制化し、期間についても三年を延長して六年とした(一四条の二)。

(4) 医薬品の再評価

医薬品の製造承認を受けている者は、厚生大臣が、中央薬事審議会の意見を聴いて医薬品の範囲を指定して厚生大臣の再評価を受けるべき旨を公示したときには、その指定に係る医薬品について、再評価を受けなければならないこととし、従来行政指導の形式で行われていた再評価を法制化した(一四条の三)。

(5) 緊急命令および承認の取消

厚生大臣は、医薬品等による保健衛生上の危害の発生又は拡大を防止するため必要があると認めるときは、医薬品等の販売又は授与を一時停止し、その他保健衛生上の危害の発生又は拡大を防止するための応急の措置を採ることを命ずることができることとし(六九条の二)、また、医薬品が一四条二項各号に該当するに至つたと認めるときは製造等の承認を取消さなければならないこととした(七四条の二)。

(六) まとめ

以上によれば、被告国は、医薬品のもつ危険性にもかかわらず、国民各個人が、これに対して無防備な状況にあること等を考慮して、医薬品の有効性および安全性を確保するため、明治時代以来、一貫して積極的な施策を行つてきたこと、戦後昭和二三年薬事法の施行にともない、従前の制度を骨組として、医薬品の有効性及び安全性を判定するための制度を確立したものということができ、以降昭和三五年薬事法の施行、昭和四二年以降の各行政施策、昭和五四年の薬事法改正等一連の措置によつて、より整備されたものとなつてきたことを認めることができる。

2本件各注射剤の製造承認等

<証拠>を総合すると本件各注射剤の製造承認(許可)および再評価結果につき次の事実を認めることができる。

(一) メチロン注射液

(1) メチロン注射液五〇%は、昭和一八年薬事法にもとづく製造許可を昭和二二年一〇月二七日に、メチロン注射液二五%は、昭和二三年薬事法にもとづく製造許可を昭和二六年一二月一〇日に、それぞれ得た。

(2) わが国においては、メチロン注射液の主成分であるスルピリンは、ドイツのバイエル社から輸入されていたが、昭和一四年の第五改正日本薬局方の臨時改正により日本薬局方に収載され、そのころより、国内の製薬会社も製造を開始し、被告第一がメチロン(末)として、スルピリンの製造許可を得たのは昭和一二年である。更にスルピリン注射液は、昭和三六年改正の第七改正日本薬局方に収載された。昭和三六年四月公布の第七改正日本薬局方にスルピリン注射液が収載され、同年四月一三日付薬発第一四三号「日本薬局方の制定について」が厚生省薬務局長から各都道府県知事あてに発せられたが、この通知において「日本薬局方外医薬品であつて、新薬局方で新たに収められたものについては、すみやかに新薬局方の基準によるよう製造業および輸入販売業者を指導されたいこと。この場合、製造および輸入については、薬事法第一八条による手続をとらしめるよう指導されたいこと。」と定められたので、被告第一は、昭和三六年七月五日付医薬品製造品目追加許可申請書を提出し、昭和三七年一月八日当該許可を得た。メチロン注射液一〇%は、右許可にもとづき昭和三九年に販売を開始した。

(3) 昭和五一年七月二三日における、被告国の医薬品再評価結果は次のとおりである。

(あ) 用法及び用量

スルピリンとして通常成人一回0.25ないし0.5gを一日一〜二回皮下または筋肉注射する。なお、年齢、症状により適宜増減する。

ただし、鎮静の目的により使用する場合には、経口投与が不可能な場合にのみ使用し、経口投与が可能になつた場合にはすみやかに経口投与にきりかえるべきである。

(い) 各適応(効能又は効果)に対する評価判定

(ア) 有効であることが実証されているもの

緊急に解毒を必要とする場合

(イ) 有効であることが推定できるもの

関節痛、腰痛症、術後疼痛

(ウ) 有効と判定する根拠がないもの

筋肉リウマチ、関節リウマチ、多発性関節炎、筋炎、神経炎、胸痛、頭痛、歯痛、耳痛、胆石痛、腎石痛、モルヒネ中毒

(う) 意見

長期連用は避けるべきである。

(4) 被告第一は、メチロン注射液のうち、五〇%一mlの製造・販売を昭和四九年九月に中止した。

(二) マイクロシンゾル

(1) マイクロシンゾルは、昭和四五年三月三一日に昭和三五年薬事法に基づき製造承認された。

本剤自体は日本薬局方収載品目ではないが、その主薬たるクロラムフェニコールは、昭和二六年三月一日第六改正日本薬局方に収載された。

(2) 昭和五〇年一二月二六日における被告国の中央薬事審議会による医薬品再評価結果は次のとおりである。

(あ) 用法及び用量

クロラムフェニコールとして通常成人一回一g(力価)を一日一〜二回筋肉内注射する。なお、年齢、症状により適宜増減する。やむをえずに小児に投与する場合には、体重一kgあたり三〇〜五〇mg(力価)を筋肉内注射する。

本剤は、経口投与が不可能でかつ静脈注射が困難な場合にかぎつて使用する。経口投与が可能になつた場合にはすみやかに経口投与にきりかえるべきである。

筋肉内注射にあたつては、組織・神経などへの影響をさけるため、左記の点に特に配慮すること。

① 神経走行部位をさけるように特に注意する。

② 繰返し注射する場合には同一注射部位をさける。

③ 注射針を刺入した時、激痛を訴えたり、血液の逆流をみた場合には直ちに針を抜き、部位をかえて注射する。

(い) 各適応(効能又は効果)に対する評価判定

(ア) 有効であることが実証されているもの

経口投与が不可能で、かつ静脈注射が困難な場合の左記疾患

腸チフス、パラチフス、発疹チフス、発疹熱、つつが虫病

(イ) 有効と判定する根拠がないもの

尋常性瘡、原発性非定型肺炎、細菌性心内膜炎、耳下腺炎、炭疽、脾脱疸、アメーバ赤痢、細菌性赤痢、疫痢、眼瞼炎、腱毛性眼瞼炎、歯肉炎、腸炎(大腸炎)、潰瘍性大腸炎、トラコーマ、トリコモナス症、乳幼児下痢症、麻疹、泉熱、梅毒

(う) 意見

注射投与による左記の適応については、有効性と副作用を対比するときは、有用性は認められない。

鼠径リンパ肉芳腫、サルモネラ腸炎、百日咳、よう、、蜂織炎、丹毒、膿痂疹、膿皮症、毛のう炎、扁桃炎、咽頭炎、喉頭炎、気管支炎、肺炎、肺化膿症、腔胸、乳腺炎、リンパ腺炎、気管支拡張症の感染時、創傷・熱傷及び手術後の二次感染、重症熱傷の二次感染の予防、骨髄炎、髄膜炎、敗血症、猩紅熱、胆のう胆管炎、中耳炎、副鼻腔炎、淋病、腎盂腎炎、膀胱炎、尿道炎、子宮付属器炎、子宮内感染、軟性下疳、ガス壊疽、野兎病、結膜炎、角膜炎、急性涙のう炎、歯槽膿瘍、智歯周囲炎

(え) 被告武田は、昭和四九年九月、マイクロシンゾルの製造を中止した。

(三) クロラムフェニコールゾル・東洋

(1) クロラムフェニコールゾル・東洋は、昭和四一年一月二七日昭和三五年薬事法に基づき製造承認された。なお、その後、昭和四二年二月二〇日製造承認事項一部(「成分及び分量又は本質」)変更承認、昭和四三年一一月一一日製造承認事項一部(「用法及び用量」)変更承認がなされた。

本剤自体は日本薬局方収載品目ではないが、その主薬たるクロラムフェニコールについてはマイクロシンゾルについて同じ。

(2) 昭和五〇年一二月二六日における被告国の医薬品再評価結果はマイクロシンゾルについてに同じ。

(3) 被告東洋は、昭和五〇年三月、クロラムフェニコールゾル・東洋の製造を中止した。ただし、販売は、製造に係る製品の有効期間中、しばらくの間続けられた。

(四) マイシリンゾル・東洋

(1) マイシリンゾル・東洋は、昭和三〇年六月一日昭和二三年薬事法に基づく製造「許可」を得た。

マイシリンは、プロカインペニシリンGと硫酸ジヒドロストレプトマイシンとの複合抗生物質製剤であるが、前者のプロカインペニシリンG(原末)は第六改正日本薬局方(昭和二六年三月一日)から収載され(ただし、昭和四六年四月一日第八改正日本薬局方からはベンジルペニシリンプロカインとして収載されている。)、後者の硫酸ジヒドロストレプトマイシン(原末)は第六改正日本薬局方迫補四(昭和三〇年三月一五日)から収載されている。なお、硫酸ジヒドロストレプトマイシンは、第九改正日本薬局方(昭和五一年四月一日)で削除された。

(2) 被告東洋は、昭和四六年八月マイシリンゾル・東洋の製造を中止した。ただし、販売は、製造に係る製品の有効期間中、しばらくの間続けられた。

(五) メジコン注

(1) メジコン注は、昭和三二年七月三〇日に昭和二三年薬事法にもとづく製造許可を得た。

メジコン注は、昭和五〇年第九改正日本薬局方に収載されている。

(2) 被告塩野義は、昭和四四年四月に、メジコン注射液一〇mgの製造を中止し、また昭和四七年三月にメジコン注射液五mgの製造を中止した。

(六) コントミン注

(1) コントミン注は、昭和三〇年一一月一七日、昭和二三年薬事法にもとづく製造許可を得た。なお、その後、コントミン注の主成分である塩酸クロルプロマジン注射液が、昭和三六年四月一日第七改正日本薬局方に収載されたのに伴う行政指導により、コントミン注の製造品目許可申請をなし、昭和三六年九月二一日変更許可を受けた。

コントミン注の主成分である塩酸クロルプロマジンおよび塩酸クロルプロマジン注射液は、昭和三六年四月、第七改正日本薬局方に収載され、引続き、昭和四六年四月公布の第八改正日本薬局方および昭和五一年四月公布の第九改正日本薬局方に収載されている。

(2) 昭和四八年一一月二日における、被国告の医薬品再評価結果は次のとおりである。

(あ) 用法及び用量

塩酸クロルプロマジンとして、通常成人一回一〇〜五〇mgを筋肉内または静脈内に緩徐に注射する。なお、年齢、症状により適宜増減する。

(い) 各適応(効能又は効果)に対する評価判定

(ア) 有効であることが実証されているもの

精神分裂病、人工冬眠

(イ) 有効であることが推定できるもの

躁病、神経症における不安、緊張、悪心嘔吐、吃逆、破傷風に伴う痙攣、麻酔前投薬、催眠鎮静鎮痛剤の効力増強

(ウ) 有効と判定する根拠がないもの

膽妄、もうろう状態、痙攣発作(子癇、喘息)、うつ病、乗物酔、夜尿症、不眠症、各種の腫瘍及び癌等による激痛、手術後の疼痛、胆石症及び胃痙攣等の激痛、老人性精神病、その他の精神障害、鎮痛、催眠鎮静

(七) ネオフィリンM注

(1) ネオフィリンM注は、昭和二三年薬事法にもとづく製造「許可」を昭和二七年八月六日に得た。

ネオフィリンM注の主成分であるジプロフィリンは、第八改正日本薬局方(昭和四六年四月から昭和五一年三月)に収載されていた。

(2) 昭和五〇年三月五日における、被告国の医薬品再評価結果は次のとおりである。

(あ) 用法及び用量

ジプロフィリンとして、通常成人一回三〇〇〜六〇〇mgを皮下、筋肉内または静脈注射する。なお、年齢、症状により適宜増減する。

(い) 各適応(効能又は効果)に対する評価判定

(ア) 有効であることが推定できるもの

気管支喘息、喘息性(様)気管支炎、うつ血性心不全

(イ) 有効と判定する根拠がないもの

肺気腫、肺水腫、心臓喘息、狭心症、冠状動脈硬化症、チェーン・ストークス氏呼吸、腎性浮腫、妊娠浮腫、高血圧症(血圧亢進症)、不整脈、動脈硬化症、急性心不全(ジフテリア等急性熱性疾患に伴う)、腹水、萎縮腎、尿毒症不全期

(八) レスタミンコーワ注

(1) レスタミンコーワ注は、昭和一八年薬事法にもとづく製造許可を昭和二三年七月二八日に得た。

レスタミンコーワ注は、塩酸ジフェンヒドラミン注射液として、塩酸ジフェンヒドラミン及び塩酸ジフェンヒドラミン錠とともに、昭和三〇年三月一五日第二改正国民医薬品集に収載された(第二改正国民医薬品集は昭和三五年薬事法の制定にともない、日本薬局方第二部とみなされることになつた。)。その後、塩酸ジフェンヒドラミン注射液、塩酸ジフェンヒドラミンおよび塩酸ジフェンヒドラミン錠は、昭和三六年四月一日第七改正日本薬局方第一部に転載され、数次の改訂を経た現行の第九改正日本薬局方に至るまで引き続き収載されている。

(2) 昭和五〇年一〇月一七日における、被告国の医薬品再評価結果は次のとおりである。

(あ) 用法及び用量

塩酸ジフェンヒドラミンとして、通常成人一回一〇〜三〇mgを、皮下または筋肉内注射する。なお、年齢、症状により適宜増減する。

(い) 各適応(効能又は効果)に対する評価判定

(ア) 有効であることが実証されているもの

じん麻疹

(イ) 有効であることが推定できるもの

皮膚疾患に伴う痒(湿疹、皮膚炎)、枯草熱、アレルギー性鼻炎、血管運動性鼻炎、急性鼻炎、春季カタルに伴う痒

(ウ) 有効と判定する根拠がないもの

喘息、レントゲン宿酔

3医薬品の安全確保義務

上記2に認定のとおり、本件各注射剤は、戦前に製造許可を得たメチロン注射液五〇%、レスタミンコーワ注を除き、いずれも昭和二三年薬事法および昭和三五年薬事法にもとづく製造許可又は製造承認を得たものである。

ところで、前記Ⅰ認定のとおり。昭和五四年改正薬事法は、第一条に医薬品の安全性を確保することを目的とする旨明示し、厚生大臣は、医薬品の製造承認の際に、医薬品の性能、副作用等を審査することとし、また、製造(輸入)承認を与えた医薬品がその効能、効果又は性能に比して著しく有害な作用を有することにより医薬品としての使用価値がないと認められたときは、その承認を取消さなければならないとしたほか、一時販売停止等の緊急命令の制度に関する規定をおいているのに比し、昭和二三年薬事法は、医薬品製造業者の登録、公定書に収載されていない医薬品の製造許可につき、昭和三五年薬事法は、医薬品製造業の許可、日本薬局方外医薬品の製造承認等につき規定するが、医薬品自体の安全性の審査基準および審査手続に関する規定、日本薬局方収載後又は製造承認(許可)後における医薬品の副作用等有害作用の追跡調査および承認(許可)の取消(撤回)に関する規定を欠いており、医薬品の安全性の確保に関する厚生大臣の具体的権限あるいは責務、更には副作用等有害作用の存在が判明した場合に採り得る措置につき何ら定めていない。

しかしながら、このことから直ちに昭和二三年薬事法および昭和三五年薬事法は厚生大臣に対し医薬品の安全性審査のための権限を認めず、その責務を負わしめないものと解すべきではない。いずれも戦後憲法二五条の指導理念の下に制定された右各薬事法も、最も根源的な価値である国民の生命、身体にかかわる保健衛生の維持および向上をはかり、国民保健の増進に資することを窮極の目的とすることにおいて昭和五四年改正薬事法と本質的にかわりなく、本来、国民の生命身体に対する危険性を内包することを避けられない医薬品の審査に当る厚生大臣としては、その事柄の本質からして当然に、右両薬事法の下においても、医薬品の安全性確保のための権限と責務を有することを予定されていたものと解すべきである。右のとおり、医薬品の安全性確保の要請は、常にその法目的に内在していたものであることは、前記認定の薬事法制の沿革に照らしても明らかであるというべきであつて、昭和五四年改正薬事法における前記右条項は、これを顕在化したにすぎないものと解すべきである。従つて、被告国(厚生大臣)は、右両薬事法の下においても、医薬品の製造承認(許可)時においてはもとより、日本薬局方収載後又は製造承認(許可)後においても、その安全性を確保するため、副作用等の有害作用の追跡調査をなし、各時点における医学、薬学の最高の学問水準に照らし、当該医薬品の有効性および安全性の比較考量の上にその有用性を判定して、製造承認(許可)の全部又は一部の拒否、使用上の指示、警告をなすべき義務付きでの製造承認(許可)、製造承認(許可)の全部又は一部の取消(撤回)等適切な措置を講ずべき権限と義務を負うていたものといわなければならない。そして、右のとおり、各薬事法がその維持、増進を目的とする公衆衛生とは、国民個々人の生命、身体、健康という法益の集積にほかならないから、国民個々人の生命、身体、健康という法益の確保は右各薬事法が本来保護の目的とするものというべきであり、この意味において、医薬品の安全性確保のために厚生大臣に課せられた責務は、国民各個人に対する義務であるということができる。

しかしながら、他面において、医薬品の製造承認(許可)およびその取消等は、その事柄の性質上高度の専門的技術的判断を要するものであるから、そこにある程度の裁量性があることは、これを肯定せざるを得ないものというべきである。

従つて、厚生大臣の右規制権限の不行使がその義務に違背するものとして、国賠法一条一項にいう違法と評価されるのは、①国民の生命、身体、健康に対する差し迫つた具体的な危険発生の予見可能性があり、②規制権を行使することにより、右危険防止のための有効適切な措置が採り得て、右結果の発生を回避することが可能であり、しかも、③右規制権の行使が社会的に要請される場合であつて、その規制権を行使しないことが右裁量の範囲を超え、著しく合理性を欠くと認められる場合に限られるものというべきである。

4本件各注射剤の製造承認(許可)の適否について

(一) 前記2(二)、(三)認定のとおり、昭和五〇年一二月における中央薬事審議会による医薬品再評価結果によると、マイクロシンゾルおよびクロラムフェニコール・東洋の適応性として有効であることが実証されているものは、わずかに前記2の(二)の(い)(ア)認定の腸チフス、パラチフス、発疹チフス、発疹熱およびつつが虫病に限られており、従来適応症として掲げられていた同(い)の(イ)記載の多数の疾患については有効と判定する根拠が否定されていること、適応性として有効であることが実証されている右五種の疾患についてすら、経口投与が不可能で、かつ静脈注射が困難な場合に限定して適応が肯認されるべきものとされていること、用法及び用量について、右各注射剤は、経口投与が不可能でかつ静脈注射が困難な場合に限つて使用し、経口投与が可能になつた場合には速かに経口投与に切換えるべきであり、筋肉注射にあたつては、組織、神経などへの影響を避けるため、注射手技には特別の配慮がなされるべきこととされていること、同じく、用法及び用量について、原則として成人のみに使用されるべきであり、小児に対する適応はないが、やむをえない事情で小児に投与する場合には、注射量を最小限にするような配慮がなされるべきこととされていること、医薬品の再評価における「意見」(前記2の(二)(2)(う))において、扁桃炎、咽頭炎、喉頭炎、気管支炎、肺炎等の呼吸器疾患を含む多数の疾患について、これらが臨床実務において、右各注射剤の適応とされてきた実情を考慮して、注意的に、注射投与による右各疾患の適応については、有効性と副作用を対比するときは、有用性は認められないとして、その適応を否定していることに加えて、右各注射剤の筋組織障害性に起因して筋拘縮症が発症することがあり、右各注射剤のもつ筋組織障害性は、筋組織壊死作用として顕れ、同作用は、筋組織内瘢痕形成作用であり、瘢痕性拘縮作用となり得るものであるとみるべきこと前判示のとおりであることを考慮すると、右各注射剤の有用性にはかなり問題があるものといわざるを得ないが、前記認定のとおり、マイクロシンゾルについての製造承認がなされたのは昭和四五年三月三一日であり、クロラムフェニコールゾル・東洋についてのそれは昭和四一年一月二七日であつて、再評価結果が出されるまでの間に、前者においては約六年、後者においては約一〇年に及ぶ時間的隔りがあり、その間における臨床経験の積重ね、薬学はじめ周辺諸科学の近時における著しい進歩等による新たな知見の集積による評価の変化があり得ることを勘案すれば、その再評価結果は前記のとおり各薬剤の適応症を極めて僅かなものに限定して承認してはいるが、その結果のみから直ちに、右両薬剤の製造承認時における審査に誤りがあつたものと断ずることはできないものといわざるを得ず、他に右各審査に誤りのあつたことを裏付けるに足りる証拠はない。

そして、前記2に認定のとおり、被告武田はすでに昭和四九年九月にはマイクロシンゾルの製造を中止しており、クロラムフェニコールゾル・東洋についても、被告東洋は、昭和五〇年三月にはその製造を中止しているのであり、また、本件原告患児らに対する最終注射の日は前記第七の三2認定のとおり昭和四九年二月七日(但し、この時の注射剤はメチロンである。)であるから、右両剤の再評価結果後における被告国の対応の適否について検討を要すべき余地はないものというべきである。

(二) 次に、本件各注射剤中右(一)の両剤を除いた薬剤については前期再評価結果により、その有効性が実証もしくは推定される適応症の巾がやや狭くなつたものはあるにしても、いずれもその筋肉注射剤としての有用性に疑をさしはさむべき余地はないものというべきであるから、右各薬剤についての製造承認(許可)には誤りはなかつたものということができる。

5筋拘縮症発症についての予見可能性

そこで、次に、本件各筋拘縮症との関係において、被告国における医薬品の安全確保義務違反の有無について検討するため、まず、本症の発症についての被告国の予見可能性の有無について判断する。

昭和三六年のいわゆるサリドマイド事件を契機として、医薬品の安全性確保の重要性が深く認識され、それが被告国の薬事行政の急務とされるに至り、昭和三八年から昭和四〇年にかけて、医薬品の製造承認申請の添付資料についての量と精度により広く、かつ高度のものが求められるようになり、次いで、従来慣行的に行われてきた方針を集大成し、体系化したものとして、昭和四二年の医薬品の製造承認等に関する基本方針および同基本方針の取扱についての両薬務局長通知により、医薬品の製造承認申請の際の添付資料内容がより明確化され、新開発医薬品の副作用報告の義務付け等がなされて、副作用情報収集体制も整備され、更には、昭和四六年以降中央薬事審議会による医薬品の再評価の実施等のほか、GMPの策定が行われるなどの施策により、医薬品の製造承認申請の審査手続および製造承認(許可)後の監視、監督体制も合理的なものとして一応確立していたものとみることができることは、先に1において認定したとおりである。

ところで、被告国(厚生大臣)の医薬品の安全性確保に関する権限と責務は、常に国民の生命、身体に対する危険性を包含する医薬品の製造承認(許可)の審査という事柄の性質上、明文の規定を欠く昭和二三年薬事法および昭和三五年薬事法においても、その法目的に内在するものとして認めらるべきものであることは前判示のとおりであるが、医薬品の安全性の確保につき本来的、第一次的の責を負うべきものは、右の如き危険性を包含する医薬品を商品として製造販売し、これにより利潤を挙げる被告製薬会社らにあるものというべきであつて、被告国としては、放置しては、利潤追求を急ぐ余り、被告製薬会社らがややもすると安全性に対して払うべき十全の注意を疎かにするおそれがあるところから、第一次責任者である被告製薬会社らを監督し、後見する立場におして、右規制権限を行使すべく予定されているものと解すべきであつて、本項冒頭掲記の被告国の諸施策もかかる立場において行われたものであるということができる。

そして、右のような相違に加えて、更に、実際上も、第七の三3(二)で前述した如く、医薬品についての専門的、技術的知識を独占し、副作用等の有害作用に関する情報収集についての優越的な立場に立つて、自ら製造販売する特定の医薬品についての安全性の確保に努めれば足りる被告製薬会社らの立場と、制度上の物的、人的制約の下において、筋肉注射剤のみならず、広く国内において生産販売され、又は外国から輸入される多種多様で膨大な量の医薬品全体を対象としなければならない被告国の立場との相違を考慮するときは、医薬品の安全性確保のために右両者の負担すべき義務の間には、その程度において自ら一線を画するものがあることを承認せざるを得ないものというべきであつて、先に、本件各注射剤による筋拘縮症の発症についての被告製薬会社らの予見可能性の存在を肯定し、これに高度の注意義務を課するに際して検討した諸事情(第七の三3(二))に加えて、その後における前記認定のとおりの多数の症例報告の集積を斟酌しても、右各報告等については先に指摘した如き制約の存することを考慮するときは、基準時たる昭和四〇年当時はもとより、それ以後においても、本件原告患児らの本症罹患の大量発生が社会問題化するまでの間に、被告国(厚生大臣)に筋拘縮症の発生が差し迫つた具体的な危険として予見し得る可能性があつたものということはできないといわざるを得ない。そして、他に右予見可能性の存在を認めしめるに足りる的確な証拠はない。

6結論

以上の判示により明らかなとおり、被告国の医薬品の安全性確保義務違反を理由とする原告らの本訴請求は理由がなく、排斥を免れない。

二医療行為の適正を確保すべき義務違反

1医事についての法的規制

被告国は、医療が国民各個人の生命・健康に深くかかわる重要な問題であるため、医師法および医療法を制定し、医師法によつて、医療従事者の資格の面から、医療法によつて、医療機関の人的・物的な組織等に関する面からそれぞれ必要な規制を加えている。

このうち、医師法では、医師資格に厳重な規制(同法二条ないし一四条)をなし、医療行為を一般的に禁止するとともに、特定の知識と訓練を受け、一定の水準に達していることが客観的に保証された者についてのみ、右禁止を特別に解除する形式で医師免許制度が設けられている。そして、医師免許を与えた後は、医師による個々の医療行為の内容については、その高度の専門技術性の故にもつぱら医師の裁量に委ね、最小限度の規制措置として、①診療に従事する医師は、診療行為の求めがあつた場合には、正当な事由がなければ、これを拒んではならず(同法一九条)、②医師は、自ら診察しないで治療したり、診断書や処方せんを交付してはならない(同法二〇条)等形式的に最小限度の制限を課するにとどめている。

2医師法二四条の二の制定の経緯

<証拠>によると、医師法二四条の二の規定は、梅毒感染者によつて提供された輸血用血液の輸血による梅毒感染事件(いわゆる東大病院輸血梅毒事件)が機縁となり、輸血に関する対策が検討された結果、輸血の取締りのためには、敢えて輸血取締りに関する特別な法律を制定するまでもなく、輸血に関与する医師の注意を喚起するための措置をとれば十分であるとのことから新設されたものであり、同条項にもとづき、輸血に関し医師又は歯科医師の準拠すべき基準(昭和二七年六月二三日、厚生省告示、第一三八号)が発せられたこと、右立法当時においては、同条項を適用すべき事態の発生は、多くはないと想定されていたが、将来同種事案が発生する場合もあり得ることに備えて一般的な規定の形式をもつて定められたものであることを認めることができる。

3医師法二四条の二の規定の法的性格

以上判示したところに照らし検討すると、わが国における医事法制においては、医療の本質からいつて、医師の個々の医療行為は、画一的規制になじまないものとして、医師のもつ専門的な知識、経験に基づく広範な裁量に委ねられているものであり、国がその当否について介入することは原則として予定しないものといわなければならず、医師法二四条の二の規定は、その立法の経緯からも明らかなように極めて特異なものであり、このことは、厚生大臣の権限行使を、公衆衛生上重大な危害を生ずる虞がある場合において、その危害を防止するため特に必要があると認めるときに限り、しかも、あらかじめ医道審議会の意見を聴かなければならないとして同条項を適用する要件に厳重な絞りがかけられていることからも窺われるところである。

そうすると、医師法二四条の二の規定は、同条に基づく指示権限が行使された場合の効果に関する格別の定めのないことも考慮すると、同条項の規定する限定された要件が存するものとされた場合において、厚生大臣に医師に対して指示をする権限があることを規定したにすぎず、また右権限発動の要否、指示の内容等は、事柄の性質上、またわが国における医事法制のしくみ等前記判示のところに照らし、厚生大臣の広範な裁量に委ねられているものというべきである。

従つて、被告国が医師法二四条の二の規定にもとづく指示を発することが、国民個々人に対する関係で義務となり、その権限不行使が法律上の義務違反となる余地はないものというべきである。

とはいえ、右裁量権についても、その権限不行使が著しく合理性を欠くときは、裁量権の濫用に当るとして、その不作為の違法が問われる余地がないではなく、原告らの主張中にはこの趣旨も包含されているとみることができないではないが、本条項は前記のとおりその権限行使につき厳しい要件を課しているので、その不作為の違法が問われるのは、①医師の医療行為の結果、その医療目的たる効果に比較し、放置し得ない重大な被害が国民の生命、身体に及ぼされる急迫な危険が存在する場合であつて、②他の医療関係法令による適切な措置も、医師の自主的な努力による対策も講じられていず、③しかも、画一的、具体的指示により被害発生の防止が可能であるときに限られるものと解すべきところ、被告国において、本件原告患児らの本症大量罹患が社会問題化される以前においては、かかる被害の発生が具体的かつ急迫の危険として予見し得たものといい得ないことは前判示のとおりであるから、本件においては、右不作為の違法が問われる余地はないものというべきである。

4結論

以上によれば原告らが、被告国に対して、医師法二四条の二の規定を根拠として、医療行為の適正を確保すべき義務違反があるとし、国賠法一条一項により損害の賠償を求める請求は、理由がないことは明らかである。

第九  損害

一原告患児ら

1筋拘縮症の症状

筋拘縮症の症状、筋拘縮症による日常生活動作の障害は、いずれも前記第三(筋拘縮症の病態、診断および治療)認定のとおりであり、これを要約すると次のとおりである。

(一) 大腿四頭筋拘縮症

(1) 直筋型、広筋型および混合型の三類型に分けられる。

(2) いずれの類型も膝関節の屈曲障害を主症状とするが、二関節筋である直筋が障害される直筋型では「尻上り角度」によつて、一関節筋である広筋が障害される広筋型では「膝関節屈曲角度(股関節屈曲位)」によつて、双方の筋が障害される混合型では「尻上り角度」または「膝関節屈曲角度(股関節最大屈曲位)」のうち障害程度の大きい方によつて、それぞれ筋拘縮症の障害程度を評価する目安とする。

(3) いずれの類型も日常生活動作の障害は、正坐障害、歩行・走行異常を主とする。

(4) その他、①手術瘢痕、皮膚の陥凹・硬結等、②痛み、だるさ、疲れやすさ等、③スポーツおよび正坐、歩行・走行以外の項目の日常生活動作の障害、④姿勢の異常等が重要な症状である。

(二) 三角筋拘縮症

(1) 肩の外転位拘縮および伸展位拘縮を主症状とするが、「自然下垂時の外転拘縮角度」および「対側肩掴みテスト」によつて筋拘縮症の障害程度を評価する目安とする。

(2) その他、①手術瘢痕、皮膚の陥凹・硬結等、②痛み、だるさ、疲れやすさ、肩こり等、③スポーツおよび日常生活動作上の障害、④外見上の異常(なで肩、円背、側弯、上腕骨頭の前方突出、肩関節脱臼等)

(三) 殿筋拘縮症

(1) 股関節の屈曲障害および外転拘縮を主症状とするが、「股関節屈曲角度」および「外転拘縮角度(股関節九〇度屈曲位)」によつて筋拘縮症の障害程度を評価する目安とする。

(2) 日常生活動作の障害は、正坐・あぐら障害、歩行・走行異常を主とする。

(3) その他、①弾発現象、②手術瘢痕、皮膚の陥凹・硬結等、③痛み、だるさ、疲れやすさ等、④スポーツおよび正坐・あぐら、歩行・走行以外の項目の日常生活動作の障害、⑤姿勢の異常等が重要な症状である。

2筋拘縮症罹患状況

原告患児らの筋拘縮症罹患状況は、前記第六の二の1(各筋拘縮症罹患状況)認定のとおりであり、原告番号一Aないし二六A、同二八Aないし五四A、同五六Aないし九四A、同九六Aないし一二五A、同一二七Aないし一三〇A、同一三二A、同一三四Aないし一四八A、同一五〇Aないし一九九Aおよび同二〇一Aないし二二五Aの各原告患児らは、別紙原告患児別判定結果一覧表記載のとおり、各部位の各筋拘縮症(各該当個所に○印で表示。)に、別紙原告患児別筋拘縮症障害状況一覧表・病歴欄記載の日時ころ罹患したこと、その余の原告患児らについては、筋拘縮症に罹患したことを認めるに足りる証拠はないことは前述したとおりである。

3筋拘縮症による障害の程度

本症に罹患したと認める原告患児らの障害の程度については、前掲鑑定の結果により以下のとおり判定する。

(一) 判定基準

(1) ランク分け

筋拘縮症について、日常生活動作の障害の有無および手術の適応の有無の双方の観点から、三ランクに分ける。

重度:日常生活動作の障害があり、手術の適応となることが多いもの。

中等度:日常生活動作の障害はあるが、必ずしも手術の適応とはならないもの。

軽度:筋拘縮症ではあるが、日常生活動作の障害はほとんどないもの。

(2) 大腿四頭筋拘縮症の障害判定

大腿四頭筋拘縮症の障害程度の指標として、項目Ⅰ(尻上り角度)、項目Ⅱ(股関節最大屈曲位における膝関節屈曲角度)、項目Ⅲ(正坐)および項目Ⅳ(歩行・走行)をとり、それぞれの項目の障害程度を次のとおり評価する。

項目Ⅰ(尻上り角度)

〇〜三〇度 ……四点

三一〜六〇度……三点

六一〜九〇度……二点

九一度以上 ……一点

項目Ⅱ(膝関節屈曲角度)

六〇度以下 ……六点

六一〜九〇度……五点

九一〜一二〇度……四点

一二一〜一四〇度……三点

一四一度以上……二点

(完全屈曲のできるものは〇点とする。)

項目Ⅲ(正坐)

不能(踵が尻につかない)……二点

困難(腰椎前弯増強など)……一点

異常なし ……〇点

項目Ⅳ(歩行・走行)

ともに異常  ……二点

どちらかが異常……一点

異常なし   ……〇点

そして、直筋型については、項目Ⅰ(尻上り角度)、項目Ⅲ(正坐)および項目Ⅳ(歩行・走行)の合計点によつて、広筋型については、項目Ⅱ(膝関節屈曲角度)、項目Ⅲ(正坐)および項目Ⅳ(歩行・走行)の合計点によつて、混合型は、項目Ⅰ(尻上り角度)または項目Ⅱ(膝関節屈曲角度)のうちの点数の多い方と、項目Ⅲ(正坐)および項目Ⅳ(歩行・走行)の合計点によつて、いずれもその全体の障害程度を評価するものとし、その内容は次のとおりとする。

合計点   障害程度

七〜一〇点   重度

四〜 六点   中等度

一〜 三点   軽度

(3)三角筋拘縮症の障害判定三角筋拘縮症の障害程度の指標として、項目Ⅰ(自然下垂時の外転拘縮角度)、項目Ⅱ(対側肩掴みテスト)をとり、それぞれの項目の障害程度を次のとおり評価する。

項目Ⅰ(自然下垂時の外転拘縮角度)

三一度以上 ……四点

二一〜三〇度……三点

一一〜二〇度……二点

一〜一〇度……一点

項目Ⅱ(対側肩掴みテスト)

上腕を前胸壁から離しても対側の肩に指がとどかない……四点

上腕を前胸壁につけたまま対側の肩に指がとどかない……三点

上腕を前胸壁につけたまま対側の肩が掴めないが指はとどく……二点

上腕を前胸壁につけたまま対側の肩を掴めるが翼状肩甲骨がみられる……一点

そして、項目Ⅰ(自然下垂時の外転拘縮角度)および項目Ⅱ(対側肩掴みテスト)の合計点によつて、その全体の障害程度を評価するものとし、その内容は次のとおりとする。

合計点  障害程度

六〜八点   重度

四〜五点   中等度

一〜三点   軽度

(4) 殿筋拘縮症の障害判定

殿筋拘縮症の障害程度の指標として、項目Ⅰ(股関節屈曲角度)、項目Ⅱ(股関節九〇度屈曲位における外転拘縮角度)をとり、それぞれの項目の障害程度を次のとおり評価する。

項目Ⅰ(股関節屈曲角度)

〇〜三〇度 ……三点

三一〜六〇度……二点

六一〜九〇度……一点

九一度以上 ……〇点

項目Ⅱ(外転拘縮角度)

二一度以上 ……三点

一〜二〇度 ……二点

マイナス一〇〜〇度……一点

マイナス一一度以下……〇点

項目Ⅲ(歩行・走行)

ともに異常 ……二点

どちらか異常……一点

異常なし  ……〇点

項目Ⅳ(正坐・あぐら)

膝を揃えて座れない、またはあぐらがかけない……二点

膝を揃えて座れるが後弯となる、またはあぐらが困難……一点

異常なし……〇点

そして、項目Ⅰ(股関節屈曲角度)、項目Ⅱ(外転拘縮角度)、項目Ⅲ(歩行・走行)および項目Ⅳ(正坐・あぐら)の合計点によつて、その全体の障害程度を評価するものとして、その内容は次のとおりとする。

合計点   障害程度

七〜一〇点   重度

三〜 六点   中等度

〇〜 二点   軽度

なお、軽度の場合には、合計点が〇ということもあり得る。

(二) 各患児別評価

原告患児らのうち、原告番号一Aないし二六A、同二八Aないし五四A、同五六Aないし九四A、同九六Aないし一二五A、同一二七Aないし一三〇A、同一三二A、同一三四Aないし一四八A、同一五〇Aないし一九九Aおよび同二〇一Aないし二二五Aの各原告患児らの罹患した各部位の各筋拘縮症に関する障害程度は、前記認定の原告患児らの各筋拘縮症罹患状況につき以上の判定基準をあてはめて評価すると、別紙原告患児別判定結果一覧表・障害程度欄記載のとおりとなる。

なお、原告患児らのうち手術歴のある者の中には、手術時以前における診療録等、原告患児らの術前の状態を記録した書類の内容が不明であつたために、術前の障害程度を右判定基準により正確に把握し難いものも存するが、鑑定の結果に弁論の全趣旨および「重度」の内容が日常生活動作の障害があり、手術の適応となることが多いというものであることを考慮すると、手術歴のある者については、特段の事情の認められない限り、術前に重度の筋拘縮症に罹患していたものとみて誤まりのないものというべきところ、右特段の事情を肯認するに足りる証拠はないから、手術歴のある者についてはいずれも重度と判定する。

4原告患児らの筋拘縮症による被害状況

<証拠>によると、原告患児らの筋拘縮症発症時前後の状況、発症後の経過、手術の既往、現在症状等、筋拘縮症による被害の状況の詳細は、別紙原告患児別筋拘縮症障害状況一覧表記載のとおりであることを認めることができ、これを左右にするに足りる証拠はない。

5慰謝料

原告患児らが筋拘縮症罹患によって被つた精神的苦痛を慰謝するに足りる金額は、右1ないし4の認定判示およびその他本件に顕われた諸般の事情を斜酌すると、これを次のとおりとするのを相当と認める。

(一) 基準額

類型  片側大腿四頭筋拘縮症型五〇〇万円

類型  両側大腿四頭筋拘縮症型八〇〇万円

類型  片側三角筋拘縮症型 四〇〇万円

類型  両側三角筋拘縮症型 六〇〇万円

類型  片側大腿四頭筋拘縮症プラス片側三角筋拘縮症型 七〇〇万円

類型  両側大腿四頭筋拘縮症プラス片側三角筋拘縮症型 九〇〇万円

類型  片側大腿四頭筋拘縮症プラス両側三角筋拘縮症型 八〇〇万円

類型  両側大腿四頭筋拘縮症プラス両側三角筋拘縮症型 一一〇〇万円

類型  両側大腿四頭筋拘縮症プラス片側殿筋拘縮症型 九〇〇万円

(二) 加算額

各罹患部位の各筋拘縮症について、それぞれその障害程度が中等度および重度のものについて次の額を加算するものとする。

中等度につき  一〇〇万円

重度につき   二〇〇万円

(三) 右(一)、(二)の基準に照らし検討すると、前記のとおり原告番号一Aないし二六A、同二八Aないし五四A、同五六Aないし九四A、同九六Aないし一二五A、同一二七Aないし一三〇A、同一三二A、同一三四Aないし一四八A、同一五〇Aないし一九九Aおよび同二〇一Aないし二二五Aの原告患児らの罹患した筋拘縮症の類型およびその障害程度は、別紙原告患児別判定結果一覧表記載のとおりであるから(ただし、原告番号二〇三Aおよび二一九Aの各原告患児については、前記第六の二1のとおり、各左右いずれかの大腿部に各一本のメチロン注射液が筋肉注射されたことが認められるにすぎないから、以下の慰謝料額の算定に際しては、いずれも類型片側大腿四頭筋拘縮症に該当するものとして判定することとする。)、右原告患児ら各別の筋拘縮症罹患による精神的苦痛を慰謝するに足りる金額は、それぞれ各原告に対する別紙損害金一覧表・基準額欄および加算額欄記載の各金員の合計金額である、同表・小計金額欄記載の金員をもつて相当と認める。

なお、本件においては、すでに原告らと弁論分離前の被告であつた安井医師との間において、安井医師が原告らに対し、損害賠償金として総額二億七、五〇〇万円を支払う旨の和解が成立し、その一部はすでに支払ずみであつて、右和解金額の限度においては、本件筋拘縮症の罹患により原告患児らの被つた損害は填補されたものというべきであるから、右事実は、右損害額の算定に当りこれを斟酌した。

6弁護士費用

以上判示したところによれば、被告製薬会社らの本件加害行為と原告患児らが本訴の提起、追行のために負担するに至つた弁護士費用との間には相当因果関係が存するものというべきところ、右費用額は、請求認容額等本件に顕われた諸般の事情を斟酌すると、別紙損害金一覧表・小計金額欄記載の金額の一〇%の割合の金額(同表・弁護士費用額欄)をもつて相当であるものと認める。

7結論

以上によれば、原告番号一Aないし二六A、同二八Aないし五四A、同五六Aないし九四A、同九六Aないし一二五A、同一二七Aないし一三〇A、同一三四Aないし一四八A、同一五〇Aないし一九九Aおよび同二〇一Aないし二二五Aの原告患児ら各人の被つた損害額は、各原告に対応する別紙損害金一覧表・合計金額欄記載の金員であるものと認めることがでぎる。

二原告患児らの父、母である原告らについて

原告らのうち、別紙原告目録・原告番号欄にB、C符号を付してある者は、原告患児らの父、母であり、本件において、原告患児らの筋拘縮症罹患により固有の精神的苦痛を被つたとして、それを賠償するに足りる金額を慰謝料として請求するものである。

しかしながら、子が生命侵害に至らない程度の身体的障害を受けた場合について、近親者である父母が、子本人とは別個に、固有の立場で慰謝料を請求するには、自らが直接被害者が生命を害された場合に比肩すべき、またこれに比して著しく劣らない程度の精神的苦痛を受けたことの主張、立証を要するものというべきところ、筋拘縮症の症状、治療内容等の病態についての知見、原告患児らが罹患した筋拘縮症の障害程度についての前記判示を考慮すると、本件全証拠をもつてしても、未だ右要件に該当するものと認めるには足りないものというべきである。

第一〇  結論

よつて、原告らの請求のうち、原告患児らの請求については、原告番号一Aないし二六A、同二八Aないし五四A、同五六Aないし九四A、同九六Aないし一二五A、同一二七Aないし一三〇A、同一三二A、同一三四Aないし一四八A、同一五〇Aないし一九九Aおよび同二〇一Aないし二二五Aの各原告患児らが、各原告患児に対応する別紙認容金額一覧表・被告欄記載の各被告に対して、同表・認容金額欄記載の金員およびこれに対する遅滞後である当該原告患児・被告に対応する同表・遅延損害金起算日記載の日から各支払ずみに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の連帯支払いを求める部分は理由があるからこれを認容し、同原告患児らのその余の請求並びにその余の原告らの請求はいずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。

(落合威 坂本慶一 杉江佳治)

認容金額一覧表

原告番号

原告

認容金額

被告

遅延損害金起算日

一A

秋山剛

七七〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

塩野義製薬

右同

エーザイ

右同

二A

秋山智美

一一〇〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

三A

秋山正

八八〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

武田薬品工業

右同

四A

秋山昇

一六五〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

武田薬品工業

右同

吉富製薬

右同

五A

穐山幸子

一三二〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

武田薬品工業

右同

吉富製薬

右同

興和

右同

六A

芦澤英夫

一八七〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

武田薬品工業

右同

吉富製薬

右同

七A

芦澤理彦

一三二〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

吉富製薬

右同

塩野義製薬

右同

八A

井上夏枝

五五〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

九A

内田光則

一二一〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

武田薬品工業

右同

吉富製薬

右同

一〇A

内田雅己

五五〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

塩野義製薬

右同

一一A

大久保京二

八八〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

武田薬品工業

右同

塩野義製薬

右同

一二A

大堀秀彦

八八〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

武田薬品工業

右同

エーザイ

右同

一三A

小野清治

一一〇〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

一四A

折居輝美

九九〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

武田薬品工業

右同

吉富製薬

右同

一五A

加賀美利広

一二一〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

一六A

加賀美靖

一三二〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

塩野義製薬

右同

エーザイ

右同

一七A

加賀美英樹

一三二〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

武田薬品工業

右同

エーザイ

右同

一八A

河西智子

一一〇〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

武田薬品工業

右同

吉富製薬

右同

エーザイ

右同

一九A

河西孝宗

一八七〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

武田薬品工業

右同

塩野義製薬

右同

二〇A

梶本尚隆

一一〇〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

武田薬品工業

右同

吉富製薬

右同

二一A

河西ゆう子

一一〇〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

武田薬品工業

右同

二二A

熊王いつみ

一一〇〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

塩野義製薬

右同

エーザイ

右同

二三A

熊王博文

一二一〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

二四A

幸加木秀典

一一〇〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

武田薬品工業

右同

吉富製薬

右同

二五A

斉藤光仁

一一〇〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

武田薬品工業

右同

吉富製薬

右同

二六A

笹津正憲

一八七〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

武田薬品工業

右同

二八A

塩澤千波

一七六〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

塩野義製薬

右同

エーザイ

右同

二九A

塩澤美和

一三二〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

武田薬品工業

右同

吉富製薬

右同

三〇A

椎名泰斉

一一〇〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

三一A

清水圭

一一〇〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

武田薬品工業

右同

吉富製薬

右同

三二A

杉田義政

九九〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

武田薬品工業

右同

塩野義製薬

右同

吉富製薬

右同

三三A

土屋孝広

一一〇〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

エーザイ

右同

三四A

土屋めぐみ

六六〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

吉富製薬

右同

三五A

中原志真

八八〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

吉富製薬

右同

三六A

中沢也寸志

一一〇〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

武田薬品工業

右同

塩野義製薬

右同

エーザイ

右同

三七A

成澤元繁

一四三〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

武田薬品工業

右同

三八A

新田理江

一三二〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

三九A

初鹿みどり

一一〇〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

吉富製薬

右同

四〇A

平田美穂

一七六〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

吉富製薬

右同

エーザイ

右同

四一A

深澤三男

九九〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

武田薬品工業

右同

塩野義製薬

右同

吉富製薬

右同

四二A

深澤光英

一三二〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

塩野義製薬

右同

吉富製薬

右同

四三A

深澤克美

一一〇〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

武田薬品工業

右同

吉富製薬

右同

四四A

細川勝富

一三二〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

武田薬品工業

右同

エーザイ

右同

四五A

村松憲

一二一〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

武田薬品工業

右同

吉富製薬

右同

四六A

村松由希子

九九〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

武田薬品工業

右同

吉富製薬

右同

エーザイ

右同

四七A

山下仁

一一〇〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

武田薬品工業

右同

エーザイ

右同

四八A

山下文明

九九〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

武田薬品工業

右同

吉富製薬

右同

四九A

矢崎ゆかり

一三二〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

塩野義製薬

右同

エーザイ

右同

五〇A

依田淳

一三二〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

武田薬品工業

右同

塩野義製薬

右同

エーザイ

右同

吉富製薬

右同

五一A

依田美代子

一一〇〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

武田薬品工業

右同

塩野義製薬

右同

エーザイ

右同

吉富製薬

右同

五二A

渡辺貴美香

一三二〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

武田薬品工業

右同

五三A

河西祥子

八八〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

吉富製薬

右同

五四A

秋山和久

二〇九〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

武田薬品工業

右同

エーザイ

右同

五六A

秋山健一

六六〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

エーザイ

右同

五七A

安斉由美子

一四三〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

武田薬品工業

右同

吉富製薬

右同

五八A

石川美代子

一三二〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

五九A

石川直純

八八〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

武田薬品工業

右同

塩野義製薬

右同

六〇A

一木昌宏

一一〇〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

武田薬品工業

右同

六一A

井上佳弘

一四三〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

吉富製薬

右同

塩野義製薬

右同

六二A

井上誠

八八〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

吉富製薬

右同

六三A

入倉幹雄

五五〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

吉富製薬

右同

六四A

海野裕志

一三二〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

武田薬品工業

右同

塩野義製薬

右同

吉富製薬

右同

六五A

遠藤里栄

一一〇〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

吉富製薬

右同

塩野義製薬

右同

エーザイ

右同

六六A

遠藤和樹

二〇九〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

吉富製薬

右同

塩野義製薬

右同

六七A

遠藤博樹

一三二〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

武田薬品工業

右同

塩野義製薬

右同

エーザイ

右同

六八A

遠藤隆弘

七七〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

武田薬品工業

右同

塩野義製薬

右同

エーザイ

右同

吉富製薬

右同

六九A

遠藤美千子

一二一〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月五日

七〇A

遠藤昭

八八〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

塩野義製薬

右同

七一A

小沢容子

一五四〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

武田薬品工業

右同

吉富製薬

右同

七二A

小沢純子

一二一〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

武田薬品工業

右同

七三A

小沢恵子

一四三〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

塩野義製薬

右同

七四A

大下芳博

八八〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

七五A

大下裕見

一一〇〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

武田薬品工業

右同

吉富製薬

右同

七六A

河住守

八八〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

武田薬品工業

右同

七七A

河住輝美

九九〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

吉富製薬

右同

塩野義製薬

右同

七八A

河澄裕昭

一五四〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

武田薬品工業

右同

吉富製薬

右同

七九A

小池麻美子

六六〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

武田薬品工業

右同

吉富製薬

右同

八〇A

小林志保

一一〇〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

吉富製薬

右同

八一A

小林謙史

八八〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

吉富製薬

右同

エーザイ

右同

八二A

斉藤鉄也

一三二〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月五日

東洋醸造

右同

武田薬品工業

右同

八三A

佐野茂美

六六〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

武田薬品工業

右同

塩野義製薬

右同

エーザイ

右同

八四A

進藤由美

九九〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

八五A

杉山昌史

一一〇〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

武田薬品工業

右同

八六A

杉山由宣

一二一〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

武田薬品工業

右同

吉富製薬

右同

八七A

杉山貴子

一四三〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

エーザイ

右同

八八A

鈴木伸子

一一〇〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

塩野義製薬

右同

エーザイ

右同

八九A

関奈津子

一七六〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

武田薬品工業

右同

吉富製薬

右同

九〇A

高井美佳

一二一〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

武田薬品工業

右同

九一A

高井美江

一四三〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

武田薬品工業

右同

エーザイ

右同

九二A

高橋訓子

一一〇〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

塩野義製薬

右同

九三A

高橋敏子

一三二〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

武田薬品工業

右同

吉富製薬

右同

九四A

高橋美和

一一〇〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

吉富製薬

右同

九六A

中込幸子

八八〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

武田薬品工業

右同

九七A

中込一彦

八八〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

塩野義製薬

右同

エーザイ

右同

九八A

野澤克

七七〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

九九A

早川ゆかり

一四三〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

武田薬品工業

右同

塩野義製薬

右同

吉富製薬

右同

一〇〇A

早川美恵子

八八〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

武田薬品工業

右同

一〇一A

樋口美樹

一一〇〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

武田薬品工業

右同

一〇二A

樋口奈美

八八〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

一〇三A

深澤英樹

一三二〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

武田薬品工業

右同

一〇四A

深澤公博

九九〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

武田薬品工業

右同

吉富製薬

右同

一〇五A

深澤克己

一三二〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

武田薬品工業

右同

塩野義製薬

右同

吉富製薬

右同

一〇六A

星野和仁

一三二〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

武田薬品工業

右同

塩野義製薬

右同

エーザイ

右同

一〇七A

松下和美

一一〇〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

武田薬品工業

右同

塩野義製薬

右同

吉富製薬

右同

一〇八A

松村浩二

一三二〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

武田薬品工業

右同

吉富製薬

右同

一〇九A

望月修一

八八〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

一一〇A

望月孝秀

五五〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

一一一A

望月久

一四三〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

塩野義製薬

右同

一一二A

矢岸礼子

八八〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

武田薬品工業

右同

エーザイ

右同

一一三A

矢崎香

一一〇〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

武田薬品工業

右同

一一四A

矢野芳男

一五四〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

武田薬品工業

右同

吉富製薬

右同

一一五A

横小路隆

一二一〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

一一六A

依田照美

八八〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

塩野義製薬

右同

一一七A

依田文一

五五〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

一一八A

若林美紀

一三二〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

武田薬品工業

右同

塩野義製薬

右同

エーザイ

右同

一一九A

渡辺学

九九〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

武田薬品工業

右同

一二〇A

渡辺美葉

一一〇〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

武田薬品工業

右同

エーザイ

右同

一二一A

遠藤美佐

一一〇〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

一二二A

遠藤光彦

九九〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

塩野義製薬

右同

一二三A

笠井健一

一一〇〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

武田薬品工業

右同

一二四A

佐野さくら

七七〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

一二五A

佐野良和

九九〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

武田薬品工業

右同

吉富製薬

右同

エーザイ

右同

一二六A

杉山賢

一三二〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

吉富製薬

右同

エーザイ

右同

一二七A

幡野恵理

一三二〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

武田薬品工業

右同

一二八A

幡野裕子

九九〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

一二九A

廣瀬恭代

一二一〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

吉富製薬

右同

一三〇A

逸見和美

七七〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

一三二A

若尾強

一一〇〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

吉富製薬

右同

一三四A

渡辺浩司

一二一〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

武田薬品工業

右同

一三五A

石川敬子

九九〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

塩野義製薬

右同

一三六A

遠藤昌弘

一一〇〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

武田薬品工業

右同

一三七A

遠藤みゆき

一一〇〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

武田薬品工業

右同

一三八A

笠井珠美

六六〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

武田薬品工業

右同

吉富製薬

右同

一三九A

川口美紀

一二一〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

武田薬品工業

右同

吉富製薬

右同

一四〇A

川口美奈子

八八〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

一四一A

佐藤学

九九〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

吉富製薬

右同

一四二A

斉藤美沙子

一五四〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

武田薬品工業

右同

吉富製薬

右同

一四三A

萩原孝洋

八八〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

武田薬品工業

右同

一四四A

本田正人

一一〇〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

一四五A

穂坂美香

八八〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

塩野義製薬

右同

一四六A

浅原三枝

九九〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

武田薬品工業

右同

吉富製薬

右同

一四七A

伊藤昭

六六〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

一四八A

伊藤健司

五五〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

武田薬品工業

右同

吉富製薬

右同

一五〇A

今村美紀

一三二〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

塩野義製薬

右同

一五一A

上田智之

一三二〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

武田薬品工業

右同

塩野義製薬

右同

吉富製薬

右同

一五二A

小林千春

一一〇〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

武田薬品工業

右同

一五三A

高橋和也

八八〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

武田薬品工業

右同

吉富製薬

右同

一五四A

高野幸司

八八〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

塩野義製薬

右同

一五五A

高野伸二

八八〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

武田薬品工業

右同

吉富製薬

右同

一五六A

土橋志保

五五〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

吉富製薬

右同

一五七A

北條征一

八八〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

武田薬品工業

右同

吉富製薬

右同

一五八A

望月宣一

八八〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

武田薬品工業

右同

一五九A

渡辺和彦

一二一〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

武田薬品工業

右同

塩野義製薬

右同

吉富製薬

右同

一六〇A

若狭ゆり

九九〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

一六一A

上田純生

一五四〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

武田薬品工業

右同

塩野義製薬

右同

吉富製薬

右同

一六二A

川崎正博

一三二〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

武田薬品工業

右同

興和

右同

一六三A

宮沢節也

八八〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

武田薬品工業

右同

塩野義製薬

右同

一六四A

宮沢美和子

一三二〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

武田薬品工業

右同

エーザイ

右同

一六五A

望月清文

一二一〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

武田薬品工業

右同

塩野義製薬

右同

一六六A

青柳しのぶ

一一〇〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

吉富製薬

右同

一六七A

伊藤浩子

九九〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

吉富製薬

右同

塩野義製薬

右同

一六八A

伊藤文明

八八〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

興和

右同

一六九A

一瀬雄一郎

一一〇〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

吉富製薬

右同

一七〇A

小林寿

八八〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

エーザイ

右同

一七一A

佐野一仁

一二一〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

一七二A

前島一間

一五四〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

吉富製薬

右同

エーザイ

右同

一七三A

村松直美

八八〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

吉富製薬

右同

一七四A

村松昌企

一三二〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

エーザイ

右同

一七五A

山本薫

一二一〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

一七六A

山本睦

一六五〇万円

第一製薬

昭和五二年 三月一五日

東洋醸造

右同

武田薬品工業

右同

一七七A

秋山尚

一三二〇万円

第一製薬

昭和五二年 七月二九日

東洋醸造

昭和五二年 七月三〇日

武田薬品工業

昭和五二年 七月三一日

吉富製薬

昭和五二年 八月 二日

一七八A

秋山綾

八八〇万円

第一製薬

昭和五二年 七月二九日

一七九A

秋山香織

八八〇万円

第一製薬

昭和五二年 七月二九日

東洋醸造

昭和五二年 七月三〇日

武田薬品工業

昭和五二年 七月三一日

一八〇A

青木千春

一一〇〇万円

第一製薬

昭和五二年 七月二九日

東洋醸造

昭和五二年 七月三〇日

一八一A

芦澤文彦

六六〇万円

第一製薬

昭和五二年 七月二九日

東洋醸造

昭和五二年 七月三〇日

武田薬品工業

昭和五二年 七月三一日

一八二A

芦澤美香

一一〇〇万円

第一製薬

昭和五二年 七月二九日

一八三A

芦澤司

八八〇万円

第一製薬

昭和五二年 七月二九日

エーザイ

右同

一八四A

内田江美

六六〇万円

第一製薬

昭和五二年 七月二九日

一八五A

小川典孝

一一〇〇万円

第一製薬

昭和五二年 七月二九日

一八六A

大森茂

一三二〇万円

第一製薬

昭和五二年 七月二九日

一八七A

加藤清子

七七〇万円

第一製薬

昭和五二年 七月二九日

東洋醸造

昭和五二年 七月三〇日

武田薬品工業

昭和五二年 七月三一日

塩野義製薬

右同

一八八A

郡司学

八八〇万円

第一製薬

昭和五二年 七月二九日

吉富製薬

昭和五二年 八月 二日

一八九A

塩澤弘美

一一〇〇万円

第一製薬

昭和五二年 七月二九日

東洋醸造

昭和五二年 七月三〇日

武田薬品工業

昭和五二年 七月三一日

エーザイ

昭和五二年 七月二九日

一九〇A

杉田和彦

七七〇万円

第一製薬

昭和五二年 七月二九日

東洋醸造

昭和五二年 七月三〇日

武田薬品工業

昭和五二年 七月三一日

塩野義製薬

右同

吉富製薬

昭和五二年 八月 二日

一九一A

高野佳代

八八〇万円

第一製薬

昭和五二年 七月二九日

東洋醸造

昭和五二年 七月三〇日

吉富製薬

昭和五二年 八月 二日

興和

昭和五二年 七月三〇日

一九二A

原田美佐子

一一〇〇万円

第一製薬

昭和五二年 七月二九日

一九三A

深澤一紀

一一〇〇万円

第一製薬

昭和五二年 七月二九日

東洋醸造

昭和五二年 七月三〇日

武田薬品工業

昭和五二年 七月三一日

一九四A

深澤理恵

五五〇万円

第一製薬

昭和五二年 七月二九日

東洋醸造

昭和五二年 七月三〇日

エーザイ

昭和五二年 七月二九日

一九五A

細川道子

一四三〇万円

第一製薬

昭和五二年 七月二九日

東洋醸造

昭和五二年 七月三〇日

武田薬品工業

昭和五二年 七月三一日

塩野義製薬

右同

エーザイ

昭和五二年 七月二九日

吉富製薬

昭和五二年 八月 二日

一九六A

山下昌光

一一〇〇万円

第一製薬

昭和五二年 七月二九日

一九七A

秋山雅紀

一一〇〇万円

第一製薬

昭和五二年 七月二九日

東洋醸造

昭和五二年 七月三〇日

武田薬品工業

昭和五二年 七月三一日

エーザイ

昭和五二年 七月二九日

一九八A

遠藤利子

七七〇万円

第一製薬

昭和五二年 七月二九日

東洋醸造

昭和五二年 七月三〇日

武田薬品工業

昭和五二年 七月三一日

塩野義製薬

右同

吉富製薬

昭和五二年 八月 二日

一九九A

遠藤幸一

五五〇万円

第一製薬

昭和五二年 七月二九日

東洋醸造

昭和五二年 七月三〇日

吉富製薬

昭和五二年 八月 二日

二〇一A

鈴木一栄

一一〇〇万円

第一製薬

昭和五二年 七月二九日

東洋醸造

昭和五二年 七月三〇日

武田薬品工業

昭和五二年 七月三一日

二〇二A

高井理恵

九九〇万円

第一製薬

昭和五二年 七月二九日

二〇三A

樋口敏光

七七〇万円

第一製薬

昭和五二年 七月二九日

二〇四A

樋口みどり

一一〇〇万円

第一製薬

昭和五二年 七月二九日

東洋醸造

昭和五二年 七月三〇日

塩野義製薬

昭和五二年 七月三一日

エーザイ

昭和五二年 七月二九日

吉富製薬

昭和五二年 八月 二日

興和

昭和五二年 七月三〇日

二〇五A

堀口留美

五五〇万円

第一製薬

昭和五二年 七月二九日

東洋醸造

昭和五二年 七月三〇日

武田薬品工業

昭和五二年 七月三一日

吉富製薬

昭和五二年 八月 二日

二〇六A

望月里美

五五〇万円

第一製薬

昭和五二年 七月二九日

東洋醸造

昭和五二年 七月三〇日

エーザイ

昭和五二年 七月二九日

二〇七A

望月敏

一九八〇万円

第一製薬

昭和五二年 七月二九日

二〇八A

依田順道

九九〇万円

第一製薬

昭和五二年 七月二九日

二〇九A

遠藤久美

八八〇万円

第一製薬

昭和五二年 七月二九日

二一〇A

川手一浩

八八〇万円

第一製薬

昭和五二年 七月二九日

東洋醸造

昭和五二年 七月三〇日

塩野義製薬

昭和五二年 七月三一日

二一一A

笠井一元

九九〇万円

第一製薬

昭和五二年 七月二九日

二一二A

栗澤実

一二一〇万円

第一製薬

昭和五二年 七月二九日

二一三A

中谷和美

九九〇万円

第一製薬

昭和五二年 七月二九日

東洋醸造

昭和五二年 七月三〇日

塩野義製薬

昭和五二年 七月三一日

エーザイ

昭和五二年 七月二九日

興和

昭和五二年 七月三〇日

二一四A

長谷川大

六六〇万円

第一製薬

昭和五二年 七月二九日

東洋醸造

昭和五二年 七月三〇日

武田薬品工業

昭和五二年 七月三一日

二一五A

廣瀬貴也

五五〇万円

第一製薬

昭和五二年 七月二九日

二一六A

浅原保信

五五〇万円

第一製薬

昭和五二年 七月二九日

二一七A

今村徹

八八〇万円

第一製薬

昭和五二年 七月二九日

東洋醸造

昭和五二年 七月三〇日

吉富製薬

昭和五二年 八月 二日

塩野義製薬

昭和五二年 七月三一日

興和

昭和五二年 七月三〇日

二一八A

切金修司

九九〇万円

第一製薬

昭和五二年 七月二九日

東洋醸造

昭和五二年 七月三〇日

武田薬品工業

昭和五二年 七月三一日

吉富製薬

昭和五二年 八月 二日

二一九A

小林潤

五五〇万円

第一製薬

昭和五二年 七月二九日

二二〇A

高野克彦

五五〇万円

第一製薬

昭和五二年 七月二九日

二二一A

石川美佳

八八〇万円

第一製薬

昭和五二年 七月二九日

東洋醸造

昭和五二年 七月三〇日

二二二A

保坂さおり

七七〇万円

第一製薬

昭和五二年 七月二九日

二二三A

宮野修

一一〇〇万円

第一製薬

昭和五二年 七月二九日

東洋醸造

昭和五二年 七月三〇日

武田薬品工業

昭和五二年 七月三一日

二二四A

渡辺美果

一三二〇万円

第一製薬

昭和五二年 七月二九日

二二五A

藤澤広由

一一〇〇万円

第一製薬

昭和五二年 七月二九日

東洋醸造

昭和五二年 七月三〇日

武田薬品工業

昭和五二年 七月三一日

塩野義製薬

右同

吉富製薬

昭和五二年 八月 二日

損害金一覧表

原告番号

氏名

類型

基準額

加算額

小計金額

弁護士費用額

合計金額

一A

秋山剛

五〇〇万円

二〇〇万円

七〇〇万円

七〇万円

七七〇万円

二A

秋山智美

八〇〇万円

二〇〇万円

一〇〇〇万円

一〇〇万円

一一〇〇万円

三A

秋山正

八〇〇万円

八〇〇万円

八〇万円

八八〇万円

四A

秋山昇

一一〇〇万円

四〇〇万円

一五〇〇万円

一五〇万円

一六五〇万円

五A

穐山幸子

八〇〇万円

四〇〇万円

一二〇〇万円

一二〇万円

一三二〇万円

六A

芦澤英夫

一一〇〇万円

六〇〇万円

一七〇〇万円

一七〇万円

一八七〇万円

七A

芦澤理彦

八〇〇万円

四〇〇万円

一二〇〇万円

一二〇万円

一三二〇万円

八A

井上夏枝

五〇〇万円

五〇〇万円

五〇万円

五五〇万円

九A

内田光則

八〇〇万円

三〇〇万円

一一〇〇万円

一一〇万円

一二一〇万円

一〇A

内田雅己

五〇〇万円

五〇〇万円

五〇万円

五五〇万円

一一A

大久保京二

八〇〇万円

八〇〇万円

八〇万円

八八〇万円

原告番号

氏名

類型

基準額

加算額

小計金額

弁護士費用額

合計金額

一二A

大堀秀彦

八〇〇万円

八〇〇万円

八〇万円

八八〇万円

一三A

小野清治

八〇〇万円

二〇〇万円

一〇〇〇万円

一〇〇万円

一一〇〇万円

一四A

折居輝美

八〇〇万円

一〇〇万円

九〇〇万円

九〇万円

九九〇万円

一五A

加賀美利広

八〇〇万円

三〇〇万円

一一〇〇万円

一一〇万円

一二一〇万円

一六A

加賀美靖

八〇〇万円

四〇〇万円

一二〇〇万円

一二〇万円

一三二〇万円

一七A

加賀美英樹

八〇〇万円

四〇〇万円

一二〇〇万円

一二〇万円

一三二〇万円

一八A

河西智子

九〇〇万円

一〇〇万円

一〇〇〇万円

一〇〇万円

一一〇〇万円

一九A

河西孝宗

一一〇〇万円

六〇〇万円

一七〇〇万円

一七〇万円

一八七〇万円

二〇A

梶本尚隆

八〇〇万円

二〇〇万円

一〇〇〇万円

一〇〇万円

一一〇〇万円

二一A

河西ゆう子

八〇〇万円

二〇〇万円

一〇〇〇万円

一〇〇万円

一一〇〇万円

二二A

熊王いつみ

八〇〇万円

二〇〇万円

一〇〇〇万円

一〇〇万円

一一〇〇万円

二三A

熊王博文

九〇〇万円

二〇〇万円

一一〇〇万円

一一〇万円

一二一〇万円

二四A

幸加木秀典

八〇〇万円

二〇〇万円

一〇〇〇万円

一〇〇万円

一一〇〇万円

二五A

斉藤光仁

八〇〇万円

二〇〇万円

一〇〇〇万円

一〇〇万円

一一〇〇万円

二六A

笹津正憲

一一〇〇万円

六〇〇万円

一七〇〇万円

一七〇万円

一八七〇万円

二八A

塩澤千波

一一〇〇万円

五〇〇万円

一六〇〇万円

一六〇万円

一七六〇万円

二九A

塩澤美和

八〇〇万円

四〇〇万円

一二〇〇万円

一二〇万円

一三二〇万円

三〇A

椎名泰斉

八〇〇万円

二〇〇万円

一〇〇〇万円

一〇〇万円

一一〇〇万円

三一A

清水圭

八〇〇万円

二〇〇万円

一〇〇〇万円

一〇〇万円

一一〇〇万円

三二A

杉田義政

八〇〇万円

一〇〇万円

九〇〇万円

九〇万円

九九〇万円

原告番号

氏名

類型

基準額

加算額

小計金額

弁護士費用額

合計金額

三三A

土屋孝広

八〇〇万円

二〇〇万円

一〇〇〇万円

一〇〇万円

一一〇〇万円

三四A

土屋めぐみ

五〇〇万円

一〇〇万円

六〇〇万円

六〇万円

六六〇万円

三五A

中原志真

八〇〇万円

八〇〇万円

八〇万円

八八〇万円

三六A

中沢也寸志

八〇〇万円

二〇〇万円

一〇〇〇万円

一〇〇万円

一一〇〇万円

三七A

成澤元繁

八〇〇万円

五〇〇万円

一三〇〇万円

一三〇万円

一四三〇万円

三八A

新田理江

八〇〇万円

四〇〇万円

一二〇〇万円

一二〇万円

一三二〇万円

三九A

初鹿みどり

八〇〇万円

二〇〇万円

一〇〇〇万円

一〇〇万円

一一〇〇万円

四〇A

平田美穂

一一〇〇万円

五〇〇万円

一六〇〇万円

一六〇万円

一七六〇万円

四一A

深澤三男

八〇〇万円

一〇〇万円

九〇〇万円

九〇万円

九九〇万円

四二A

深澤光英

八〇〇万円

四〇〇万円

一二〇〇万円

一二〇万円

一三二〇万円

四三A

深澤克美

八〇〇万円

二〇〇万円

一〇〇〇万円

一〇〇万円

一一〇〇万円

四四A

細川勝富

八〇〇万円

四〇〇万円

一二〇〇万円

一二〇万円

一三二〇万円

四五A

村松憲

八〇〇万円

三〇〇万円

一一〇〇万円

一一〇万円

一二一〇万円

四六A

村松由希子

八〇〇万円

一〇〇万円

九〇〇万円

九〇万円

九九〇万円

四七A

山下仁

六〇〇万円

四〇〇万円

一〇〇〇万円

一〇〇万円

一一〇〇万円

四八A

山下文明

八〇〇万円

一〇〇万円

九〇〇万円

九〇万円

九九〇万円

四九A

矢崎ゆかり

八〇〇万円

四〇〇万円

一二〇〇万円

一二〇万円

一三二〇万円

五〇A

依田淳

八〇〇万円

四〇〇万円

一二〇〇万円

一二〇万円

一三二〇万円

五一A

依田美代子

九〇〇万円

一〇〇万円

一〇〇〇万円

一〇〇万円

一一〇〇万円

五二A

渡辺貴美香

八〇〇万円

四〇〇万円

一二〇〇万円

一二〇万円

一三二〇万円

原告番号

氏名

類型

基準額

加算額

小計金額

弁護士費用額

合計金額

五三A

河西祥子

八〇〇万円

八〇〇万円

八〇万円

八八〇万円

五四A

秋山和久

一一〇〇万円

八〇〇万円

一九〇〇万円

一九〇万円

二〇九〇万円

五六A

秋山健一

四〇〇万円

二〇〇万円

六〇〇万円

六〇万円

六六〇万円

五七A

安斉由美子

一一〇〇万円

二〇〇万円

一三〇〇万円

一三〇万円

一四三〇万円

五八A

石川美代子

八〇〇万円

四〇〇万円

一二〇〇万円

一二〇万円

一三二〇万円

五九A

石川直純

八〇〇万円

八〇〇万円

八〇万円

八八〇万円

六〇A

一木昌宏

八〇〇万円

二〇〇万円

一〇〇〇万円

一〇〇万円

一一〇〇万円

六一A

井上佳弘

一一〇〇万円

二〇〇万円

一三〇〇万円

一三〇万円

一四三〇万円

六二A

井上誠

八〇〇万円

八〇〇万円

八〇万円

八八〇万円

六三A

入倉幹雄

五〇〇万円

五〇〇万円

五〇万円

五五〇万円

六四A

海野裕志

八〇〇万円

四〇〇万円

一二〇〇万円

一二〇万円

一三二〇万円

六五A

遠藤里栄

六〇〇万円

四〇〇万円

一〇〇〇万円

一〇〇万円

一一〇〇万円

六六A

遠藤和樹

一一〇〇万円

八〇〇万円

一九〇〇万円

一九〇万円

二〇九〇万円

六七A

遠藤博樹

八〇〇万円

四〇〇万円

一二〇〇万円

一二〇万円

一三二〇万円

六八A

遠藤隆弘

五〇〇万円

二〇〇万円

七〇〇万円

七〇万円

七七〇万円

六九A

遠藤美千子

八〇〇万円

三〇〇万円

一一〇〇万円

一一〇万円

一二一〇万円

七〇A

遠藤昭

八〇〇万円

八〇〇万円

八〇万円

八八〇万円

七一A

小沢容子

一一〇万円

三〇〇万円

一四〇〇万円

一四〇万円

一五四〇万円

七二A

小沢純子

八〇〇万円

三〇〇万円

一一〇〇万円

一一〇万円

一二一〇万円

七三A

小沢恵子

一一〇〇万円

二〇〇万円

一三〇〇万円

一三〇万円

一四三〇万円

原告番号

氏名

類型

基準額

加算額

小計金額

弁護士費用額

合計金額

七四A

大下芳博

八〇〇万円

八〇〇万円

八〇万円

八八〇万円

七五A

大下裕見

八〇〇万円

二〇〇万円

一〇〇〇万円

一〇〇万円

一一〇〇万円

七六A

河住守

八〇〇万円

八〇〇万円

八〇万円

八八〇万円

七七A

河住輝美

八〇〇万円

一〇〇万円

九〇〇万円

九〇万円

九九〇万円

七八A

河澄裕昭

一一〇〇万円

三〇〇万円

一四〇〇万円

一四〇万円

一五四〇万円

七九A

小池麻美子

五〇〇万円

一〇〇万円

六〇〇万円

六〇万円

六六〇万円

八〇A

小林志保

八〇〇万円

二〇〇万円

一〇〇〇万円

一〇〇万円

一一〇〇万円

八一A

小林謙史

八〇〇万円

八〇〇万円

八〇万円

八八〇万円

八二A

斉藤鉄也

八〇〇万円

四〇〇万円

一二〇〇万円

一二〇万円

一三二〇万円

八三A

佐野茂美

四〇〇万円

二〇〇万円

六〇〇万円

六〇万円

六六〇万円

八四A

進藤由美

八〇〇万円

一〇〇万円

九〇〇万円

九〇万円

九九〇万円

八五A

杉山昌史

八〇〇万円

二〇〇万円

一〇〇〇万円

一〇〇万円

一一〇〇万円

八六A

杉山由宣

八〇〇万円

三〇〇万円

一一〇〇万円

一一〇万円

一二一〇万円

八七A

杉山貴子

九〇〇万円

四〇〇万円

一三〇〇万円

一三〇万円

一四三〇万円

八八A

鈴木伸子

八〇〇万円

二〇〇万円

一〇〇〇万円

一〇〇万円

一一〇〇万円

八九A

関奈津子

一一〇〇万円

五〇〇万円

一六〇〇万円

一六〇万円

一七六〇万円

九〇A

高井美佳

九〇〇万円

二〇〇万円

一一〇〇万円

一一〇万円

一二一〇万円

九一A

高井美江

一一〇〇万円

二〇〇万円

一三〇〇万円

一三〇万円

一四三〇万円

九二A

高橋訓子

九〇〇万円

一〇〇万円

一〇〇〇万円

一〇〇万円

一一〇〇万円

九三A

高橋敏子

八〇〇万円

四〇〇万円

一二〇〇万円

一二〇万円

一三二〇万円

原告番号

氏名

類型

基準額

加算額

小計金額

弁護士費用額

合計金額

九四A

高橋美和

八〇〇万円

二〇〇万円

一〇〇〇万円

一〇〇万円

一一〇〇万円

九六A

中込幸子

八〇〇万円

八〇〇万円

八〇万円

八八〇万円

九七A

中込一彦

八〇〇万円

八〇〇万円

八〇万円

八八〇万円

九八A

野澤克

五〇〇万円

二〇〇万円

七〇〇万円

七〇万円

七七〇万円

九九A

早川ゆかり

一一〇〇万円

二〇〇万円

一三〇〇万円

一三〇万円

一四三〇万円

一〇〇A

早川美恵子

八〇〇万円

八〇〇万円

八〇万円

八八〇万円

一〇一A

樋口美樹

八〇〇万円

二〇〇万円

一〇〇〇万円

一〇〇万円

一一〇〇万円

一〇二A

樋口奈美

八〇〇万円

八〇〇万円

八〇万円

八八〇万円

一〇三A

深澤英樹

八〇〇万円

四〇〇万円

一二〇〇万円

一二〇万円

一三二〇万円

一〇四A

深澤公博

八〇〇万円

一〇〇万円

九〇〇万円

九〇万円

九九〇万円

一〇五A

深澤克己

八〇〇万円

四〇〇万円

一二〇〇万円

一二〇万円

一三二〇万円

一〇六A

星野和仁

八〇〇万円

四〇〇万円

一二〇〇万円

一二〇万円

一三二〇万円

一〇七A

松下和美

八〇〇万円

二〇〇万円

一〇〇〇万円

一〇〇万円

一一〇〇万円

一〇八A

村松浩二

八〇〇万円

四〇〇万円

一二〇〇万円

一二〇万円

一三二〇万円

一〇九A

望月修一

八〇〇万円

八〇〇万円

八〇万円

八八〇万円

一一〇A

望月孝秀

五〇〇万円

五〇〇万円

五〇万円

五五〇万円

一一一A

望月久

一一〇〇万円

二〇〇万円

一三〇〇万円

一三〇万円

一四三〇万円

一一二A

矢岸礼子

八〇〇万円

八〇〇万円

八〇万円

八八〇万円

一一三A

矢崎香

八〇〇万円

二〇〇万円

一〇〇〇万円

一〇〇万円

一一〇〇万円

一一四A

矢野芳男

一一〇〇万円

三〇〇万円

一四〇〇万円

一四〇万円

一五四〇万円

原告番号

氏名

類型

基準額

加算額

小計金額

弁護士費用額

合計金額

一一五A

横小路隆

八〇〇万円

三〇〇万円

一一〇〇万円

一一〇万円

一二一〇万円

一一六A

依田照美

八〇〇万円

八〇〇万円

八〇万円

八八〇万円

一一七A

依田文一

五〇〇万円

五〇〇万円

五〇万円

五五〇万円

一一八A

若林美紀

八〇〇万円

四〇〇万円

一二〇〇万円

一二〇万円

一三二〇万円

一一九A

渡辺学

八〇〇万円

一〇〇万円

九〇〇万円

九〇万円

九九〇万円

一二〇A

渡辺美葉

八〇〇万円

二〇〇万円

一〇〇〇万円

一〇〇万円

一一〇〇万円

一二一A

遠藤美佐

八〇〇万円

二〇〇万円

一〇〇〇万円

一〇〇万円

一一〇〇万円

一二二A

遠藤光彦

八〇〇万円

一〇〇万円

九〇〇万円

九〇万円

九九〇万円

一二三A

笠井健一

八〇〇万円

二〇〇万円

一〇〇〇万円

一〇〇万円

一一〇〇万円

一二四A

佐野さくら

五〇〇万円

二〇〇万円

七〇〇万円

七〇万円

七七〇万円

一二五A

佐野良和

八〇〇万円

一〇〇万円

九〇〇万円

九〇万円

九九〇万円

一二六A

杉山賢

八〇〇万円

四〇〇万円

一二〇〇万円

一二〇万円

一三二〇万円

一二七A

幡野恵理

八〇〇万円

四〇〇万円

一二〇〇万円

一二〇万円

一三二〇万円

一二八A

幡野裕子

八〇〇万円

一〇〇万円

九〇〇万円

九〇万円

九九〇万円

一二九A

廣瀬恭代

九〇〇万円

二〇〇万円

一一〇〇万円

一一〇万円

一二一〇万円

一三〇A

逸見和美

五〇〇万円

二〇〇万円

七〇〇万円

七〇万円

七七〇万円

一三二A

若尾強

八〇〇万円

二〇〇万円

一〇〇〇万円

一〇〇万円

一一〇〇万円

一三四A

渡辺浩司

八〇〇万円

三〇〇万円

一一〇〇万円

一一〇万円

一二一〇万円

一三五A

石川敬子

八〇〇万円

一〇〇万円

九〇〇万円

九〇万円

九九〇万円

一三六A

遠藤昌弘

八〇〇万円

二〇〇万円

一〇〇〇万円

一〇〇万円

一一〇〇万円

原告番号

氏名

類型

基準額

加算額

小計金額

弁護士費用額

合計金額

一三七A

遠藤みゆき

八〇〇万円

二〇〇万円

一〇〇〇万円

一〇〇万円

一一〇〇万円

一三八A

笠井珠美

五〇〇万円

一〇〇万円

六〇〇万円

六〇万円

六六〇万円

一三九A

川口美紀

一一〇〇万円

一一〇〇万円

一一〇万円

一二一〇万円

一四〇A

川口美奈子

八〇〇万円

八〇〇万円

八〇万円

八八〇万円

一四一A

佐藤学

八〇〇万円

一〇〇万円

九〇〇万円

九〇万円

九九〇万円

一四二A

斉藤美沙子

一一〇〇万円

三〇〇万円

一四〇〇万円

一四〇万円

一五四〇万円

一四三A

萩原孝洋

八〇〇万円

八〇〇万円

八〇万円

八八〇万円

一四四A

本田正人

八〇〇万円

二〇〇万円

一〇〇〇万円

一〇〇万円

一一〇〇万円

一四五A

穂坂美香

八〇〇万円

八〇〇万円

八〇万円

八八〇万円

一四六A

浅原三枝

八〇〇万円

一〇〇万円

九〇〇万円

九〇万円

九九〇万円

一四七A

伊藤明

五〇〇万円

一〇〇万円

六〇〇万円

六〇万円

六六〇万円

一四八A

伊藤健司

五〇〇万円

五〇〇万円

五〇万円

五五〇万円

一五〇A

今村美紀

八〇〇万円

四〇〇万円

一二〇〇万円

一二〇万円

一三二〇万円

一五一A

上田智之

八〇〇万円

四〇〇万円

一二〇〇万円

一二〇万円

一三二〇万円

一五二A

小林千春

八〇〇万円

二〇〇万円

一〇〇〇万円

一〇〇万円

一一〇〇万円

一五三A

高橋和也

八〇〇万円

八〇〇万円

八〇万円

八八〇万円

一五四A

高野幸司

八〇〇万円

八〇〇万円

八〇万円

八八〇万円

一五五A

高野伸二

八〇〇万円

八〇〇万円

八〇万円

八八〇万円

一五六A

土橋志保

五〇〇万円

五〇〇万円

五〇万円

五五〇万円

一五七A

北條征一

八〇〇万円

八〇〇万円

八〇万円

八八〇万円

原告番号

氏名

類型

基準額

加算額

小計金額

弁護士費用額

合計金額

一五八A

望月宣一

八〇〇万円

八〇〇万円

八〇万円

八八〇万円

一五九A

渡辺和彦

八〇〇万円

三〇〇万円

一一〇〇万円

一一〇万円

一二一〇万円

一六〇A

若狭ゆり

九〇〇万円

九〇〇万円

九〇万円

九九〇万円

一六一A

上田純生

一一〇〇万円

三〇〇万円

一四〇〇万円

一四〇万円

一五四〇万円

一六二A

川崎正博

八〇〇万円

四〇〇万円

一二〇〇万円

一二〇万円

一三二〇万円

一六三A

宮沢節也

八〇〇万円

八〇〇万円

八〇万円

八八〇万円

一六四A

宮沢美和子

八〇〇万円

四〇〇万円

一二〇〇万円

一二〇万円

一三二〇万円

一六五A

望月清文

八〇〇万円

三〇〇万円

一一〇〇万円

一一〇万円

一二一〇万円

一六六A

青柳しのぶ

八〇〇万円

二〇〇万円

一〇〇〇万円

一〇〇万円

一一〇〇万円

一六七A

伊藤浩子

八〇〇万円

一〇〇万円

九〇〇万円

九〇万円

九九〇万円

一六八A

伊藤文明

八〇〇万円

八〇〇万円

八〇万円

八八〇万円

一六九A

一瀬雄一郎

八〇〇万円

二〇〇万円

一〇〇〇万円

一〇〇万円

一一〇〇万円

一七〇A

小林寿

八〇〇万円

八〇〇万円

八〇万円

八八〇万円

一七一A

佐野一仁

一一〇〇万円

一一〇〇万円

一一〇万円

一二一〇万円

一七二A

前島一間

九〇〇万円

五〇〇万円

一四〇〇万円

一四〇万円

一五四〇万円

一七三A

村松直美

八〇〇万円

八〇〇万円

八〇万円

八八〇万円

一七四A

村松昌企

八〇〇万円

四〇〇万円

一二〇〇万円

一二〇万円

一三二〇万円

一七五A

山本薫

九〇〇万円

二〇〇万円

一一〇〇万円

一一〇万円

一二一〇万円

一七六A

山本睦

九〇〇万円

六〇〇万円

一五〇〇万円

一五〇万円

一六五〇万円

一七七A

秋山尚

八〇〇万円

四〇〇万円

一二〇〇万円

一二〇万円

一三二〇万円

原告番号

氏名

類型

基準額

加算額

小計金額

弁護士費用額

合計金額

一七八A

秋山綾

八〇〇万円

八〇〇万円

八〇万円

八八〇万円

一七九A

秋山香織

七〇〇万円

一〇〇万円

八〇〇万円

八〇万円

八八〇万円

一八〇A

青木千春

八〇〇万円

二〇〇万円

一〇〇〇万円

一〇〇万円

一一〇〇万円

一八一A

芦澤文彦

五〇〇万円

一〇〇万円

六〇〇万円

六〇万円

六六〇万円

一八二A

芦澤美香

六〇〇万円

四〇〇万円

一〇〇〇万円

一〇〇万円

一一〇〇万円

一八三A

芦澤司

八〇〇万円

八〇〇万円

八〇万円

八八〇万円

一八四A

内田江美

五〇〇万円

一〇〇万円

六〇〇万円

六〇万円

六六〇万円

一八五A

小川典孝

八〇〇万円

二〇〇万円

一〇〇〇万円

一〇〇万円

一一〇〇万円

一八六A

大森茂

八〇〇万円

四〇〇万円

一二〇〇万円

一二〇〇万円

一三二〇万円

一八七A

加藤清子

五〇〇万円

二〇〇万円

七〇〇万円

七〇万円

七七〇万円

一八八A

郡司学

八〇〇万円

八〇〇万円

八〇万円

八八〇万円

一八九A

塩澤弘美

九〇〇万円

一〇〇万円

一〇〇〇万円

一〇〇万円

一一〇〇万円

一九〇A

杉田和彦

五〇〇万円

二〇〇万円

七〇〇万円

七〇万円

七七〇万円

一九一A

高野佳代

八〇〇万円

八〇〇万円

八〇万円

八八〇万円

一九二A

原田美佐子

六〇〇万円

四〇〇万円

一〇〇〇万円

一〇〇万円

一一〇〇万円

一九三A

深澤一紀

八〇〇万円

二〇〇万円

一〇〇〇万円

一〇〇万円

一一〇〇万円

一九四A

深澤理恵

五〇〇万円

五〇〇万円

五〇万円

五五〇万円

一九五A

細川道子

一一〇〇万円

二〇〇万円

一三〇〇万円

一三〇万円

一四三〇万円

一九六A

山下昌光

六〇〇万円

四〇〇万円

一〇〇〇万円

一〇〇万円

一一〇〇万円

一九七A

秋山雅紀

九〇〇万円

一〇〇万円

一〇〇〇万円

一〇〇万円

一一〇〇万円

原告番号

氏名

類型

基準額

加算額

小計金額

弁護士費用額

合計金額

一九八A

遠藤利子

五〇〇万円

二〇〇万円

七〇〇万円

七〇万円

七七〇万円

一九九A

遠藤幸一

五〇〇万円

五〇〇万円

五〇万円

五五〇万円

二〇一A

鈴木一栄

八〇〇万円

二〇〇万円

一〇〇〇万円

一〇〇万円

一一〇〇万円

二〇二A

高井理恵

八〇〇万円

一〇〇万円

九〇〇万円

九〇万円

九九〇万円

二〇三A

樋口敏光

五〇〇万円

二〇〇万円

七〇〇万円

七〇万円

七七〇万円

二〇四A

樋口みどり

八〇〇万円

二〇〇万円

一〇〇〇万円

一〇〇万円

一一〇〇万円

二〇五A

堀口留美

五〇〇万円

五〇〇万円

五〇万円

五五〇万円

二〇六A

望月里美

五〇〇万円

五〇〇万円

五〇万円

五五〇万円

二〇七A

望月敏

一一〇〇万円

七〇〇万円

一八〇〇万円

一八〇万円

一九八〇万円

二〇八A

依田順造

八〇〇万円

一〇〇万円

九〇〇万円

九〇万円

九九〇万円

二〇九A

遠藤久美

八〇〇万円

八〇〇万円

八〇万円

八八〇万円

二一〇A

川手一浩

八〇〇万円

八〇〇万円

八〇万円

八八〇万円

二一一A

笠井一元

八〇〇万円

一〇〇万円

九〇〇万円

九〇万円

九九〇万円

二一二A

栗澤実

八〇〇万円

三〇〇万円

一一〇〇万円

一一〇万円

一二一〇万円

二一三A

中谷和美

八〇〇万円

一〇〇万円

九〇〇万円

九〇万円

九九〇万円

二一四A

長谷川大

五〇〇万円

一〇〇万円

六〇〇万円

六〇万円

六六〇万円

二一五A

廣瀬貴也

五〇〇万円

五〇〇万円

五〇万円

五五〇万円

二一六A

浅原保信

五〇〇万円

五〇〇万円

五〇万円

五五〇万円

二一七A

今村徹

七〇〇万円

一〇〇万円

八〇〇万円

八〇万円

八八〇万円

二一八A

切金修司

八〇〇万円

一〇〇万円

九〇〇万円

九〇万円

九九〇万円

原告番号

氏名

類型

基準額

加算額

小計金額

弁護士費用額

合計金額

二一九A

小林潤

五〇〇万円

五〇〇万円

五〇万円

五五〇万円

二二〇A

高野克彦

五〇〇万円

五〇〇万円

五〇万円

五五〇万円

二二一A

石川美佳

八〇〇万円

八〇〇万円

八〇万円

八八〇万円

二二二A

保坂さおり

五〇〇万円

二〇〇万円

七〇〇万円

七〇万円

七七〇万円

二二三A

宮野修

八〇〇万円

二〇〇万円

一〇〇〇万円

一〇〇万円

一一〇〇万円

二二四A

渡辺美果

八〇〇万円

四〇〇万円

一二〇〇万円

一二〇万円

一三二〇万円

二二五A

藤澤広由

八〇〇万円

二〇〇万円

一〇〇〇万円

一〇〇万円

一一〇〇万円

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